真実の値 [SF短編]
私たちは地表面を緋色の砂がうっすらおおう星を歩く旅人で、寄る辺もなく国境もなく漂流をつづけながら生きている。否——漂流、という表現はいささか語弊があるかもしれない。星間資格を有した人形技師である彼は、本来ならば各国の要請を受けて招聘され、アンドルメル銀河のほろびゆく文明社会においては稀少な技術者であるはずだ。人形技師は、ドロイドたちにとっては医師でもあり、生命維持のための内部機構を書き換えることができ、彼らにはじまりとおわりをもたらすことができる唯一の存在である。
ドロイド。母星で急速な発展を経て実用化された機械人形たちは、いまや全宇宙において必要不可欠な存在だった。稼働数はもはや総人口を優にうわまわり、多くの国家でドロイドとヒトは共生を推奨されている。こんにち、最も浸透しているのは、もともとは介護ロボットとして開発されたモデルで、やわらかなきふをそなえたボディと流暢な語彙をあやつる人工知能により、ヒトを愛するよき隣人としての機能を託されたオート・マトンだった。
すがたかたちは、ヒトと変わらない。太古のむかしにはシリコンや油分を素材とした軀体をもっていたそうだが、百年ほど前に開発された新たな原料により、ドロイドを構成する物質はニンゲンの肉体にぐっと近づいた。体温も、触感も、血液さえも望むがまま。心臓だってオプションで搭載可能だ。むろん、ヒトの再現を忌避する団体の圧力もあり、流通しているモデルの大多数は腐食することのない人造肉の利用が一般的ではあるのだが。
——申し遅れてしまったが、私はドロイドだ。ミラーと分類される個体であり、彼にとっては「最初の」ドロイドである。
人々は生涯に何体ものドロイドを所有し、換装し、破棄し、介助者として理解者として人生をともに歩む。親から子へ贈呈される第一のドロイドはミラーと称され、はじめての友人、あるいはきょうだいかのように扱われ育つのだ。彼に私を授けたのは血縁者ではないが、彼の身を案じた孤独な男である。師弟であるふたりの関係性は家族にも近しいだろう。その文脈において、私はやはり彼のミラーであるといえる。
13歳の夜に旅立ってから、彼が各国をめぐる技師となった今も、関係性は変わらない。ともにいのちが与えられた瞬間から併走をつづけている、無二の半身。
それでは、旅の途中に訪れた31つめの国について話そう。
その国では真実の値が数値化されていた。世にでまわる全ての言論と情報は、国家直属の特務機関により真偽性を検証され、F値と呼称される数値を付与される。F値とは真実性を示す数値で、より高い数値を与えられるほど、信憑性を保証されているといえた。情報にF値を付与するのはマザー・コンピューター「H」の情報処理機構。そうした制度が実用化され、市民社会に浸透していたのだ。
出入国には制限があり、閉鎖的で厳格な小さな国だった。国の中枢である塔状のメトロポリスに私たちが訪れたのは、稼働限界の近い旧式のドロイドの修理のためだった。資産家の男の従者として働く女性型のモデルで、人形技師である彼の技術なくしては延命はむずかしい状況だったのだろう。どこからか伝手をたどり、国の上層部をまるめこんだ男は、優秀な星間資格保有者を——彼を賓客として招くことに成功した。
かくして私たちは大陸横断地下鉄道を経由して、国の市街地にまろびでた。
しかしそこからが難題だったのだ。依頼主である資産家の男は入り組んだ都市の上層にあるそうで、土地勘のない私たちは、街中のインフォメーション・スタンドで地図を購入せねばならなかった。
「観光客かい、珍しいね。この国に訪れる旅人はもう途絶えたものだとばかり。いやいや、嫌煙してるつもりはないさ。ようこそ。ようこそ、我が国へ。お探しの情報がございましたらぜひうちで。」
店主の男は調子のいい造り笑顔でカウンターに地図を広げた。台上では書架から持ち出した紙束が幾重にも重なる。しばらく顎に手を当てて考え込んだあと、私の傍らで彼がおずおずと尋ねた。
「これは——どの地図を選べば僕たちは目的地にたどりつけるのでしょうか。」
質問の意図は明らかだ。彼はこう言いたいのだ。——どれが本物の地図なのか? 用意された紙束にはそれぞれ異なる図面が記されていたから。紙束を指先で叩きながら、店主は底意地の悪い顔をしたままからりと笑った。
「この国の制度は知ってるだろう。例外なく、どんな情報であっても検閲の手からは逃れられない。けれども発信の自由までもは規制されていないからね。低F値のクズ地図なんて商品もあるわけで、全ては受け手の取捨選択に委ねられている。まあ、きちんと定刻通りに目的地にたどり着きたいのであれば、こちらのF値5500以上の地図をお薦めするがね。」
必然的にF値の高い情報は高値で、低い情報は底値で取引されている。つまり富める者であれば対価を払い真実を得ることができるが、貧しい者は手を伸ばそうとも虚偽を掴むことしかできない。私と彼は、ここまでやりくりしてきた路銀を再度計算し、相談と折衝の末にF値7250の地図を購入した。
店を出てから、彼はぽつりと呟いた。
「ここにはあまり長居したくはないな。」
私は首を縦に振って同意した。値段交渉で疲れ果てた彼にかけるべき言葉を言語野のデータベースから検索し、独自の編集を加えて発声する。
「おれたちは流れの身だ。仕事を終えたら早々に退散すればいい。情け深い君のことだから首を突っ込みそうなものだけど、ここで生活をしているドロイドたちにあまり同情するなよ。」
あえて厳しい発言を選択すると彼は口を噤んだ。とりとめのない沈黙を経てから、地図を手に、私たちは遊歩道に沿って歩き始める。
「それでも人々は生きていくのだろう。ここを楽園だと思うべきか、それとも終末だと思うべきかは、僕にはまだわからない」
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旅をする彼と私、人形技師とドロイドのはなし。SF掌編小説として書きました。