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いじめられて、嫌な人がいない人生を切り開くことにした。自己紹介①



1990年生まれ。青森県八戸市出身。

幼少期は、恥ずかしがり屋。
幼稚園では、目立たない子だったと思う。


小学校の中学年くらいになってくると、
自分の立ち位置というものがよく見えて来る。
可愛くない。
モテない。
自分は世界一かわいいのではなかったのか?(親の愛情の賜物)
足の速い子がモテるのではないのか?(それは男の子)

当時は勉強がどうとか、
秀でた才能があるかどうかよりも
一般的に
かわいいか
かっこいいか
足が速いか
おもしろいか


結局モテるのかモテないのか
そんな判断軸で生きていた気がする。


一方で、テストは100点ばかりだったし
作文コンテストも、感想文コンテストも、絵画コンテストも、運動会のかけっこも1位だった。
縄跳び大会だって優勝したし、水泳大会もリレーのアンカーだった。
学校代表で弁論大会にも出場した。
通知表は6年間オールAだった。
そうか、自分は優秀かもしれない。モテないけど。
優秀なら今後の人生なんとかなると思う。モテないけど。
そう思った。





中学にあがると、新入生代表挨拶をした。
調子に乗っていたこともあり、
1年生の時はクラスの女子全員から無視されるという
いじめにもあった。
人生で初めて枕を濡らした。


その後八戸市代表でアメリカへ海外派遣され、ホームステイした。
(早くに海外の文化に触れられたのは本当に良かったと今でも思うし、
選んでくれた先生や、許可してくれた親には感謝しかない。)

陸上部では、走高跳びで優勝。
生徒会役員にもなり、朝から晩まで忙しかった。
中学でも通知表は3年間オールAだった。
内申書無双してた。



中学校はそれなりに面白かったけど、
この時のいじめの経験から、
「人は手のひらを返す」
「人に過度な期待はしない」
という考え方をするようにもなったと思う。


私なりの反抗かな。
だから私は傷つきませんよ!っていう。


今思うと、中学生の時期は
今後の人間関係について重要な時期だったなって思う。
大人になればなるほど、
嫌な人との付き合いかたって考えていかないといけないと思う。


私は正直、嫌な人というのがあまりいない。


というのも、考えてみると
嫌な人って思う基準が低い(期待していないから)
嫌な人と出会っていない(出会うのを事前回避)
嫌な人と関係を続けない(自分に正直になる)


って気づいた。

とくに、嫌な人と出会わないっていう能力がけっこう長けているほうだと思っていて
その鼻が効くようになったのは
この中学生の時期があったからだと今でも思っている。

この辺の話はまたどこかでお話できればなって思います。


そして、通知表無双のわたしが、

高校生活で挫折をするのです。


自己紹介②へつづく







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