『指揮のおけいこ』*

今は亡き世界的名指揮者、
岩城宏之さんがデビュー時、
レコードをかけながら
指揮を稽古したそうである。
1956年NHK交響楽団で
チャイコフスキーの「悲愴」を指揮。
その自主稽古での話だ。

指揮者としての正式デビュー、
岩城さんは半年もかけて練習。
何枚もの「悲愴」のレコードを
購入して聴き比べてみる。
トスカニーニの「悲愴」に
強く感動してこのレコードをかけ、
毎日5回指揮を繰り返した。

トスカニーニになりきって、
最初は鏡に向かって棒を振り、
リアルすぎるとガラス窓に映る
自分の姿を見ながら指揮をした。
偉大な指揮者も初めはレコードを
聴きながら指揮をしたのかと驚いた。
まるで漫画じゃないか!

しかし岩城さんはわかっていた。
レコードに合わせて振ってはいけない。
レコードよりも少し先をいった
指揮をしなければいけないことを。
そうでなければオーケストラを
引っ張っていくことができない、
オケは音を鳴らすことはできない。

トスカニーニになりきるといっても
当時は写真を見ることしかできない。
どんなふうに彼が振ったかは
想像するしかなかったはずだ。
それでも岩城さんはトスカニーニに
なりきって必死に稽古を重ね、
オーケストラを引っ張った。

汗みどろのハチャメチャな指揮で、
思いの半分も伝わらなかったと語る。
しかし盟友の外山雄三は証言する。
「大暴れの大熱演だったが、
これまでの日本にはなかった指揮。
火の玉が降った」画期的だった。
大熱演は周囲に思いが伝わったのだ。

*文春文庫『指揮のおけいこ』岩城宏之著