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廊下の奥にレンズの男

ひながみずからくちばしで殻を割るように、森繁るヒンジャブ国あかつきが生まれた。
老影絵師が撃たれ殺された昨夜さよの惨劇は、すでに遠い昔の出来事のように、だれにも伝えられることなく、闇にほうむり去られようとしてた。
路傍にたおれた亡骸なきがらは、赤い腕章を付けたあしかび国の兵が立ち去ったあと、仲間の手でそっと片づけられ、墓地の片隅に埋葬された。
ことのはを風に伝える神、ほのほつみは、小さき神ながら己の無力さを思った。
神物語をいきいきと語る人間がいたこと、その人が目の前で撃たれたことなど、せめてだれかに伝えたいという思いから、父を頼るごとく、農民上がりのあしかび国の兵士、喜平のもとに、神宿る輝ける鳥に乗って飛んでいった。

喜平は、森繁るヒンジャブ国の「南の大島」の兵舎にいた。兵舎は、あしかび国に敗れたORANGA(オランガ)国の兵舎で、そこを使っていた。
兵舎の中庭に椰子やしの木があり、喜平は強い日差しをけるように、木陰で平和なひと時をいこうてた。
神宿る輝ける鳥がぶるぶるっと、羽根をふるうと、ほのほつみ椰子やしの葉に舞い落ちる。まるで光の粒が舞い散るかのように。
そして、まっすぐに木陰の喜平に向かっていった。
ちくりと頬の傷みを感じた喜平は、刺したものを払うため手を頬へと動かした。が、その正体がすぐに分かったので、はたくのを止めた。

「おー小さき神よ、しばらく姿が見えなかったが元気だったか?」
まだ半分寝ぼけ顔の喜平に、ことのはを風に伝える神は、神物語を語る影絵師のもとを訪ねたこと、その影絵師が赤い腕章を付けたあしかび国の兵に、わけもなく撃たれ、亡くなったことを、喜平の耳元で告げた。
そう、まるで子が今日の出来事を父に語るかのように。
「それはなんということを。赤い腕章といえば、治安を護るための兵だろう。にしてもいきなり撃つとはな。これからあしかび国が、ヒンジャブ国を治めることになるだろうが、それではかえってヒンジャブ国の民らから反感を抱かれるばかりだ」
「ほんとあまりだよ。かわいそうだよ。影絵師さんは、何をしたというんだ。むしろあしかび国がきたことを喜んでいたのに」
「これからどうなることかな。わしも、そろそろ故郷くにに帰れるとよいのだが……」
「そうだね、ただ……」
「ただ、なんだ?」
「あとちょっとだけがんばらないといけないかも」
「……そうか。おまえはわしの行く末を見通せるのだったな。若い連中は、天の中つ国からヒンジャブ国までの勝ち戦で、故郷くにに帰れるぞと喜んでいるが、ぬか喜びか、仕方あるまい」
喜平さん、あなたはまだこれからいろいろ苦労するかもしれないが、私はどこかであなたを必ず見守っているからね」
「ああ、次会うときまで、期待せずにまっているよ! いて!!」
こののはを風に伝える神、ほのほつみは、別れの挨拶あいさつ代わりに、喜平の頬をちくりと指した。

「野木曹長、隊長がお呼びです」
「おお、そうか」
そこに立っていたのは、自動車火砲隊の運転手、川村だった。
喜平の呼びかけに、川村がにやり微笑ほほみかけ、口のでなにかが光った。
「なんだ、川村、金歯にしたのか?」
「はい、なんでもヒンジャブ国では金がたくさん採れるそうで、なかまといっしょに、パンジャブ国の歯医者でかぶせてもらいました。それからこれも」
と昨年、軍隊にはいったばかりの初年兵の川村は、腕時計を見せた。
「ほ~、金メッキにしたのか。おまえの若さがうらやましいよ。まあ、あのがたぴしの自動車をよく操ってくれたからな、ご褒美ほうびだな」
「はい、自分もそう思って」
「なんだ、こいつ、しゃあしゃあと、少しは口を慎め。ほかのものの目もあるんだぞ」
川村の腹をぐっとつついて、喜平は兵舎に入っていった。

