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「トイ・ストーリー」と核兵器の意外な関係

・映画を見るのは簡単なことである。
・映画を見るのに特別な知識や経験は必要ない。
・映画は感性で味わうべきもので、それに対する分析や批評は野暮である。

もしかして、映画に対してそんな風に思っていませんか?
ですが、私はこうした意見には同意できません。

私は「映画を見ることは難しい」と考えています。

「そう言われてもピンとこないなあ」というあなたにこそ、この先を読んでいただきたいのです。「難しいのなら別にいいや」と思ってページを閉じかけた方は、騙されたと思ってもう少しお付き合いください。これからあなたのその認識を変えてみせたいと思います。

このページを読み終えるころには「映画を見ることは難しいけど楽しい」という考えに変わっているはずです。

さて、「映画を見ることは難しい」と言われて首をかしげるのはおそらく普通の反応です。一般に、映画を見てその内容を理解することは、むしろ簡単なことだと考えられているでしょう。

小さいお子さんをお持ちの方であればなおさらそう思われるかもしれません。「うちの子はジブリやディズニーのアニメーション映画を見て、しっかり内容を理解して楽しんでいる」というご家庭はたくさんあるに違いありません。

子どもから大人まで、誰が見ても直観的に理解できるのが映画の強みであり、だからこそ身近な娯楽として親しまれているわけです。

たしかに、映画がわかりやすいものだという認識は一面の真理を突いてはいます。じっさい、映画はそのわかりやすさゆえに長らく「大衆娯楽の王者」として君臨してきました。

ですが、それはまやかしの真実に過ぎません。

難しさを押し隠し、いかにも簡単そうな顔をして現れるところに映画の奥深さがあると言ったらいいでしょうか。

「トイ・ストーリー」から読み解く「フロンティア」精神

「トイ・ストーリー」というアニメーション映画のシリーズがありますよね。ピクサー・アニメーション・スタジオの代表作で、日本でもよく知られている大ヒットシリーズです。

子どもから大人まで多くのファンを持つ「トイ・ストーリー」はわかりやすい映画の筆頭と言っていいでしょう。

作品を見るにあたって特段の前提知識を必要とするわけではありませんし、練り上げられたストーリーも明快そのものです。

誰もが気軽に楽しめる作品ですが、そこにはアメリカの歴史と国民性、ハリウッド製のジャンル映画の記憶がこれでもかとばかりに色濃く刻印されているのです。その点を意識するのとしないのとでは、作品鑑賞の質がまるで変わってきます。
 
「トイ・ストーリー」は、その名の通りオモチャたちの活躍を描いた作品ですが、主人公のウッディがカウボーイ(保安官)の人形に設定されているのはなぜでしょうか?

また、ウッディの相棒役のバズ・ライトイヤーがスペースレンジャーなのはなぜでしょう?

映画研究者の川本徹は『荒野のオデュッセイア 西部劇映画論』(みすず書房、2014年)のなかでこれらの疑問に答えてくれています。この本の内容にそって解説していきましょう。

カウボーイとスペースレンジャー。

一見すると何の共通点もないように思われるかもしれませんが、アメリカ人はこの二つをあるキーワードによって結びつけます。それは「フロンティア」です。

アメリカにとって西部のフロンティア開拓は「明白なる天命(マニフェスト・ディスティニー)」でした。その様相を描いた西部劇という映画ジャンルは一大隆盛を誇り、長らく古典的ハリウッド映画の中枢を占めていました。

カウボーイとは西部劇の主人公にほかなりません。しかし、西部が開拓され尽くしフロンティアが消滅したのと同様に、ジャンルとしての西部劇の人気もやがて下火を迎えます。

そこでアメリカ人(ハリウッド映画)が次に見定めたフロンティアが「宇宙」でした。

「スター・トレック」シリーズの冒頭のナレーションが「宇宙、そこは最後のフロンティア」であったことを思い起こしてください。カウボーイとスペースレンジャーは新旧のフロンティアを象徴するヒーローであり、この二人がバディを組んでいるのはアメリカ人にとってきわめて理にかなったことなのです。

カウボーイと宇宙の相性がよいのは『スペース カウボーイ』(クリント・イーストウッド監督、2000年)といった“そのものズバリ”のタイトルを持った映画の存在を考えても明らかでしょう。

比較的近年の作品では、火星からの脱出を描いた『オデッセイ』(リドリー・スコット監督、2015年)なども西部劇のエッセンスと宇宙を掛け合わせた映画です(劇中で主人公のマット・デイモンが「カウボーイ」という単語を何気なく口ずさむ瞬間を見逃してはなりません)。

