2回の流産と夫のこと <その1>

※この記事は流産と流血表現を含みます。あとクモの写真。苦手な方は読まないでください。

私の夫は元某格闘技の選手で、オーストラリアのステートチャンピオンを経て軍の特殊部隊からお呼びがかかるほどの身体的αオス、趣味は西洋の剣術と、テストステロン値高めのイケてるメン。

いまはIT関連の学位と経験を生かして家族のためにここベルリンでサラリーなマンにおさまってくれてます。

とりあえず脚が太すぎて、既製品のパンツはすぐダメになる。

いくらなんでもコスパ悪すぎるので、80年代みたいになんかMCハマーみたいなスラックスまた流行らないかなぁと待ち構えてるんですが、そこの流行はまだ巡ってこないようですねー残念ながら。

というか股ずれが原因で破れるんだから、どちらにせよ意味ないか・・・


まあそれはいいとして、実生活では彼は一度たりとも人を殴ったこともなければ、自分を襲ってきた蚊以外は虫も殺さないくらいの優男(やさお)。オーストラリアで同棲中、家に頻繁に出没したクモも、プラスチックのケースですくって外に帰すという徹底ぶりでした。

ある時など、それをしようとして間違ってクモの脚を挟んで切断してしまったことにガチで涙ぐんだくらいのマシュマロハートの持ち主なんです・・・

平気で虐殺に走る私とは真っ向から対立する勢力であり、信条の違いから家庭内が一触即発の状態になったことも―。


だってこんなクモだぜ・・・(フラッシュたくと目が光る)?↓

画像3


彼はね、たぶん前世ジャイナ教。


《ジャイナ教》徹底した苦行・禁欲・不殺生を信条とする
出家者は以下の5つの大禁戒を守る。
1.生きものを傷つけないこと(アヒンサー)
2.虚偽のことばを口にしないこと、
3.他人のものを取らないこと、
4.性的行為をいっさい行わないこと、
5.何ものも所有しないこと(無所有)

画像1

虫を踏まないためにほうき持ち歩いて払いながら歩くんですよねたしか。


あ、でも性的行為は大好きなので違うかもしれません。


まあとにかく優しく繊細で、感情をあらわにするということもない。

10年近く一緒にいて4回だけ。

1、3、4回目はまた別の機会に話すとして、2回目、それが私たちが同棲始めて1年ほど経ったころ。

私が妊娠、そして流産してしまったときでした。


▽はじめての妊娠

まだ結婚はしていなかったけどディファクト(事実婚)申請していたし、子供も望んでいたので避妊をやめ、やめたその次の月にあっさり妊娠。


望んでいたくせに「こわい」というのが私の最初のリアクションで、急になにもかもが不安に思えてきたのを覚えてます。

私はむかしっからそうで、喜び勇んで飛び込んだことでも、直前になって怖気付く。

ジェットコースター乗りたい!乗ってみよう!!→(列に並んで自分の番になる)→やっぱやめる


なにがこわいって、出産痛いのがこわい。母親になるのがこわい。自分の時間を失うのがこわい。重い責任がこわい・・・。


でもそんなこと考えたって赤ちゃんはやってくる。

家族を作るのだ。

私は死に物狂いで夫と子を守ってやる!!

そしていまは、授かったよろこびにフォーカスしよう。不安はふたりで分け合えば良い。


夫は大喜びで、お互い「実感がないね」なんて言いながらもワクワクして、名前を考えたりしながら次の数週間を過ごしました。


▽診断

7週目になってもエコーは胎嚢が見えるだけで、赤ちゃんも心拍もなし。

稽留流産との診断。

オーストラリアでは手術するか様子をみるか選べるので、私たちは様子をみる方を選びました。

だって、信じられなかったからね。

自分の中に自分と夫の遺伝子を受け継いだあたらしい生命が宿ったというだけでも信じられないことなのに、それが生まれることもなく消えるということが。


は?なんのために?


私は日本語・英語で読める限りの体験談や論文、専門家、および素人の見解を、とにかく血眼になって読み漁りました。

赤ちゃんが生きて育つ可能性の方を信じたかったから。

正直、半分頭おかしくなってたと思います。


診断された帰り道、まだ肌寒い春の道をふたりで手をつないで茫然と歩きながら、私は途方もない喪失感と、なぜか押しつぶされるような申し訳なさ(誰に?)とを感じていました。


唐突に彼に手を引かれ、近くにあった大きな木の陰でものっっそい強く抱きしめられました。


ところで皆さんは、肉ゴリラに強く抱きしめられるとどうなるか知ってますか?

骨がね、きしきしいうんですよ・・・

あと絞められることよりも、まず胸筋に顔がうずまることで窒息するんです。危険なんで覚えておいてくださいね?


