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はじめての仕事に就く人たちへ、そして私へ。

最初の会社に入社したとき、学生と社会人の定義が「勉強する人」と「働く人」でしかないことにウンザリした。

日を追うごとに「働くとは、あらゆる我慢に耐える人」のことだと思ったし、「仕事ができる人とは、上の人の言うことが聞ける人」だとも感じた。

社会人になるって一体なんなのだろう。

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最初の職場では、上司と言われる人たちは大概に威張っていた。心持ちが威張っていたと言うよりは口調が威張っていた。

新人である私たちに求められたのは「フレッシュ感」だった。一律して、何も知らないけれどやる気はあるみたいな状態を期待された。スキルでなく、
状態を褒められることがなんとなく苦しかった。

その後、数年働いてその職場を退職。オーストラリアにしばらくいた。日本に帰りたくなくて、しばらく発展途上国を歩いた。いろんな国を知っていくうちに、日本だけ特有の労働者文化があると感じるようになった。

どういうことか。

私たちの住む日本は「働く人はえらい人」「稼ぐ人はもっとえらい人」と言う意識が、子どものころから自然と刷り込まれている。

子どもたちに「将来何になりたい?」と言う質問を大人がよく投げかける。この質問の背景には大人側の期待が少なからず見え隠れすると感じる。

大人側も同じ。その人が仕事を楽しんでいるかどうかよりも「何の仕事をしているか」「どの企業か」「どの役職か」で人となりを決める人も多い。退職をネガティブに捉える人も多いし、働いてない期間を悪く見る人も多い。

とにかく言葉の端々に「働くこと」へのヒエラルキーの高さが求められている。そんな風に感じるようになりました。

そんなことに気がついてからは、日本で働くことに嫌気がさしてしまっていた。けれども、帰国後に国内で再就職した。

けれども再就職先は、最初の職場と環境が驚くほど違った。その職場では、自分のスキルを磨くために学び続けている人ばかり。学ばないと仕事についていけないのもあった。学んでいるからこそ誰もが「自分は如何に未熟か」を理解していた。だから、厳しい人はいたけれど威張っている人はいなかった。

そしてスキルアップした人は、どんどん転職していった。それは逃げの転職というより、卒業みたいな感覚だった。

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これは、私の20代のエピソード。もう20年も前のことです。

振り返ってみて感じることがありました。最初の職場に嫌気を感じたのは環境の問題ではなく、自分自身の未熟さだったのかもしれません。海外の文化や国内での再就職先がよく見えたのも、環境と言うより自分自身の問題も大きくあったのでしょう。若いと言うのは知らないことが多く未熟で当然。

未熟だと苦しいことも多い。知ったようなことを言うのだけど、苦しい渦中にいると俯瞰的に物事を見れない。けれど、後で振り返ってみると全てはきちんと繋がってる。今現在、嫌でしょうがない日々を送っている人も、それは未来の良い状態の自分に繋がってる。

そのために大事なのは、意味がないように感じる日々でさえ、とにかく明日に繋げること。繋げていくと悲劇が喜劇に続いていることに気づく。それを何度か繰り返すことで人生後半は、若い頃よりグンと生きやすくなる。

来月45歳を迎えます。今でもまだジェットコースターのような毎日で、感情の浮き沈みも激しい。けれど、振り返ると辛かった経験全てが、今の自分の一部だし過去の私に花束を送りたくもなる。

だから今現在、八方塞がりだと感じても何とか明日に繋げる。そんな今の自分に対し、未来の自分が花束贈りたいと思ってくれるんだと思うと少し笑えてくる。

これからはじめての仕事に就く人たちへ。そしてはじめてのキャリアをスタートさせる人へ。そして、私へ。

明日はまた別の今日。
大大大、なんとかなる。
未来の自分が花束持って歩いて来てるよ。

#はじめての仕事

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