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Mr.CHEESECAKE創業者・田村浩二は、 なぜ大きな成功を手にできたのか? 13の成功法則(前編)

 コロナがやってきた今、求められているのは、大きなパラダイムシフトだと思っています。ビジネスも、経営も、組織運営も、働き方も、ライフスタイルも、大きく変えなければならなくなっている。もう、かつてのやり方ではうまくいかなくなってきているのです。
 では、アフターコロナ時代のあり方とは、どのようなものなのか。それをみんなでシェアしたくて、オンラインサロン「Honda.Lab.」では、さまざまなゲストを招いてディスカッションをさせてもらっています。
 その中から、とっておきのエッセンスを記事化してnoteで紹介することを考えたのが、この企画。後にマガジン化する予定の「アフターコロナをどう生き抜くか」です。

 今回は、オンラインショップでの限定販売にもかかわらず、瞬く間に売り切れてしまうチーズケーキで知られ、昨年はセブン-イレブンとのコラボレーションでも大きな話題になったチーズケーキのオンラインショップ、Mr.CHEESECAKE創業者、社長の田村浩二さんです。

 なかなか手に入らないので「幻のチーズケーキ」とも呼ばれていましたが、その人気ぶりは創業から3年経った今も変わっていません。

 チーズケーキのオンライン販売は、決して珍しい事業というわけではないでしょう。ではなぜ今、この事業で田村さんは大きな成功を手に入れることができたのか。
 田村さんはフランス料理のシェフから2018年に独立しています。いくつかの店を経験、パリにも修行に行き、星付きのレストランでシェフを務めていました。
 シェフというと、店を持ってオーナーシェフとして独立するのが一般的なケースですが、田村さんは手がけたデザートのオンライン販売という新しい独立の形を見せてくれたのでした。
 そして、Mr.CHEESECAKEの成功には緻密に考えた田村さんの行動がありました。僕なりに感じた「13の成功法則」をご紹介しようと思います。

フレンチのシェフがチーズケーキで独立

 まずは簡単に、田村さんがなぜ料理人の道に進んだのか、ご紹介しておきたいと思います。
「僕はずっと野球をやっていまして、高校まで野球しかしていないような学生でした。ただ、野球で大学に入るというセレクションに落ちてしまったんです。勉強して大学に行くという選択もあったんですが、料理の世界に進むことにしました」
 母親が料理好きで、おやつも全部手作りしてくれていたのだそうです。あるとき親友の誕生日に、自分でケーキを作って持っていくことを思いつきます。
「それまでお菓子づくりを手伝ったこともなかったんですが、自分で調べて作って持っていったら、すごく喜んでくれたし、回りの友達も喜んでくれて。こういうことを仕事にできたら、自分はハッピーに生きられるんじゃないかと思いました」
 専門学校に進んだ田村さんですが、就職活動から独自の動きを見せていました。
「学校に来ている募集もあったんですが、あまり有名ではないところが多かった。それで自分で専門誌を読みながら、レストランの食べ歩きをしようと考えたんです」
 そして2軒目に食べに行ったのが、Restaurant FEU。当時は、下村浩司さんがシェフを勤めていました。
「食べ終わった後、サービスマンの方に、ここで働きたいと申し出まして。僕の学校から新卒を採ったことはなかったそうなんですが、研修2日間と面接で合格になりました」
 ところが半年ほどで下村さんが辞めることになり、田村さんも辞める道を選びます。そして1年ほどの準備期間、いろいろなところで働き、今ミシュラン2つ星になっているEdition Koji Shimomuraの立ち上げメンバーに加わります。
「その後は、イタリア料理で2年半ほど働き、フルコースを5000円のワンコースで食べられる新しい仕組みのレストランL'ASに移ったあと、フランスに1年間行きました」
 最初の半年は、南フランスのMirazurへ。ミシュラン2つ星で世界のレストランランキング12位の店でしたが、今は3つ星でランキング1位になっています。


「まさにトップオブトップのレストランで働かせていただいて、そのあとパリで半年ほど働いて、帰国してTIRPSEのシェフをしていました」
 このときに料理界ではよく知られるガイドブック『ゴ・エ・ミヨ』の期待の若手シェフ賞など、さまざまな賞を受賞。その名を知られることになります。
「食べるのがすごい好きだったか、というとそうでもないんですが、母の影響もあって、味覚は幼い頃から鍛えられていたと思います。水羊羹を小豆と天草から作ったりしていましたから。家で食べたほうがおいしいから、という理由で外食もほとんどしていません」
 料理人の仕事は大好きだったといいます。専門学校を出るときも、フランスから戻ってからも、いつかは自分の店を持とうと考えていました。しかし、田村さんは別の道を歩み、成功をつかむのです。では、13の成功法則を見ていきましょう。

