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『自分より優れている人を避ける自分』を深堀りする。

今日は、ちょっと後ろ向きなお話。

ふとある時、自分より明らかに優れて秀でている人を、避けて、心から受け入れることを拒否している、自分がいることに気づく。

なぜだろう?と深堀してみることにする。

結論。その方が楽だから

自分よりすごい人がいることを見てると、とにかく苦しい。

自分より上にいる人を認めると、自分と比べてしまう。
自分はどうしてこんなに何もできないんだ。
自分はどうしてそこに行けないんだ。
自己否定が止まらない。自分は全然ダメだ、と。

それだけではない。
相手や周囲からどう思われているかも、無意識に考えてしまう。
優れている?人が、私を見たら、「なんでこの人はこんなに頑張ってないんだろう」と思うかもしれないし、周囲の人が相手と私を比べて「なんでこの子はできないのだろう、やらないのだろう」と思うかもしれない。

だから、距離を置くことで、自分を守っている。
自分が相手と比較して苦しむこと、周囲から比較されて苦しむこと、から自分を守っている。

「やらない、やれない自分」を正当化することさえ、できてしまう。
彼・彼女と違ってやりたいこと、熱中できることがまだ見つかってないだけだとか、時間がないんだとかいう『行動しない言い訳』と言う名の大皿に、一緒にそっと添え加える。

自分より優れている人を遠ざけることは、自分の世界を狭めることにつながる。
成長できる機会を、損失していると感じている。

しかしその将来への機会損失を被ってなお、



なんて、ネガティブなのだろう、暗いのだろうと思う方も多いだろう。
こうやって書いていると、私は自己受容がまだまだ全然できていないのかもしれない、と思い至る。

誰かと比較するなんておかしい、馬鹿げてるって思いつつも、自分のことを誰かと比べてる。
ありのままの自分でいい、と思いつつも、ありのままの自分をさらけ出せる人なんて、実際にはほとんどいない。

以前よりはだいぶ比較しなくなったと思うが、SNSや YouTube が当たり前になった世の中では、自分より優れている人がどうしても目につきやすいから、比較してしまうきっかけが多い。

あるいは、『自分は頑張れていない』と認識していることの裏返し、かもしれない。ポジティブに言えば、伸びしろがある、と言えるのかもしれない。
何とでも言えるのだけど、それを悪いように捉えているのが私の現状だと言えよう。

ちなみに、今回についてはバイオリズムの関係もありそうだ。いま、かなり精神的に落ちている時期。
イライラするし、お腹も頭も痛いし、何もしたくないからYouTube とか受動的なメディアばっかり見ていると、キラキラした人がたくさん目に入ってきて、余計に辛くなる。

こういう落ちてしまいやすい時こそ、きっとメディアから離れた方がいいんだな、と今初めて気づいた。
来月からは、そうしよう。
面白くて読みたくてたまらなくなる漫画や小説を、そのために集めておこう。



たわいもない話で大変恐縮ですが、今日はこの辺で。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!



hona



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