生ビールのゆくえ
小さい頃、祖母に「女のくせに」とよく言われた。
親戚が集まれば女性がせっせと動き、男性陣は座り込んでテレビを観ていた。それが不思議だった。
兄弟いとこの中で私だけが女の子。一緒になって遊んでいると私だけ手伝えと言われた。忍者ごっこをしたり、あぐらをかけば冒頭の一言だ。
もちろん素直に聞くはずもなく、反発を全身で表現した。(仏頂面、ドアを思いきり閉める、ドスドス足音をたてる等…)
子供ながらに理不尽さを感じていた。
この光景を思い出したのには訳がある。
つい最近私は久々に、本当に久々に外食をした。
家族で、平日の夕方なら混まないだろうと17時頃にはお店に入った。予想通りお店はすいていた。
私はお酒が大好き。いわゆる「のんべえ」である。一方、夫は全く飲めない。「下戸」だ。
なので外食だと私が呑んで夫が運転になる。これは我が家ではいつもの事で、子供達はおそらく「母親とはビールを飲むもの」だと思っている。
もちろん夫にはとても感謝しているし、最高のパートナーだと思っている。いつもありがとう夫!!
その日も生ビールを注文した。
問題はここから。
頼んだ生ビールは必ず夫の前に置かれる。これは私と夫が一緒に過ごしてきた12年の統計によると99%!(残りの1%は真ん中に置かれる。)
この日ももちろん夫の前に置かれた。見慣れた光景だ。
その日は暑かった。そして久々の生ビールだったのでおいしい!夫に二杯目を頼んでいいかたずねるとOKが出た。なので追加した。
空いたジョッキはもちろん私の前にあり、それを店員さんは下げてくれた。そして新しいビールはというと…夫の前だ!
最終的に「18時でサービスタイムが終わりますが、ビールの追加はよろしいですか?」と夫が聞かれていた。私の前に飲みかけのビールがあるにも関わらずだ。
これってすごいなと思った。
店員さんに悪気は全く無い。もちろん私も腹を立てたりはしない。ただ興味深いなあと思った。
この店員さんにとってはおそらく「ビールは男の人が飲むもの」なんだ。それは育ってきた環境だったり、周りの人がそうだったりするのだろう。
無意識の行動。
私にも「当たり前」だと思っていることが実は当たり前ではないという場面がきっとあるのだろう。気が付かないだけで。
まあ夫の方が単に声をかけやすかったのかもしれないけれど。あれ?それかな?
多様化の時代。
「女のくせに」などとはどんどん言わなくなっていくだろう。
それでも生ビールは相変わらず夫の前に置かれる。
今後も家族で生ビール調査を続けたい。
調査の為に生ビールを飲み続けよう。繰り返し言うが調査の為に…。
要は生ビールが飲みたい!!以上です!!
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