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恐ろしい

過日、ミャンマーのアウンサンスーチーさんが拘束されたニュースが流れた。民主化への抵抗ということなのであろう。

機を一致させたわけではないが、読んでいたのは、

ロヒンギャの問題はニュースなんかでは聞くがはっきり認識できていなかったので読み始めた。

さて、個人的な興味は、ナショナリズムと宗教の問題ですが、これもまた考えさせられる。本来、仏教は不殺生を説く。しかしことの始めから、ナショナリズムと宗教が絡んでいる。

右翼僧ウィラトゥ師は軍事政権化では、反イスラム教のビラを配り、治安を乱したと逮捕投獄さんていたが、民主化にともない恩赦、排他的発言をしている。民主化がある意味で、問題を顕在化させたとも言える。

また、ティータグー僧正なる僧侶が、軍人たちにスリランカ僧侶が編んだパーリ語の叙事詩『マハーヴァンサ』を用いて、非仏教徒殺害を肯定したことも述べられている。しかも自らが述べたのでなく、スリランカの僧侶が述べたと付け加えているとのことである。

個人的には、テンプルモーニングラジオでも述べたがブッダや宗祖の言葉を引用する場合、それを用いる我々に責任は確実にあると考えている。

その点で、亡くなられた僧侶たちや仏教に汚名を着せるのは如何なものであろうか?

スーチーさん自身は国際法上のジェノサイドを認めてはいないが、国軍の犯罪を認めていること。国内事情で対応に限界があることが、時系列も含め整理されている。(民主化以前のスーチーさんがロヒンギャ・ムスリ厶をバングラデシュ人と言っていたこと、民意がどこにあり、政治家がそれにしばられることも触れられている。)ある意味でスーチーさんがかなり綱渡りな政治バランスを取りながら、現実的路線を歩んできたかが見えてきます。

その上で著者は、今回の選挙での勝利からどうなって行くのかを注視している表現をしていたが…

というわけで答えがある話ではない。今のミャンマーを冷静にメタ認識する。宗教とナショナリズムが関わる危険性を直視する。その意味においても、考えさせられる一冊です。




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