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二次創作でちょっと人気が出たからって一次創作(オリジナル作品)に手を出してしまってさらに沼ったオタクである

真面目な話ばっかり書いてて息が詰まりそうになってきたのでヲタクに全振りした黒歴史系の記事を書こうと思いました。

■調子づいてオリジナル作品を書いてみようと思ったオタク(私)の話

証拠としてお見せするアカウントもないので堂々と自画自賛すると、趣味で小説を書いている私には、そこそこ人気がありました。

――ええ、分かっているのです。私の作品が良かったわけでなく、推しキャラが人気だっただけ。その人気にうまく便乗してしまっただけなのです。
しかし、人間とはかくも愚かなもので。UPした作品が全部ランク入りし続けたりTwitterなどで嬉しい感想とともに拡散されたりすると、さも「自分に人気がある」かのような勘違いをしてしまうわけです。
他人のふんどしで相撲を取っていただけ、ましてやそのふんどしのデザインが良かっただけで相撲が強かったわけでもないのに、まるで自分に人気があるように錯覚しただけなのです。

そこまでならオタクあるあるですが。そこにさらに調子づいて、
「ちょっとオリジナル作品なんて、書いちゃおうかな…!?」
と思ったりしちゃったわけですよ。
いま自分で書いてても恥ずかしい&痛々しい。

建前的には「生きてるうちに色んなことに挑戦したいじゃん?」とか言いつつ、確実に調子に乗ってただけですよね、ええ分かります。他人が同じ事してたら絶対「こいつ調子づいてやがるな」って思いますとも。

んで、そういう自分の黒い内面の葛藤はさておき、オリジナル作品を書いてみよう、と相成りまして。
書くからには、何かの賞に応募できるくらいの大作にしてみよう、と!
図々しくも思っちゃったわけですね~(白目)

でもその時点では、「大丈夫、私ならやれる!」と何の確証もなく思っていたのです。

■思ったより奥が深かった「オリジナル作品」

世の中の小説書きさんがどのような書き方をしているかは千差万別・十人十色なので、私と同じ人もいれば全く違うスタイルの人もいらっしゃるでしょう。

私は脳内のキャラクターが自由に動き回っているのを素描するだけ、という感じの創作スタイルです。
自分で話を組み立てたり、テーマに沿って構成を練ったりするわけじゃなく、ほんとうに、脳内にいるキャラが勝手に動いているのを観察して文字に起こしているだけ、という。
(でも割とこういう人って多い気がします)

二次創作の場合はそのキャラクターは既に公式から準備されているわけでして、私の脳内で大暴れしてくれるのです。私はそれを眺めているだけなので、必然的に筆も早く、UPする作品も多かった(それも人気の秘訣のひとつかなとは思います)。

ですが一次創作(オリジナル)となればそうはいかない。
「キャラクター」というものを、まずは生み出すところからしなければならないのです。
とはいえこちらも趣味とは言え10年以上小説を書いてるわけで、何とかなるやろ、くらいに思っていました。

そうそう、一応「オリジナル小説の書き方」みたいなページを読んだりもしたのですが、その中のひとつに「魅力的なキャラが作れるかどうかが一番肝心」と書いてあったのです。
いやいや、キャラだけの問題じゃないやろ。一応はテーマとか(考えたこともないくせに)考えなアカンがな。そう思いつつ、とりあえずキャラクターらしきものの素案を作って、脳内で練り練りしてみたのですが。

ビビるくらいに脳内でキャラクターが動かない…!!!

キャラクターへの解釈とか、肉付けとか、そういうのが全くできてないせいでしょうね。脳内ではキャラがほけっと立ち尽くしているだけで、全くストーリーが始まらないのです。
脳内キャラの動きを勝手に観察して文字起こしする執筆スタイルの私には、ストーリーが始まらない限り何も書けないわけで、

「これが一次創作の難しさか…!!!」

と痛感したものです。

■書けば書くほど文字が減っていく不思議

ちなみに二次創作の場合、脳内で流れているシーンを文字起こしするだけなので、1時間にだいたい3000~5000字前後を書き込めるのですが。

一次創作だと字速(=1時間あたりに書ける文字数のこと)30字くらいしか書けてない…?

しかもその直後で500字くらい消す、を繰り返し、書けば書くほど字数が減っていくという…

結果、たかだか30000字のショートストーリーを書くだけで3ヶ月ほどを消費してしまった。ぐぬう、屈辱…!
友人の本への寄稿(だいたい5000字くらいが相場でしょうか)なんてだいたい校正込みで2時間で納品していたというのに…!

■オリジナルの深さと二次創作の良さを同時に痛感する

二次創作は、当然のことながらキャラクターが既に存在しています。
その解釈に多少の差異はあれど、例えば生年月日や趣味、髪の毛の色や長さなどまで細かく公式から指定があり、議論の余地を挟む必要もなく「キャラの概念がファンの間で共通認識されている」わけです。
更には、公式に指定のない「好物」とか「癖」とか、ファンならばほぼ皆が同時に抱くであろう共通認識が勝手に生み出されたりもします。これを界隈では「集団幻覚」などとも言いますが、とにかく、「魅力的なキャラクター」というものが既にみんなの中に存在している。これを動かすのは意外と簡単なことなわけです。

オリジナルを書いてらっしゃる方には「こいつは何を言っているんだ」レベルの話かと思いますが、オリジナルだとまずそこから作り込んでいかなきゃダメなんですよね。
そして気付いたわけです。
「あ、その経過が楽しいのか」、と。

一次も二次も、キャラを(絵なり文字なりで)表現していくというのは同じだと思っていたのですが、スタート地点が違うんだな、と。

かといって「どちらの方が上」「どちらの方が優れている」というわけではなくてですね。楽しむポイントが違うんだなー、すげぇなー! と感心してしまいました。

リーマンものなら、主人公はどういう会社のどういう部署でどんな仕事をしているのか。そこに入るためにどんなことをしたのか。それって本当に一人の人間の生い立ちから関係者全員のキャラクターを想起しないといけないわけでして、こりゃ骨の折れる作業だな!

結果としてその作品がどうなったかというと――すごく微妙なラインで(苦笑)「可もなく不可もなく」を体現するかのようなご評価をいただきました。
でも、苦心惨憺して生み出した「自分だけのキャラクター」、そりゃ好きにならざるを得ないし、まるで我が子みたいに感じるのも当然ですね…。

私は、長く在籍してきたせいか、やはり書きやすさという点では格段に二次創作に軍配が上がります。今も二次創作はガンガン続けていますが、読み手さんにも二次創作の方が読んでもらいやすい気がしています(これは単に私の主観でしょうね、二次なんか読まないという人もいらっしゃいますし)
ただ、かつて友人からもまるで今回のことを見透かしているかのように「一次は一次で深い沼だよ…気をつけな…」と言われたことがあって。
そして、その苦しさも何もかも味わって、一次創作の真の面白さに気付いてしまった今、確かに抜け出せなくなっている気がしております…

「いい気になって調子こいて一次小説書いてみた」だけだったのですが、もうすでに「また違うお話を書いてみたい…ウズウズ…」と次回作の構想を練ったりしているわけです。

何にせよ、オタクでいる事は楽しいものです。
二次も一次もどっちも楽しいやったぜ。



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