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暇と退屈から

啓蒙の弁証法を読む過程で出てくる言葉に文化産業がある。暇と退屈の倫理学という本の頭出しは、この文化産業の話である。テレビやマスコミが今の時代では文化産業と言えよう。
そこには、発信者の意志をそのまま受け止め、思考停止をしてしまう我々に対する注意を促している。
この『暇と退屈の倫理学』は浪費と消費の関係や知識や気付きの関係が問われている。

暇と退屈の倫理学 (新潮文庫)

さて、昨晩は友人たちとあるテキストを読んでいた。『反・仏教学―仏教VS.倫理 (ちくま学芸文庫) 』

その中で認識の話になった。仏教では、唯識や空という考えがあり、我々の認識をゆるがせ考えさせる。唯識などは人人唯識とも言い。それぞれの認識の違いを問題にしている。我の認識や常識は、隣の人の認識と完全一致はしない。それぞれの願望や欲望が関わっているという話である。
そんな話をしながら、『暇と退屈の倫理学』の環世界の話をした。ダニがどのように動物の血を吸うのかという話があり、ダニの時間と空間を認識しているのか?という話である。(詳しくは204頁以降を参照のこと)
動物にせよ、人間にせよ、それぞれの認識器官に基づいてものを見ている。
そんな中で我々はどう社会を築き関わりあうのか…それを『仏教vs倫理』も『暇と退屈の倫理学』も考えているし、今のウクライナ戦争もそこの問題が存在する。
そう考えてみると考え深い。答えはないのだが…

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