いやでもめっちゃ泣いとるやん夫。

かわいそうに。

生き物好きだもんねぇ。


なんて考えながら、私は泣かないようにがんばってた、けどもちろんダメで、ふたりしておいおい泣きました。


絶望。


▽小鳥

9週目となり、夫と話し合ったうえいよいよ来週もう一度エコーをして、ダメなら処置してもらおうと決めたころのこと。

私が外をぼんやりながめていると、きれいな鶯色のちいさなちいさな小鳥が裏庭で一生懸命鳴いているのを見つけました。

まだ小さすぎてほんのちょっとしか飛べなくて、一体どこからどうやって来たのかいまだに不明なんですが、とにかくすごく愛らしい小鳥。

私さっき書いたとおりちょっと頭おかしくなってたんで、とっさにこれはなんかのサインだ、と思ってしまったんですね。

赤ちゃんが生きてるという意味のサインだから、ぜひとも保護しなければ、と・・・


優しく手ですくって家の中に入れ、それから1時間くらいして夫が帰ってくると、人間が触っちゃったら匂いを親がイヤがって育てなくなるかもしれないからダメだよ!としごくまっとうなことを言ったんですが、頭がおかしい私はむしろそれは好都合、私が育てる!と言い張りました。


とにかくもとの場所に置いて、見えるところから見守りなさいと言う夫。

親が迎えに来るくらいなら最初っから目を離さないだろーがよ!と狂気の妻。


もうほんとバカ私。


いやね、どっからこの母性が沸いてでたのか自分でもいまだにわからない。

息子を妊娠・出産したときに友人各位から口をそろえて「えっ!あんたが母親に?!」と言われるくらいには徳が低い女なので、妊娠したとたんなにかが乗り移ったとした思えないんですよいまだに・・・


よく子供の人形を抱えて駅をうろうろしてるおばあさんいるじゃないですか?

あの気持ちがちょっとわかってしまった。

少なくともいまこんな風に語れるほど、当時は客観視なんかできてもいなかったし、赤ちゃんが育たないのは仕方ないとも思えませんでしたね。

ほんとヤバかった。


そのときの小鳥さん(なんの鳥かわかる方いたら教えてください)↓

画像2



▽親鳥

そうこうしてるうちに親鳥が、たぶん両親だと思うのだけど2羽、うちの裏庭の網戸を大きな声で鳴きながらアタックしてきました。


まさに赤ちゃんを救うのに捨て身で、といった感じで。


私たちが網戸を開けるとすごい勢いで入ってきて、部屋中を旋回しながら天井の梁的なところに止まって様子を見ています。

その間もすごい声で鳴いている・・・。

それに答えるかのようにさっきまで静かにしていた小鳥もまた一所懸命鳴き始め。

その親子の必死な姿がなんか自分たちと重なってしまって、涙と嗚咽がとまりませんでした。


30分ほどもそうしたあと、徐々に鳥たちは外に向けて開けておいたドアの方に移動し、1時間ほどで3羽とも姿が見えなくなった。

赤ちゃんの方は最後まで、声の限りに鳴きながら、すっころびながらも懸命に飛んでいた。


彼らには本当にかわいそうなことをした。ごめんなさい。


この瞬間の気持ちは言葉で説明しがたいのだけど、「ああ、いのちというのは人間のあずかり知らぬところのものであり、帰るべきところに帰るものなのだ」というのが一番しっくりくるかな・・・


私はまったく信心深くはないけれど、このときのことはなにか超自然的な存在が、わからずやの私に送ってよこしたメッセージだったと思ってます。

現にこのあと、それこそ憑きものが落ちたように、私のあたおかが治ったのでした。


▽蝶

次の日、夫が私に見せたいものがあるというので、夕方うちから歩いて1分のところにある丘に手をつないで行きました。

丘の頂上からは私たちの住む街の中心が見下ろせて、木がうっそうと生えた小道がずっと続きます。その小道の途中で立ち止まると、彼が1枚の封筒に入ったカードを渡してきました。

あたりには誰もおらず、ほんの2、3匹、茶色っぽい蝶がひらひらと飛んでいました。


やっべ、なんかの記念日だっけ?忘れてた・・・


などと思いながら開けると、中には紫の蝶が無数に描いてある美しいメッセージカード。

その後ドイツに引っ越したので手元になくて(オーストラリアの家にある)写真撮れないのが残念なんですが、ほんとにきれいなやつ。


中には、

「ふたりの赤ちゃんをおなかで育ててくれてありがとう。君が妊娠したという電話を僕が取ったのが(私はひとりで日本に里帰りしてたので電話で報告した)ちょうどこの場所で、そのとき蝶がなん十匹も周りを飛んでたんだよ。僕はあの瞬間のことを、一生忘れないよ」


というようなことが書いてありました。


全私が泣いた。

世界の中心で全私が泣いた。


だって、完全に泣かせにかかってるでしょうよ、え?


