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第3話 船出

ことのはを風に伝える神、ほのほつみはマストの先端からじっと見つめていた。まさに今、多くの兵士が列となり、船に乗り込んでいるのを。
これから船を連ねて大陸へと渡っていこうというのだ。
5000トンをはるかに超える船が何そうも、港の岸壁にずらり並んでいる。


いくさに赴く2000名あまりもの兵士の一団が、兵の隊ごとに決められた船に次々と吸い込まれていく。
兵士は一様に皆無口で
「この国の土を踏めるのはいつのことか」
と不安を押し殺すかのように。
兵士は、敵にかちで立ち向かう歩兵隊。大砲を操る火砲隊。兵器や食料、衣料を運ぶ輸送隊。医療に従事する衛生隊と隊ごとにわかれているが、実にさまざまな部隊がある。

一団の兵士のひとりに喜平がいる、所属は火砲隊である。
火砲隊での喜平は兵や馬を整える役目にある。
位でいえば隊長の下くらい、偉くもなく、さりとて一番下っ端でもない。
20歳はたちのころ兵役に2年ほど就いた喜平は、いまよわいは40を越えた。この間20年近くいくさくことはなく、4人の子持ちの農民として生計を立ててきた。
近ごろのあしかび国は、いくさを他国にまで広げ、兵やいくさのための物資が足らなかった。
新聞やラジオの勇ましい報道とは裏腹に、すでに日々の暮らしで不足するものが生じてきていたから、「いずれ我が身にも」と喜平はうすうす感じていた。
そして、手もとに「兵として出兵するように」と告げる紙が届いた折、「いよいよわが身か」と震えた。
「もはや農民となったわれに火砲が扱えるか」。
不安な手探りのなかでの出兵であった。

船に乗り込む兵士たちを見送る家族や友の姿はそこになかった。
兵を見張る役の兵、憲兵が敵国のスパイがいないか、鋭い目を投げている。
兵士たちの哀しみは、このきわに、いつ帰るとも知れない長い別れを告げるものがいない、そのことだけではなかった。これから自分たちがどこに向かうのか、向かった先でどんないくさをするのか、それがまったく告げられていないことだった。
だれもがその不安を口にできず、あるものは捨て鉢になって強がりの笑みを浮かべる、それが精一杯のから元気であることをだれもが気づいている。弱みを表情に出せない兵士のおのが身をあわれと思った。

馬がクレーンで吊り下げられている。
腹のところに布をあてがい、高々と吊り上げられた馬は、観念したのかおとなしい。なすがまま、船底へと下ろされる。
馬は、武器や食料を運ぶための駄馬だば、火砲を運ぶ輓馬ばんば、敵の様子をうかがう斥候せっこうや位の高い将校が乗る騎馬きばと、いくさの役割ごとにわけらる。わける基準は、馬体がたくましいのは輓馬ばんば。すばしこく、勇ましいのは騎馬きばと、馬の体つきや気質などで一応は決めた。
兵士の間では、馬は下っ端の兵士よりも大切に扱われ、ひと以上とうわさされていた。いくさには欠くことができない、大切な友なのである。

喜平は知っていた、この船に積み込まれる馬のなかに、喜平と同じさとの馬がいることを。
馬の名を記した一覧に「天竜号てんりゅうごう」というさとの地名を冠した馬を見つけたとき、喜平は懐かしい友を見つけたようで、胸が熱くなった。
天竜号とはどんな姿形なのか、一覧には「栗毛くりげ」と毛色が茶であることが記されているが、濃いのか薄いのか、人なつこいのか、神経質なのか……。きっといくさが広がり、われと同じく兵力として国から求められ差し出されたのだろう、とおもいをいろいろめぐらせた。
ほのほつみは、マストの上にあっても、「ともに生きてこの地を踏めるように」という喜平のひそやかな願いを知っていた。ただ、帰還はなかなか容易に実現できそうにないことも……。

ぼぉーと、天に向かい汽笛きてきが吠えた。
「ひっ」と、ことのはを風に伝える神、ほのほつみはマストから空に舞った。海をこえて鳥をはこぶという南風はえに乗って、どこまでも突き抜ける青空の、さらに上までのぼっていった。
かもめが眠たげな目でそれを見ていたが、海をみつめる甲板の兵士からは、ことのはを風に伝える神、ほのほつみの姿は知られなかった。

岸と船をとつなぐ船橋がはずされ、ロープが解かれた。
どすぐろい海水がスクリューでかき回され、船が岸から離れる。やがて港の外へとかじを切り、船は速度を上げる。
今一度、別れを告げる汽笛が鳴らされ、兵たちが岸に目をやると、町の小ささよ……。
かつてはあきないで栄え、多くの商人あきんどが行き来していた港の町は、今は町に息吹いぶきが感じられなかった。スレートの屋根でおおわれた兵器工場のみが、煙りを空に吐いていた以外は……。

【旅だちの唄-とこよへ】
帰ろうよ 青の島へ
海風がよす 白い渚へ

なぎの夕暮れ あの世の唄が立ち上がる
懐かしき声の よみがえる

水平線のかなたより 早くも星の生まれたる
唄の島へ 帰ろうよ

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