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御輿を担がぬ四季折々の。

祝祭感のない、祝福感のない季節を過ごす時間に適応するのはもしかしたら時間がかかるかもしれない。もともと僕は、自然と地球の自転から季節を感じる側の人間だ。でもみんながそうかといえばそうじゃない。

季節の変わり目やど真ん中に、イベントやお祝いごとが散りばめられていた。どんなに生き急いでも七草も節分もあった。春を味わうのに桜味のフレーバーを買わなくても、桜の下で缶ビールを飲めば春の漂いを匂うことはできた。

籠り時代において、これがどこまで続いていくのかは未知だ。何処で花火が上がるか分からず、屋台のおじさんに会える夏が来るかもすらも。

コンクリートジャングルに住んでいる人々は今になって“自然に向かいたい”という。自然と共に生きてきた畏れと尊厳を持っている人々は“自然に帰りたい”という。

自然と時に豊かお祝いを願う。これは日本に生まれた特権であったのかもしれないとつくづく思う。

地球の素足で踏み締める感覚。島畑の土の手触り。

ぬるぬると過ぎゆく四季をこれはこれとて嗜む趣きは、今ありけり。


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