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嘘で固めても真摯になれるのは慎ましさと図々しさのどっちだろう。

希望観測的に繕われた、虚栄心って可愛らしい。如何にも“できますよ”的な雰囲気をかましながら、実際には怯えちゃうくらいで生きてるやつのでしゃばり具合が愛おしい。

なんでだろうと考えたとき、多分関数に似ているからだと思う。答えがわかってしまうような物への飽きは、できることだけをやることへの怠惰に近い。

昔は“図太さ”みたいのが心底苦手だった。図々しい姿勢が気に障った。でも母性や父性はよくその態度を可愛らしく思ってしまう。いつからか、図太さを許せない心性は同じ様に図々しくなれない自己嫌悪か、譲ってばかりの自己憐憫の反抗なのだと思っていた。実は主語は相手ではなく“自分”なのだと。

プライドとやらの煩悩ではなくて、自分の欲への純粋さが反応として出てくる図太さは持っていて良い。

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禁欲にまみれた抑圧は、いつか爆発する。他方、欲に溺れて虚栄で覆われるのも違う。

しかし慎ましさを偽装した態度と欲に純粋な図太さでは自分に正直なのはどっちだろう。いつか欺瞞や虚栄がばれても、自分に跳ね返って来ても真摯に向き合える躓きはどんなものだろう。

なんだかそんなことを新入生を見ながら考えていた4月1日。




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