「街」で戦い、「町」に帰る
地元が四国高知のとある田舎町なのだが、
県庁所在地のある高知市とは、車で1時間ほどの距離がある。
賑わっている市内からはぐれて暮らしているわたしたちは、高知市のことを「街(まち)」と言っていた。
『ちょっと街までいってくる』
『明日は街でみっちゃんと遊ぶ』
こんな感じで地元ではなく、高知市内まで足を伸ばすことを表現していた。
もちろんわたしが住んでいた町にもスーパーや銀行、ゲーセンが集まっている商業エリアはあった。しかしそれを「街」とは呼ばない。
あくまで「街」は高知市内で、さらに言えば帯屋町を始めとした大きなアーケード商店街とその周辺を指していた。
幼心に自分が住んでいる田舎町も「まち」なのに、なぜ高知市内だけを「街」というのだろうか…。と不思議に思っていたのだが、辞書を引いたら理由がわかった。
まち【町・街】
「町」は、人家が多く集まっているところ。また、地方自治体や市街の小区分をもいうが、この場合は、「ちょう」とも読む。「町並み」「町外れ」「城下町」「町ぐるみ」「村が町に昇格する」
「街」は、商店のたち並ぶにぎやかな街路や区画をいう。「若者の街」「街を行く人々」「街の声」「銀座の街角」「街の灯」「ネオンが輝く街並み」
《参考》「城下町らしい落ち着いた町並み/飲食店が並ぶにぎやかな街並み」のように、前者は比較的広い地域の町に、後者は主に繁華街などに使う。「町並みに(=町ごとに)門松を飾る」の場合は、「町」を使う。
(学研国語大辞典より引用)
なるほど、そもそも「町」と「街」は別物で、「街」は繁華街を指すらしい。
たしかに地元にネオンは輝いていないし、
営業しているのかしていないのかわからない商店が民家や畑、
林の途中にひっそり存在しているという、住んでいたわたしですらどう形容したら良いのかわからない町並みだった。
そういう訳で、地元の町は「町」で、高知市内にある繁華街が「街」だったのだ。
たしかに父の職場もわたしの高校も市内にあった。
よく飲み会帰りの父を車で迎えに行ったし、高校の帰りに「街」で遊んだ。
娯楽も仕事も戦いはすべて、自宅から遠く離れた繁華「街」で思う存分やりきり、気が済んだら心休まる田舎「町」へ帰るのだ。
東京で暮らす今もこの習性が染み付いていると気がついた。
家は23区外にあるが、飲みに行く場所は新宿や渋谷が多い。
今の地元が嫌いなわけではないが、
どこであってもやっぱり自宅は「町」であってほしい。
そんな「町」に戦い疲れたわたしを迎えてくれる、心優しい家族が出来てもいいかもしれぬ。
そんなことを思い始めた東京10年目の初夏であった…。
編集:アカ ヨシロウ
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