情けなさと優しさ

つい先日。私の祖母が緊急入院した。

脳梗塞。

当たり前が当たり前でないと改めて痛感する出来事であった。
大切な人、周りの家族と過ごす日々が当たり前でないと痛感するのはこの半年で2回目。

幸いにも容体は安定しつつある。病院に救急車で搬送された時は身体が動かないとのことであったが、少しずつ身体も動いているとのこと。

私は両親と共に祖母のお見舞いに行った。

お見舞いといえどもこのご時世。
タブレットの画面越しのお見舞いである。

タブレット越しに映った祖母の姿は辛そうな表情。身体が少しずつ動くようにはなったとはいえ、身体が動かしにくく、痛みなどもあるのであろう。

主に両親が話して、私は特段話すこともなくそれを聞いて、見てという状況だった。
一通りの話題が話し終わった後、両親は私が来てることを祖母に伝え、私と祖母が話す雰囲気になった。

しかし、なんて声をかければいいか分からなかった。いい大人なのだがそれでも分からなかった。
私はそもそもシャイでおとなしくて、祖母の家に行っても話しかけられたら話す程度であった。
だからなおさら、分からなかった。

すると祖母はこう言った。

来てくれてありがとう。何にも話さなくてもいいし、おばあちゃんも話せないかも知れんけど、声聞けるだけでいいしまた電話とかかけてね。

と私に伝えてくれた。

それを聞いて私は泣きそうになった。
涙が溢れ出そうになった。

祖母は辛いのに、それでも私のことを気遣ってくれた。その優しさとこのような状況下で何もできない私の情けなさから。

結局、私は祖母に何も伝えることはできなかった。平日は仕事で中々電話はできないし、土日は両親が家にいたりして、どことなく恥ずかしさもあるからきっと電話はできないと思う。

情けない。

だが情けない私はメールを祖母に送ろうと思った。何を送るか全然決めれず、分からないけど、送ろうと思う。

そしてもう一つ。病院を訪れた際に、看護師の方がタブレットの準備などをして下さったが、とてもいい方だなと素直に私は感じた。

そう感じたのは、コロナ禍でこれまで以上に神経を使うお仕事であり、お忙しくされてるであろう中でも、私の両親が感じた不安などを全て聞いて下さり、私の祖母の様子もしっかりと私たち家族に伝えて下さる。
その看護師の方を見てすごいなぁと素直に思ってしまった。医療従事者の方への尊敬の念を改めて感じ、感謝の思いも強くなった。

私もサラリーマンとして勤務するが、最近は何のために働いてて、私はお客様であったりたくさんの人に何ができるのだろうか、と考えることが多かったため尚更そう感じた。

私の改める箇所はまだまだあり、未熟であると痛感した。

学んだことを無駄にしないよう、一歩ずつでも前に進みたい。まずは祖母へのメールから。

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