さて、フロンティアは空間的な広がりだけを指す概念ではありません。
そこには「テクノロジー」の問題も密接に関わってきます。

『トイ・ストーリー3』(リー・アンクリッチ監督、2010年)の冒頭ではアンディ少年の見る夢が描かれます。

西部劇には欠かせないモニュメント・バレー(巨大な岩山が広がる地域)のなかを列車が走り抜けていきます。

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この列車を舞台に、列車強盗と保安官の戦いが繰り広げられるのですが、宇宙船やレーザービームなど、さまざまなテクノロジーを用いた応酬の果てに、強盗団は「サル爆弾」という兵器を使用します。

爆発後に赤いキノコ雲を形成する「サル爆弾」は、明らかに核兵器をモチーフにしています。

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実は、アメリカ西部と核開発には歴史的に深い結びつきがあります
モニュメント・バレーには核兵器の原料となるウラン鉱床が存在し、広大な砂漠地帯を有する西部一帯では繰り返し核実験が行なわれてきました。

西部劇と核兵器の組み合わせを描いた映画としては、たとえばスタンリー・キューブリック監督の傑作ブラック・コメディ『博士の異常な愛情』(1964年)がありますね。この映画では、カウボーイハットをかぶった軍人が核爆弾にまたがって落下する印象的なシーンが見られます。

このようにアメリカ西部には、19世紀に文明化を後押しした鉄道という古いテクノロジーと、20世紀に開発が進んだ核兵器という新しいテクノロジーの記憶が同時に眠っているのです。

夢が無意識の反映であるとする精神分析の教えに従うならば、アンディ少年の見た荒唐無稽な夢は、アメリカ人の無意識をきわめて正確に映し出していたというわけです。

「横のつながり」を意識する

少々込み入った話にお付き合いいただきましたが、映画を見ることの難しさ、あるいはその妙味のようなものをお伝えすることができたでしょうか。

子ども向けと思われている「トイ・ストーリー」のわずかなシーンには、アメリカという国家のたどってきた歴史やその国民性がまるごと折り畳まれているのです。

もちろん、そんなことに思い至らずとも、映画を楽しむこと自体は可能です。

映画のわかりやすさにあえて身を委ねてみること。それもまたひとつの見識には違いありません。ですが、あえて意地悪な言い方をするならば、やはりそれはちょっと安易な態度なのではありませんか。

たしかに映画は表面的にはわかりやすいものがほとんどです。そして、わかりやすいものを直観的に受け取る経験は快適なものでしょう。そうした時間をつくるのは決して悪いことではありません。

でも、そのような鑑賞体験ばかりを繰り返すのは成熟した大人の態度ではないと思っています。映画のわかりやすさに留まることは簡単です。ぜひそこから一歩踏み出して、映画の奥深さに触れてほしいのです。

映画を見ることは難しい。だからこそ、挑戦する価値がある。

私はそのように考えています。

知識を身につけることで映画の見方はさらに広がっていきます。先ほど「トイ・ストーリー」と西部劇について紹介した際、意図的にいくつかほかの映画のタイトルを挙げました。個々の作品を深く見られるようになるだけでなく、映画には「横のつながり」が存在することにも目を向けてほしかったからです。

映画史の膨大な情報を前にして、メタな視点からその特徴を抽出し、それぞれにラベルを貼って使えるように整理し直すことは、「ビジネスの基本」にもつながるのではないでしょうか。

知識にくわえて、ささいなセリフや演出に気づく鋭敏な感性もまた映画の見方を深めてくれるでしょう。そうした研ぎ澄まされた観察力や注意力は、人生のさまざまな場面に活きてくるはずです。

重要なのは、知識や感性は後天的に身につけたり磨いたりできるということです。

知識や感性を磨くのに遅すぎるということはありません。もちろん若い頃の方が知識の吸収は早いかもしれませんが、年を重ねたからこそ見えてくる境地もあるでしょう。しかも、受験や高度な資格試験のための勉強とは違って、修行的な苦労も必要ありません。

そのためのわずかな一手間を惜しむかどうか。その積み重ねはやがてあなたの人生に大きな違いをもたらすでしょう。

1本の映画を見るためにはおおよそ2時間ほどの時間が必要です。同じ2時間を過ごすのであれば、ほんの少しの工夫と意識づけでより大きな成果を得られるようにしてみませんか

(※この記事は『仕事と人生に効く教養としての映画』(PHP研究所)の「プロローグ」に加筆修正を施したものです。)



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