1.現状に疑問を持つ

 多くの人が、仕事を始め、業界に染まっていくと、それが当たり前のものとして受け入れてしまいます。しかし、田村さんはそうではありませんでした。
「やっぱり長時間労働だったり、休みの少なさだったり、ビジネスの構造的にスタッフの給与が上がりにくい、というのは強く感じていました。この構造の中で10年、20年と長く料理人をやって、本当に幸せになれるのか、というのは20代後半から考えていたことでしたね」
 自身もいずれは自分の店を、と考えていましたが、店舗を持つ、ということについても疑問を持つようになります。

「レストランはその場所に来ないと体験できないですよね。また、その体験の人数に制限があるというのも、良くも悪くもレストランの特徴です。どうして日用品や洋服はネットで買うのに、食べ物はネットで買わないんだろう、とか、生活はどんどん自分の便利なほうに動いているのにレストランという場所がなぜ一向に便利にならないんだろう、などなど疑問が浮かんで、僕の時代感的にマッチしなくなっていきました」

 物販の店でも、魅力的には思えなかったと語ります。
「製造以外に販売のスペースを設けないといけない。それは僕の中では死にスペースだという感覚でした。また、販売員の人件費もかかるし、そもそも一部の人しか来られません。それよりも、日本全国から注文できるほうが絶対に多くの顧客にとってハッピーですよね」
 今、自分だったらこうしたいな、と思うことを1つずつ整理していったら、飲食店で感じていた負の部分がどんどん解決していくことに気づいたと言います。それが、 Mr.CHEESECAKEにつながっていったのです。

2.裏側をしっかり見る

 レストランで働き始めたときから、田村さんは新人らしからぬ、ものの見方をしていました。
「僕はもともと理系で、数字が好きだったんです。だから、初めて働いたときから、なんとなく原価計算みたいなことをずっとしていたんです」
 納品書を見れば材料がわかります。家賃も聞けばわかるし、人件費もざっくり計算できる。
「そうすると、おおよその全体像が見えてくるので、自分たちが1日18時間とか20時間とか働いて立てている売り上げから、実際どれくらい利益が残るのか、お店を変わるたびにチェックしていて、その厳しさも理解していきました」
 また、田村さんが働いていたレストランのシェフたちは、レストラン以外にビジネスを持っている人が少なくありませんでした。大手のチェーンの商品開発に携わったり、レトルト食品を手がけたり。
「だから、レストラン以外に数字を作るものを用意しなければいけないという感覚が、20代前半からあった。それは、他の人とは違う興味の部分だったかもしれません」

3.長い目でブランド価値を作る

 田村さんが見てきたシェフたちは、大手と組みながらも名前を表に出さなかったというのも学びだったといいます。ブランドを意識していたのです。自分が作ってきたブランドをどんなふうに長い目で見て作るのか。それをしっかり考えなければ、取り組みが逆効果になるところもシェフの仕事の怖いところでもあるのです。
「実績を上げたシェフだと、そういう仕事が来やすいのと、条件もいいんですよね。これで満足してしまったりする怖さもあります」
 目の前を大事にするか、長い目を大事にするかは、ビジネスで大きく人が勘違いしてしまうところです。短期的に儲けることは、それほど難しいことではありません。難しいのは、それを10年、20年、30年と続けることです。

「売り上げを瞬間的に作ることは誰でもできると思います。ただ、ブランド価値を積み上げていくのは本当に難しい。人の信用と同じで、積み上げるのは大変でも、失うのは一瞬ですので。しっかり考えないと、将来的に長く続く価値あるブランドにはならないと思っています」

