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依存と愛は違うこと

今日は大きな一歩だった気がする。彼女が会いにくる?って言ってすぐにいく!って返事したけど、結局疲れてしまったので行かない選択をした。
依存症である自分ではこの「疲れてるから今日はやめておく」という決断すらできなかった。

前提として自分は既婚者でバイセクシャルだ。2年ほど関係のある女性をいまでも好きだけど彼女は結婚相手を探している。結婚しても自分のことを好きでいるといてくれてるし、信じているし、結婚を経験したいという彼女の思いもわかる。
女性なら結婚・出産は特に経験したくなる。私も子供は欲しいと思う。色々難しいけど。

最近、愛着障害や恋愛依存症について調べるとすごくピンとくることがある。
彼女に見捨てられないか、会わないでいるとどこかに行ってしまうのではないか、だってそもそも自分は既婚者だから。そんな不安から、常にLINEしたり、会える日は1時間の道のりをmtgの合間をぬって移動してた。それは簡単そうで、とても難しいことだった。一応仕事もしてるから。家のこともやりつつ、会いに行くことは大変だけど彼女にまた会える!からできていた。

自分の心の声

「本当は、疲れている。会いたいけど会いに行くのが大変。
でも会いたい」その時思ったのは”心を犠牲にしてまでやることは違うんじゃないか” だった。ふとそう思った時に、涙が溢れてきた。なんでここまで自分は頑張ってんだろうと。
自分は、見捨てられ不安の症状にあるように自己犠牲をしまくってる。
彼女に尽くし、金銭的にも体力的にも自己犠牲をしてきた。それが彼女から見てもらえる唯一自分ができることと信じてやってきた。でも無理もしていた。

彼女のために、自分ができることを全部やった。欲しいものはプレゼントしたり
多く払ったりするのは嫌いじゃない。でもやりすぎていたようにも思う。
自分から離れていかないようにと。
彼女の家に行く時にいつも持っているスポーツバッグの中身を見ると、彼女が歯磨き粉を買い忘れてたこともあり、バッグには試供品でもらった歯磨き粉が入ってた。彼女が美容パックを買い忘れたのを聞いて、それもバッグに入れてた。

そう全てが彼女のための生活になってた。そんな自分が可哀想になった。
自分の幸せは人に依存して得れるものじゃない。一見繋がっていられる喜びはあるけど自己犠牲や依存になってしまっては、自分の幸せが相手次第になる。
「こんなに尽くしてるのに」「今何してるんだろう」そういった感情は相手の態度から出てくるもので少しでも目を向けてくれないと悲しくなる。

もうこんなのは嫌だ。だから今日は会いに行くのをやめた。元々明日も会いに行く予定だったけどそれもなしにした。今週は疲れてる。自分を休ませてあげたい。

こんな簡単なことができないのも悔しかった。彼女は自分が来る前に大掃除してたって言ってて、尚更申し訳ないと思ったし、やっぱり会いにいこうかなとも思ってしまった。でも違う。変わりたい。自分の軸を持って生きたい。心を自立させたい。

会いに行けるけど会わない選択なんてこれまでしたことがなかった。
でもここ数週間で自分は彼女に依存しているとわかったし、これまでもそうだった。もちろん依存したっていい。でもしすぎていて、結果ネガティブになるならやめたい。誰のためでなく自分のために。

小さな一歩だけどこれは大きな一歩になる。
私は自分で自分の楽しみを見つけたい。見つけていくんだ。

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