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ミネストローネスープの思い出

アメブロの過去記事で人気のあったものを
加筆修正して残していっております。
今回の記事は2018年9月に書いたものです。


先週、子供のころ住んでいた街に
それはそれは本当に久しぶりに行ってみたんです。
車でさーっと走っただけだったんですが
実際車で走ってみると道の狭さにびっくりでした。

子供の時はすごく広く感じていたんですけどね、
幼稚園、小学校の頃の記憶なので仕方ないかな。

それでも何となく覚えている建物があったり
スーパー、信用金庫、病院などは記憶通りの場所でした。

通っていた幼稚園の名前もそのままだったし、
今回は時間なくて行けなかったけど
小学校も通学路はそのまま残っていたみたい。

今度行ったらどこかに車を停めて
街を少し歩いてみようかな、なんて考えておりました。


そうしたら、そのことがきっかけになったのか
子供のころの記憶が少しよみがえってきました。

どうやらそれは、今の仕事を続けるきっかけになっていたようです。



わたし、子供のころ野菜が大っ嫌いだったんです。
今じゃ考えられないんだけど
とくに生野菜、とりわけトマトが心底嫌いで…。
口に入れただけで涙が出ちゃうほど。

母の実家は農家ですので、畑でトマトも作ってるわけです。
夏休みにおばあちゃんの家に行けば
あの手この手で食べさせようとされたけど

ジュースにしても、お砂糖をかけても
涙が出るのはかわらず。
そんななかで、母が初めてミネストローネスープを作ってくれました。

何歳のころかは忘れてしまったのだけど
初めてトマトをおいしいと思ったのだけは
鮮明に覚えています。

そういえばケチャップは平気だったから
生のトマトがダメだっただけで
今思えば不思議ではないんだけど
それでも当時は感動したんですよね。

その後もきっと母は何度か作ってくれたんだと思います。

それが、ある日を境に
家の食卓にミネストローネスープが乗ることは
なくなってしまいました。

私が小学校5年生のとき
それまで住んでいた広島から岩国へ
父の仕事の転勤で引っ越しをすることになったんですね。

そして父方の祖母と同居がスタートしたのですが
祖母はとても好き嫌いの激しい人でした。

それまでずっと一人で暮らしていて
自分の食べたいものを食べる生活だったのが
同居することになり大きく変わったわけです。

食の好みだって
毎日家族に合わせるわけにはいかないですね。

今思えば、祖母の心の中は
寂しさとかそれと引き換えに得ていた自由だとか
いろんなものであふれかえっていて
人の想いにまで気付けるだけの
余裕がなかったのかもしれません。

本当はそんなこと言いたくなかったんじゃないかなとか…。

このへんはカウンセリング系の
本やブログなんかを読みだして
なんとなく気付き始めたんだけど
そういうの全部まとめて
祖母はあの世に持って行っちゃった。

聞いたことはないけど
多分母はそれなりにお料理好きだったと思います。
時々手の込んだもの作ってくれた記憶もあるし
同居をはじめて最初のころはお料理教室にも通ってたし。

それが、食事の支度をするたびに
うんざりした姿に変わっていきました。

毎日「これは食べられない」「これは嫌い」って
作ったものを前にして言われたら
誰だって作る気なくしますよね。

祖母はだれが作ったものに対しても
同じ態度でしたので
もちろん私が作ったものもダメ出しでしたけど
そうして気付いたら毎日の食事の中から
私の好きな母の作る
ミネストローネスープが消えていました。

再会したのはたぶん調理師学校に通ってから。
実習で作って懐かしかったのを覚えています。

それからいろんなお店で仕事するときに
まかないで作ったりもしました。

今でもよく自分でミネストローネスープを作ります。

野菜をいっぱい入れて、トマトもたっぷり刻んで入れて
つい野菜いっぱい入れすぎて
スープのほうが少なくなってしまうんだけれど。
野菜の優しい甘みがじんわり身体にしみこんで
どこか緊張していた身体がほぐれるような気がします。

ですので自分の息子にも
小さい時からよく作って食べさせていました。

息子が小さいときは祖母もまだ元気でしたので
実家で息子のために作ったスープを見て
機嫌が悪くなったこともあったな…。

先日デザイナーさんに作ってもらったフライヤーに
『食べることは生きること』という
キャッチコピーをいれてもらいました。

「食べることは生きること」

この言葉には
生命を維持するための栄養補給という意味だけではなく
食事という行為そのものが
人生に大きく影響するという意味も込めています

どれだけ高くておいしいものを食べたとしても
その人の心の中が
どんより暗く曇っていたら
美味しさだって半減するでしょう。
逆に大好きな人と一緒なら
何を食べたっておいしく幸せだって感じられるでしょう。

そういう、美味しさの根源とか
食べることと心の在り方とかいうものを
伝えていきたいと思うのです。

トマト嫌いの私に
トマトをおいしく食べさせる工夫をしてくれた
それも母の愛情だし
祖母が食べたくないというものを
あえて作らなくなったのも愛情なのでしょうね。

どうせなら、幸せになるほうの愛情を
与えたり与えられたりして
笑顔で過ごしたいと思うし
それを伝えられる講師でありたいと思っています。

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