隊長室は、兵舎の廊下の奥にある。喜平は、廊下をぎしぎしきしませながら歩いていった。
その奥にだれか立っているようだ。近づくと、丸く黒い縁取りの眼鏡の見慣れぬ男?
「見たことのないヤツだが?」
喜平は目をこらし、位が自分よりも上か下か見極めようと、立ち止まった。奥の暗がりで不気味にレンズが光を放つ。
喜平は、この光景をどこかで見たと思った。それがどこであったのか、なかなか思い出せない。
記憶を探っていた間に、黒縁の眼鏡の兵は姿を消していた。廊下の奥は行き止まりのはずだが?
「はて、強い日差しにやられたか?」
喜平は、気を取り直し、とんとん、とゆきついたところにある扉をたたく。
「野木曹長、入ります」
「入れ!」

扉の向こうにいたのは、見慣れた隊長の丸顔であった。
「さっそくだが、野木曹長。いま、軍本部から極秘の報せが入った」
「はい」
「明日、ヒンジャブ国の港に着いている船にのり発つようにとのことだ」
「明日、でありますか?」
「そうだ。明日中にとのことだ。すぐに兵や馬、物資などを再度調べし、一覧表を作成してほしい」
「わかりました」
「ただし、自動車は軍本部に返納する。山砲はふたたび馬で運ぶそうだ」
「それではいまの馬の数では足りません。食べ物や資材を運ぶので手一杯であります。新たにそろえるとなると明日までというのは少し難しいかと」
「わかっておる! 火砲用の馬はあとから送ってもらう。その馬が何頭必要か、その数も出しておいてくれ」
「わかりました」
「よろしくたのむ。……なんだ? まだ聞きたいことが?」
「あの、次は、どこへゆくのでありますか?」
「軍本部の命令だ、わしにも分からん」
そのとき、喜平は、「あっ」と声を上げた。
「なんだ?」
「いやなんでもありません、すぐにとりかかります」
「よろしく頼む」
喜平はさっと敬礼をし、扉を閉めた。

声を上げた瞬間、喜平はある光景を思い出した。
喜平が子どものころ、村の鎮守の社の夏祭りに、芝居小屋がたった。
舞台には、顔をまっしろに塗りたくった役者が立っていた。男性と女性のふたり、女性が男であることは、声の調子からすぐに分かった。別れの場面のようで、哀しげな三味線の音色。
男が笠を頭にのせて、女を残してさっていく。ふと台詞せりふがとだえた瞬間、舞台の脇にあるかがり火に蛾が飛び込んだ。
じっと焼け焦げる音。いや、音などしなかったかもしれない。が、喜平はその音をたしかに聞いた。
おもわず怖くなって、暗がりに逃れ、うろついた。気が付けば、舞台の裏に来ていた。そこにいたのが黒縁の眼鏡をかけたせた男だった。暗闇であったはずなのに、レンズだけがきらり光った。
「あれは夢だったのか? いや確かに見た。あのレンズの男をみて、しばらくして父が突然死んだのだ。それから我が家は苦しくなり、俺たち兄弟は働きづめに働いた」

翌日、森繁るヒンジャブ国の南の大島の港から一団の兵たちをのせた船が発った。その一団に喜平の火砲隊もいた。港を出て、しばらくして船は面舵おもかじを切った。
「ああ、やはり南にいくのか」
川村は、昨晩、自動車火砲の運転手から、馬での荷物運び、輓馬ばんばの世話役を喜平から告げられた。
初年兵で、国に戻れるとは思っていなかったが、一部の古株の兵隊があしかび国に戻ったのを知っただけに、「勝ちいくさのご褒美ほうびとしてひょっとして俺も」と淡い期待を一瞬抱いた。その期待をした己をのろった。そして、「期待はすぐに裏切られるもんだ」という先輩の教えをしみじみかみしめていた。
ぼぉー。
汽笛が泣いた。

【南へ】
旅は憂いもの辛いもの 可愛い子には旅をさせよ、なんてね
 あ~あ、可愛いあのはどうしてる?
へぇへぇ、浦島太郎は亀の背にのり竜宮城へ
 乙姫様が待っているってか?

振り上げた太刀の下こそ地獄なり 真剣勝負は度胸が肝心
 免許を取るより度胸を取れ
ヘソ下三寸臍下丹田せいかたんでんをはなつ
 身から出たさび ほんとくそ野郎だぜ

おいおまえ、夢を見るのもいいかげんにしろよ
 馬鹿は死ななきゃなおらないって、おれのことだよな
身を捨ててこそ浮かぶ瀬がある、ともいうぜ
 身をすてて水底へ ぶくぶくぶくなんまいだぶつ

・叙事詩ほのほつみ の物語のあらましは、こちら

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