「なにがどうなっても、僕がそばにいるから、心配しないで」


彼はそういって今度は慰めるようにやさしく、抱きしめてくれたのでした。


▽流産

最後のエコーの予約を入れたのは、10週1日目でした。

ここまで腹痛も出血もなく軽いつわりもあったので、もしかしたら赤ちゃんが育っているのではないか、という期待が正直大きかったです。

でも最初の診断から3週間近く経って精神的な混乱も乗り越え、夫のイケメン具合も再確認し、何があっても大丈夫だという自信も獲得したので、どちらでも受け入れる覚悟は決まっていました。


この3週間があってよかった。

気持ちの準備をする時間は絶対に必要だったな、などと思いながら当日準備をしていると、急な腹痛が襲い、大量に出血・・・。


くわしくは割愛しますが、トイレからしばらく出られないくらいの出血で、塊もかなり出ました。


ああ、やっぱりだめだったか。


出血が落ち着いたので、迷いましたが夫の運転でそのままエコーの予約に向かいました。

技師に出血があったことを伝えると、やはり流産。


しかもきれいに出てしまっているから、手術も必要ないだろうと。


私に負担をかけないようにと、きれいに出てくれたのかな。いい子だなぁ・・・


覚悟はしていたけれど、やっぱりエコーで中になにもなくなってしまった自分の子宮を目の当たりにしたら、泣くのを止められませんでした。

技師の人も一緒に泣いてくれて、こんなに心の優しい人に仕事とはいえ涙を流させてしまって申し訳ないな、早く泣き止まなきゃ。


そんなことを考えてました。

夫は何も言わず、それを見守ってました。


無言のまま家に帰ると、夫はひとしきり私をなぐさめたあと、ちょっとごめんねと言ってベッドルームに消えました。

10分弱後くらいかな、出てきた彼の眼は真っ赤で、鼻で呼吸できないくらいぐずぐずになってました。

そしてちょっと出てくる、と言って、30分ほど経って、私の好きなシャンパンとビールを両手に抱えて帰宅しました。


▽神旦那

私は西洋人に引けを取らないくらいの酒豪で、とにかく飲むのが好き。大好き。酒の味が好き。

それを子作りしようと決定したときから一滴も飲まずにがんばってたんですよ!!

まあ期間にしたら大したことないかもしれないけど、私にとっては大問題だし重大な機会損失期間(?)だった。

それでも飲まなきゃ飲まないでやってられるようになったので大丈夫だったんですが、夫にとってそのときできる最大のポジティブな行動が、私のために酒を買ってくることだったんでしょうね。


そう考えると笑えるんですが、本当に心底うれしかった。


夫は普段おしゃべりではあるものの、重大なことに関しては口でいろいろ言うよりも行動で示す人。

なのでときには私にとって意味不明なことをするんですが、なんで?と聞くとたいがい私が過去に口にした願い(家がほしい、~な環境がほしいなど)を叶えるためだったりします。

とにかくその時その時の状況に応じてベストな選択ができる思慮深さと、人の気持ちを汲みつつ未来を見据えた行動ができる人。

私は行動力はあるけど目先のことしか見えてない女なので、先を見通す彼の目というのはまさに賢者のそれ。


今回のことで、夫にたいする信頼、そしてこのすばらしい人と家族になることがどんなに幸せなことか実感できたのが、深い悲しみのなかにあって唯一の光明だったと思います。


そして彼のおかげで私の肚もすわった。


将来もしひどく裏切られることがあったとしても、このときも含めて現在までに彼が私のためにしてくれたことで、すべて帳消しにできる自信がある。


その後約5年が経過し、息子にも恵まれ、いろんなことがあったけど、その気持ちは一切揺らいでません。夫の献身も愛も揺らがず、それどころか子が生まれてからはさらに磨きがかかり、いまではさながらジーザス。ゆるしの秘跡ー。


まあ夫自慢をはじめるとキリがないので、このへんで切り上げます。

タイトルの通り、息子出産のあとに私はもう一度流産してしまうんですが、思ったより長くなりすぎたのでそのときのことについては(読みたい人がいれば)また「その2」で、ということで、気長にお待ちください。


長々とありがとうございました。


日々の奇跡に目を凝らして。

役に立った!と思って頂けたなら、ぜひ!今後の励みにいたします。個別にお礼メッセージさせていただきます(*‘∀‘)