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働いていると本が読めない理由を探るなら脳科学から迫るべきでは

読んだ。

この本は、現代の多くの人々が抱える「仕事に追われて読書が楽しめない」という悩みに焦点を当てている。著者自身も兼業で執筆活動を行っており、労働と読書の歴史を紐解きながら、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を探っている。

俺自身もこの問題を強く実感していて、以前に本しゃぶりで記事を書いたことがある。

この問題が俺個人だけでなく、世間一般でも広く共有されているからこそ、この本がベストセラーになったのだろう。

本書の面白い点は、昔の読書がどのようなものだったかを知ることができることだ。主に労働と読書の歴史を扱っており、かつての読書の位置づけを知るのは非常に興味深い。労働と読書と言えば自己啓発書が思い浮かぶが、以前にメタ自己啓発書を色々と読んだ経験から、自己啓発書の人気は今に始まったことではないと改めて感じた。社会情勢によって求められる教えは変わるものの、自由で責任が伴う社会では自己啓発書は常に必要とされるのだ。

しかし、本書が提示する「本が読めなくなった理由」については、首を捻らざるを得ない。本書では「読書とはノイズである」と主張している。つまり、自分が求めている以外の文脈や偶然性も取り込む知的行為だというのだ。ある意味で余計な知識だからこそノイズと呼んでいるのだろう。

読書と対比させる形で「情報」という概念を出しているのも興味深い。「情報」とは、今求めている純粋な知識で、余計なものが無いものだという。文脈や周辺知識は不要で、ピンポイントな情報のみを求める社会になったのだと説明している。

このように、本書は読書ができない理由を、社会によって変化した人々の価値観や意識で語っている。「社会階級」や「権威性」といった言葉を使いながら、社会と価値観について語った上で、「仕事以外の文脈を取り入れる余裕がない」から本を読めないと結論づけている。

しかし、俺はこの論理展開に疑問を感じざるを得ない。確かに社会による価値観の変化は影響があるかもしれないが、もっと単純な理由から攻めていくべきではないだろうか。例えば、認知資源やドーパミンといった生理的な要因を考慮する必要があるのではないか。

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