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かかりつけ医のO先生へ。「ありがとう」をこの場を借りて。

先日、息子の小児科の予約をしようとスマホの画面を見て、ハッとしました。

あれ? O先生の名前がない。

O先生は近所のかかりつけの小児科に勤める女医の先生です。
物腰が柔らかいきれいな先生で、診療は的確。
長女の3か月健診から診察してもらっていたので、もう10年弱のお付き合いとなります。

乳児健診や予防接種。
風邪や感染症。
肌荒れや湿疹。

保育園でまた何かもらってきたといっては、子どもを小児科に連れて行く日々。
今は9歳になる娘も、以前は年に何度もO先生に診てもらっていました。

小学生になると予防接種もあらかた終わり、風邪もひきにくくなります。
小児科に行く機会がぐっと減る、そんなタイミングで我が家には新たに息子が誕生し、また小児科に通う日々となりました。

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息子の3か月健診で、小児科に連れて行ったときのこと。
娘はもう小児科に行く機会も少なくなり、馴染みのO先生にお会いするのは久しぶりでした。

7年ぶりの赤ちゃん。O先生に見せたらびっくりするだろうな。
私は小児科の待合室で息子を抱いて、照れくさいような恥ずかしいような気持ちでした。

名前が呼ばれてドアを開けると、
O先生が本当にうれしそうに待っていてくださって。

「おめでとうございます!
 わぁ、お姉ちゃんの小さいときにそっくりですね!
 お姉ちゃんは元気ですか?」

大好きなO先生に、息子もまた診てもらえるんだと嬉しくて。

お互いに「またよろしくお願いします」と挨拶した健診の帰り道、心が弾んだのを覚えています。


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初めての育児。みんな親は必死ですよね。
私も例にもれず必死でした。

長女は生まれたときから身体が小さく、母子手帳の発育曲線の下ギリギリのラインを辿っていました。
発育曲線はあくまで成長の目安ですが、曲線の帯の中には同じ月齢の子の94%が入るとなっていて。

ただでさえ3月生まれで、同じ学年の子たちに比べて発育が遅れていて、「早く周りに追いつきたい」という気持ちがありました。

今となっては「そんなこと気にしなくて大丈夫」に尽きるのですが、当時は我が子はちゃんと育っていないのでは と心配で。。

で、私が乳児健診前に毎度やっていた作戦は、

「ひたすら飲み物を飲ませる」

というものでした。

娘の体重を増やしたいから、乳児健診前になると
「さあ、飲め飲めー!!」とばかりに水やお茶を渡して。

ドリンクをがぶ飲みした後の娘を抱くと、たしかに重くなった気がして、
「よしっ!これで発育曲線クリア!」
と小児科に連れて行きます。

で、着く前にオムツに大量のおしっこ。

「あっ、おしっこ出ちゃったの・・(泣)」

「オムツ替えてから体重測りますね~」とあっけなくスタッフさんに言われて泣く泣くオムツを替えていたなぁ。(懐かしい)

何やってるんだろうと思いますよね。
でも、その当時は不安で94%の「大丈夫だと思われる帯の中」に入りたくて必死だったんです。

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そんな新米ママ時代から、育児の不安に寄り添ってくれたO先生。
診療のあとは必ず「今、子どものことで困っていることはないですか」と聞いてくれました。

「先生の時間を割いてまで自分から話すことじゃない」と思っていた小さな心配事。
そっと先生に話すと、診療のあとの帰り道には心が軽くなっていました。


小児科は子どもにとっては怖い場所。
O先生はそんな娘の気持ちに寄り添ってくれました。

ちゃんと娘の目を見て娘にわかる言葉で説明して、
診療が終わると「頑張ったね!」って拍手して、シールをくれる。

気づけば娘は具合が悪くなると「O先生に診てもらいたい」と言うように。
娘にとっても特別な先生だったようです。


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スマホの診療予約で、O先生の名前がなくなっていることに気づき、たまらなく寂しくなっている自分がいました。
小児科のサイトを確認すると先月で退職されたようでした。

ちゃんと感謝を伝えたかったなぁという気持ちでいっぱいで。
心にぽっかり穴が開いたよう。
私の周りに当たり前にいて、私を支えてくれていた人だったんだなと改めて思います。

初育児で不安だったあの頃。
先生の言葉にどんなに救ってもらったか。

(同時に2人目は母子手帳を全く見ない自分の変化に驚き!)


O先生、長い間の勤務お疲れさまでした。
またいつかばったり、お会いできる日が来るのを願って。

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