3月・卒業記念に母とピアス
耳たぶに計3つの穴があいている。
右に1つ、左に2つ。
触れると表裏にぽこっと感触があり、今でもちゃんと残っているんだなあといつも感心する。
穴はあってもピアスはしない。
かゆくなってしまうのだ。
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21年前の3月2日。
高校の卒業式を前日に終えていたその日、わたしは母と、耳にピアスの穴をあける約束をしていた。
わたし18歳、母45歳。
ずっとピアスに憧れていた。
でも校則で禁止されていたし、それをやぶるほどの不良ではなかった。
だから卒業と同時にあけようと決めていた。
母はわたしの「ピアス計画」に便乗した。
前からやってみたかった、と言っていた。
母と子の計画。
雑貨屋に売っていた「ピアッサー」という道具で(今でもあるのだろうか)、自分であけることに決めた。
使い方はかんたん。
まず耳たぶを保冷剤でしっかり冷やす。
そしてこのピアッサーで耳たぶをはさみガチャンと。
針と透明のシリコンピアスがセットされていて、穴があいたあと透明のファーストピアスが自動的に装着されるという仕組みだったと記憶している。
母は怖いと言った。
だから、わたしが先にすることになった。
大丈夫。全然こわくないし。
思いおこしてみると、わたしは母に弱音を吐くことが苦手だった。
わたしは大丈夫。
怖いものなんかない。
そうしていつも強がってばかりいたと思う。
ピアッサーでガチャンとする瞬間はきっと怖かったのに、平気なふりをした。
全然痛くないよ。
どくどくと熱を持ち始める耳たぶをよそに、そんなことをきっと言ったのだろう。
母は派手に騒いだ。
こわい、いたそう、いくよ!いくよ!あー、わー、ひー。
まさに卒業記念にふさわしい賑やかなイベントだった。
その後しばらくはわたしも母もピアスのある生活を楽しんだ。
わたしは透明のピアスにすぐ飽きてしまい、本当はピアスの穴が安定するようにしばらくしておかなければならないところを、すぐに自分で買ったピアスにつけかえてしまった。
2つのピアスが細いゴールドのチェーンで繋がれ、小さな星のモチーフが3つ、ゆらゆらと揺れるというデザインのものが特にお気に入りで、それは2つ穴のあいた左耳に毎日のように身につけていた。
母は透明ピアスをきっちりと、装着期間を守ってつけていた。
その間にいくつか購入し、特に気に入っていた様子だったのは、白いネコのモチーフの、やはりゆらゆらと揺れるものだった。
母とはピアスの貸し借りもしたが、わたしが持っていた中でも、色やデザインが落ち着いたものは借りようとしなかった。
「若い人が地味な色を身につけるのはおしゃれに見えるけど、お母さんがしたら本当に地味な感じになってしまうから」と。
その後である。
ずぼらなわたしはピアスをしたままお風呂に入ったり寝てしまったり、数日つけっぱなしにしたり。
ある日から耳がかゆくなるようになってしまった。
イヤリングは大丈夫でもピアスだとだめ、赤くなってかゆい。
しばらくはがんばってつけていたが、そのうちピアスをつけることをやめてしまった。
母なんて、ピアスをあけてから1年と少しで、耳たぶどころか体ごとなくなってしまった。
予想だにしなかった展開。
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母は知らないだろうけど、今はイヤリングだってあの頃よりもずっとずっとかわいいものがたくさん出ている。
イヤーカフなんていうものもある。
ピアスの穴があいていなくても耳周りのおしゃれは無限大。
でも高校の卒業記念に、まるでわたしの方がお姉さんのように、2人で決行したあのイベント。
盛り上がったよね、たのしかったよね。
なくなった人の気持ちを後からあれこれ想像して言うのはなんとなく気が引けるのだけど、でも、たぶんそうじゃないかなと思うこと。
母もきっとたのしかった。
だってさ、わたしも今は母親になって、子どもとそんなことができたら楽しくて嬉しくて仕方がないと思うから。
わたしも今年は40歳になる。
記念になにか買うのもいいなあなんて考えている。
たとえばイヤーカフ。
小さなパールのついた、上品で可愛らしいデザインのもの。
つけるたび、耳たぶにぽこっと残る感触を確かめるのだ。
あの日のイベントが現実だったという証。
まるで妹みたいだった母の姿。
庭に植えたチューリップの芽が出て、背が伸びはじめている。
今年も卒業シーズンがやってきた。
何もついていない耳たぶをひっぱってみる。
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