 食品でも、一時的に話題になって大きく売れて、失速してしまうケースはよくあります。短期的だけでなく、長期的な目線も必要になるのです。

4.自分の思いを発信し続ける

 僕と田村さんの出会いは実は8年前、パリに行く前でした。その後、帰国した彼が頭角を現していく中で僕が興味を持ったのは、彼のブログでした。文章がとても面白かったのですが、そもそもシェフがブログを書いて、思いを発信していくことそのものが珍しかったのです。しかし、彼は意図してそれをやっていました。
「シェフを務めたTIRPSEでは、僕は3人目のシェフだったんです。だから、誰も注目してくれなかった。雑誌に載れるわけでもないし、メディアに取り上げられるわけでもないので、どうやったら自分のことを知ってもらえるかな、と思ったとき、自分でメディアを作って発信してしまえば、と思ったんです」
 ブログはのちにnoteに移行していきます。

「どんなことを考えて料理を作っているのか、どんなところで修行をしてきたのか、それを自分で発信して、見てもらえたらメディアに出る必要もないし、そこで興味を持ってくれた人がお店に来てくれれば、そこでまた会話もできます」

 レストランで働いていると、シェフがお客さんと会話をするシーンは、たしかにかなり限定的です。しかし、自分の考えをオンライン上に置いておけば、興味を持った人は見てくれる。
「ある程度、僕のことを知って店に来てもらえれば、より深く僕の料理のことを理解してもらえる。そういう場所をオンライン上に少しずつためていく、という感覚でやっていましたね」
 ブログには賛否両論あって、そんなヒマがあれば料理を考えろ、という声もあったようです。しかし、思いを伝えることはとても大きかったと僕は感じています。ブログを読んでお店に来てくれる人も増え、田村さんはファンをつかみ始めていくのです。

5.自分を見つけてもらう

 ブログを始めてから約1年後、田村さんはブログをnoteに移管します。2018年の初めの頃。まだnoteが今ほどの盛り上がりを見せていない頃です。


「早いタイミングで使ったことで、恩恵を得られたと思っています。ユーザーが増えるごとに新規のフォロー候補にピックアップしていただいたりしたので、note側からの後押しも受けて、どんどんフォローが増えていきました」
 誰もやっていないことを、先にやることの大切さです。

「先行者利益は確実に存在しますね。そこをいかに早く見つけるかといいうのと、それが伸びていくタイミングにはまっているか、というのが大事になると思います」

 そして同じタイミングで始めたのが、ツイッターです。ツイッターは、自分を見つけてもらう最も手応えのあるSNSになったといいます。
「140文字という短い文字数ですけど、発信をnoteに引っ張ってくることもできたり、逆にnote からツイッターをフォローしてくださる方もいたりしたので、親和性が高かった」
 リツイートによる拡散性がやはり大きな特徴。2018年の初め頃はフォロワーは1000人もいないくらいだったそうですが、なんと1日で1万人フォロワーが増えたことがあったと言います。ツイートがバズったのです。
「ヨーグルトにドライマンゴーを刺してひと晩おいて食べるとおいしくなるよ、とツイートしたんですが、これが爆発的に拡散されまして。7万リツイートまで行ったんです」


 後に詳しく書きますが、この頃にはシェフをしながらチーズケーキも販売していました。10万人以上のフォロワーを持つ人がチーズケーキについてツイートしたものがバズり、注文が一気に殺到したこともあったそうです。
 その後も、応援してくれていたフォロワーの多い人たちが、「こんなシェフがいる」「このシェフをフォローしておくといい、と後押ししてくれたのです。
 そして田村さんは、ツイッターを驚くべきことにも使っていたのでした。

(後編に続く)

本田直之


田村浩二プロフィール
神奈川県三浦市生まれ。新宿調理師専門学校を卒業後、乃木坂「Restaurant FEU(レストラン フウ)」にてキャリアをスタート。 ミシュラン二ツ星の六本木「Edition Koji Shimomura (エディション・コウジ シモムラ) 」の立ち上げに携わる。 表参道の「L'AS (ラス)」で約3年務めたのち、渡仏。World's 50 Best Restaurants 2019 の1位を獲得したミシュラン三ツ星のフランス南部マントン「Mirazur (ミラズール) 」、 一ツ星のパリ「Restaurant ES (レストラン エス) 」で修業を重ね、2016年に日本へ帰国。 2017年には、世界最短でミシュランの星を獲得した「TIRPSE (ティルプス)」のシェフに弱冠31歳で就任。 World's 50 Best Restaurants の「Discovery series アジア部門」選出、「ゴーエミヨジャポン2018期待の若手シェフ賞」を受賞。 現在は Mr. CHEESECAKE の他、複数の事業を手掛ける事業家として活動。




(Text by 上阪徹

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