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豚を殺したい一心で

私の家系が今日まで存続できたのは、豚殺しの曽祖父がいたおかげだ。

曽祖父が生きていた頃の沖縄では、食用の豚や山羊を飼育している家庭がチラホラあった。我が家も、戦前は豚を飼っていたらしい。

食べごろに育った家畜は曽祖父が屠殺した。絶命した豚を捌いて食肉に加工するのも、曽祖父だった。

曽祖父のように豚を潰せる人は多くなかったから、近所の人は自分の豚を潰してもらうために、ちょくちょくうちに来ていたようだ。

連れてきた豚の一部を手間賃としてもらう代わりに、屠畜は無料で請け負っていたと聞いている。

こうして得た豚肉は、やはり曽祖父の手で塩漬けにされる。スーチカーという、沖縄の伝統的な保存食だ。曽祖父が丹念に漬け込んだスーチカーは沖縄戦で大活躍した。

戦時中はとにかく食べ物がなかったから。

当たり前だが、食べ物は食べるとなくなる。安全な防空壕の中で飢え死にするか、決死の覚悟で戦場へ食料を探しにいくか。

多くの民間人はわずかな望みにかけて後者を選び、戦いに巻き込まれて命を落としていった。恐ろしい世界だ。

そんな過酷な状況下で曽祖父一家が戦争を乗り切れたのは、彼が大量に貯蔵していたスーチカーのおかげである。

スーチカーが飢えを癒してくれたから、無理に食べ物を求めて戦場にいく必要がなかった。流れ弾に当たって命を落とすこともなかった。

曽祖父が豚を殺せたから、私の家系は存続できたのだ。

スーチカーは三枚肉で作る。

私の父は、餅に三枚肉を挟んで食べるのが好きだった。初めて聞いたときは「そんなことあるもんか」と笑い飛ばしたのを覚えている。餅のズットモはきな粉と相場が決まっているのだから。

それでも父は「これが1番うまい餅の食べ方だ」と言って譲らなかった。なんと餅ときな粉の友情を認めなかったのだ。そんなことある?

そりゃあ、餅は色々な食べ方ができる。あんころ餅、草餅、雑煮。実にバラエティ豊かだ。

あんこだろうがヨモギだろうが、餅は大抵の食材と打ち解け、良好な関係を構築して見せる。羨ましい能力だ。餅がコミュニケーション塾をやってたら迷わず通うね。

しかし、そんなコミュ強の餅でも。そんな餅の、数多いる友達の中でも、三枚肉は選りすぐりの変なやつだと思う。

あんこやヨモギをズットモ認定している餅は何度も見てきたが、三枚肉をズットモ認定している餅は見たことがない。父以外で。

味方がいないにも関わらず、父は「餅のズットモは三枚肉だ」という主張を曲げなかった。

父をあそこまで惹きつけていたものは何なのか。数年前、怖いもの見たさ(食べたさ?)で試してみたことがあった。彼らの友情を、己の舌で確かめる必要があると思った。

さっそく値引きシールつきの餅と三枚肉を買ってきて、ひと口。

正直に言うと、拍子抜けする味だった。

全身に衝撃が走るような感動はなく、かと言って「ないわ」と一蹴することもできない。「こんな感じか」が1番しっくりくる。そんな味。

とはいえ、こと美味しさに関して言えば、確かに想定よりも高いポテンシャルを秘めている。おそらく雑煮の子分あたりの地位は得られるのではないか。

餅と三枚肉との間にも確かに友情は存在していた。本当に餅はすごい。たまに人の命を奪うことに目を瞑れば、この上なく素晴らしい食材だ。

餅と三枚肉。この食べ合わせを、父はどこで発見したのか。

その答えは曽祖父にあった。また曽祖父だ(815文字ぶり2回目)。

曽祖父は私が生まれる前に他界しているので、詳しいところは分からないのだけど、彼は餅作りに長けていたと聞いている。

曽祖父が得意としていたのはオーソドックスな白餅。ご存知の方も多いかもしれないが、沖縄の餅は杵でつかずに作る。白玉のように、もち粉をこねて作るのが一般的だ。

しかし曽祖父は「本土では餅をついて作る」という話をどこかで聞いたらしく、出来上がった白餅を更に杵でついて仕上げていた。こうすることで食感にコシが生まれ、弾力性のある餅に仕上がったそうだ。

曽祖父の作る餅は美味しいと評判で、実際よく売れた。彼の餅を求めて遠路はるばるやってくる人も珍しくなかったらしい。

うまい餅を作るし、豚も潰す。おかげで戦争も乗り切った曽祖父は、まさに“芸は身を助く”を体現したような人物だったと思う。

話を戻そう。

父は幼少の頃、曽祖父の餅を食べて育った。あのうまい餅である。

前述した通り、曽祖父は餅だけでなくスーチカーも作る。父はそのスーチカーを見て、餅と三枚肉の食べ合わせを思いついたのだろう。

父の「餅のズットモは三枚肉」信仰は、曽祖父の餅補正によって磐石なものになっていたのだ。私が市販品で作った雑煮の子分では、あの味を再現できるはずもない。きっと、本当にうまかったのだろう。

私が笑い飛ばしたくらいではピクリともしない、骨太な思想を持つくらいには。

創作に行き詰まったとき、この食にまつわる家族の歴史を思い出す。

優れた作品を生み出すには、生きている豚を食肉にするような卓越した技術を叩きつけるか、餅と三枚肉を取り合わせる発想力を見せつけるかしかない。この家族史は、それを思い出させてくれる。

今の私は、豚を屠殺するにはあまりにも未熟だし、餅に三枚肉を挟んで食べようという発想力もない。だから、しょっちゅう創作に行き詰まっては頭を抱えている。

最近も随分と頭を悩ませていた。今書いているこの文章にも。

金になるわけではない。飢えを癒してくれるでもない。何より誰に強制されたわけでもないのに、なぜここまで懊悩する必要があるのか。

ふと冷静になって、そのつど目の前にある作りかけの作品を手放したくなるのだけど、結局また戻ってきて手をつけてしまう。

豚を殺す画期的な方法を見つけたと思って。餅に挟む三枚肉を見つけたと思って。まあ、そのほとんどが勘違いだったりするのだけれど。

それでも私は、勘違いを繰り返しながら創作を続けるのだろう。

「不毛な豚殺しはやめてスーパーに行け」と言われても。「新感覚の商品は毎日発売されてる」と説き伏せられても。

私は創作を続けるのだろう。

曽祖父の餅と三枚肉が何十年と父を魅了し続けたように、私も誰かの心に作品を残したい。その一心で。

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