小澤征爾さんとボク

小澤征爾さんが亡くなった。
ボクが大学生の頃、毎朝、
小澤さんはベラ夫人と一緒に
小学生の聖良ちゃんを連れて、
学園の校門までやってきた。
小さな聖良ちゃんは
両親と手を繋いでいた。
ボクらはそんな小澤さんを見て
家族思いの人だと思ったものだ。

この学園の中等部に
小澤さんは昔いたのだ。
ラグビー部に入って練習中に
指を骨折してピアニストを諦めた。
高校時代に恩師となる
齋藤秀雄先生の指揮教室に入り、
指揮者としての一歩を踏み出した。
先生の誘いで桐朋短大音楽部に入り、
厳しい指導を受け続けた。

卒業後は群馬交響楽団と
日本フィルで研鑽を積み、
単身フランスに渡った。
ブザンソン指揮者コンクールと
カラヤン指揮者コンクールで一位、
カラヤン、ミュンシュ、バーンスタインに師事、
シカゴ響、トロント響、サンフランシスコ響を経て、
ボストン交響楽団の音楽監督に就任、
29年間の長きに渡って指揮をした。

録音したアメリカ版のレコードを
ボクは逆輸入の形で聴いたものだ。
ベルリオーズの幻想交響曲は
いまでも大切な宝物となっている。
恩師のサイトウキネンオーケストラ、
やがてセイジオザワ松本フェスティバル。
長野オリンピックでベートーベン第九を演奏、
ウィーンフィルニューイヤーコンサートを
日本人として初めて指揮した。

ボクが大学生の時に学園の記念講堂で
小澤さんがコンサートを行った。
無料だったゲネプロを聴きに行って、
トイレに入ると小澤さんがいた。
一緒におしっこをした中である。
小澤さんは40代半ばだった。
学園60周年記念で日本フィルを率いて、
フォーレのレクイエムを演奏した。
学園を心底愛していた人だった。