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小さきものの名を呼べば



うしお巡るひろつ流れ海の南、ラボーレ島。その島にあしかび国の火砲隊の兵、喜平が、マラリアの熱に浮かされていた。
喜平は、その数日前、天幕のなかでマラリアに侵され、高熱にうなされているところを、部下の兵に見つけられ、近くのこの野戦病院に運ばれたのだった。

「病院」といっても、この世を造りし一つ神を信じるhyutopos(ヒュトポス)の民がラボーレ島の民に神を広めるため建てし堂。それをあしかび国が、奪って、いまは戦場の兵のため野戦病院として使っている。

野戦病院は、木造の骨組みの上に椰子の葉でいた建物だった。
診察を受けた喜平は、「床」の上に寝かされた。それは、病院はマラリア患者ですでにいっぱいで、ベッドが足りなかったからだ。
が、喜平にとって天幕でないだけ救われた。
床の上に毛布を敷き、蚊を避けるため蚊帳を吊り、そこに6人ほどの兵士が、雑魚寝ざこねする。
喜平は、熱を下げる注射を打たれ、一時的に熱が下がった。とにもかくにも、一命はとりとめた。

「身体だけは丈夫で自慢だったが、歳のせいかな」
と、だれにいうともなくひとりごちた喜平であった。
「何を弱きなことを」と隣の兵から、声がかかった。

「あんた、ことしでいくつになる」と隣の兵がいてきた。
「うん? ことし数えで、44歳しじゅうしだ」
「俺と同じだ。位は?」
「曹長だ、山砲隊のな。あんたは?」
「俺は、歩兵部隊の軍曹だ、あんたより位は下だな」
「甘いも酸いも知り尽くした軍曹様だな」
「おれはな、こんなとこでくたばるわけにいかんのだ」

その兵は、だれかに語るわけでもなく、入隊前の話をしはじめた。
熱は下がったとはいえ、ひとつひとつに受け応えする気力もない喜平は、から返事で聞くともなく聞いていた。

隣の兵は、兵になる前、世間でさんざん悪事をはたらいたという。女も泣かせたし、警察の世話にもなった。が、どうしても忘れられない女がいる。その女は、俺の子を産んだ。身を固めるために籍をいれようとという時、兵隊にとられた。
「だから、女と子どもの顔を見るまでは死ねん」
「そうか、俺にもこっちに来てから生まれたがいる。あんたの気持はよく分かるよ、早く治して帰れるといいな」
喜平が答えるともなく、答えた。
「ああ、故郷くにに帰りたいなぁ、かえって甘い甘い汁粉をのみたいな」
「ふふ、意外だな、酒じゃあないのか。いいな、甘いもんも、わしは甘酒かな?」

喜平は、冬、村の神社の境内で幼なじみの金治と飲んだ甘酒の味を思い浮かべていた。
あれは、祭礼でふるまわれたのだったな。凍えた身体にすとんと落ちる熱い熱い甘酒、息をふうふう吹いて口にすると、臓腑ぞうふに染み渡る。ため息をついて顔を見合わせた。そこに互いの真っ赤な頬があった。

「金治……」
もう会うことができなくなった友の顔を、椰子の葉の天井に思い浮かべていた。

「小さき神、どこにいる?」
心ぼそくなった喜平は、胸のなかで、ことのはを風に伝える神、ほのほつみを呼んだ。
が、小さき神、ほのほつみからの返事はない。喜平は、眠りに落ちた。

火を噴く山を背に、大きな蛇が女をからめている。女の顔は分からない。が蛇に絡まれ、女は泣いている? いや、あれは気持が良いのだ。
女の顔がぼおっと浮かんできた。それは妻に似ていた。

「つね……」
喜平は妻の名を呼んだ。
女は応えず、蛇に抱かれ、身もだえている。
すると、蛇が喜平にらんだ。蛇の目が強く光った。
蛇はいつの間にか、あのレンズの男になっていた。

レンズの男は、叫んだ。
さあ立て、立って戦うんだ。
ふふふ、王ノ王は国のために戦うお前たちを喜んで受け入れる。そして、死んだとしても、王ノ王につくした魂は永遠に祀られるのだ。
男のレンズはますます強い光を放ち、まぶしくなった。
と、そのとき、光のなかに何かが現れた。

最初は、小さな点だったが、少しずつ形を現し、やがて一羽の美しい羽根に覆われた鳥となった。
鳥は、長い尾羽をもち、身体全体が金色をしている。それがいま、レンズの放つ光より、大きく強く輝いている。
鳥は、羽根でレンズの男を包み込むと、くちばしで、男をつついた。すると、風船を割るようにいとも簡単に男は破れ散った。
それは一瞬で、音もなく、不気味なレンズの男は消えた。

喜平は、目を開けた。汗をびっしょりかき、薄闇の下、床に敷いた布に人の形のしみがでできている。
わしは、なにか夢ともうつつとも知れぬものを見ているようだ。これもマラリアのせいか?」
すると、光輝く鳥が目の前に現れ、喜平に向かって語りだした。

喜平さん、よくがんばったね。
私は、いま蛇神が護りし島の永久とわの色鳥に姿を借りている。
どうだい、美しいだろう?」
「おお、小さき神……。どこにいたんだ? ずっと待っていたんだ」
喜平さん、故郷くににいるころ、殺めてはいけない場所で、殺めてしまったまむしのことを覚えているかい?」
「蝮か? いっぱい殺したからな、覚えておらんな」
「だろうね。その蝮は、普通の蝮でなかった。蛇神の遣い手だったんだ。
喜平さんの娘がめしいとして生まれてきたのも、そのためだが、蛇神の怒りは、治めることができる」
「どうすれば良いのだ、教えてくれ」
「いいかい、この種を蒔くんだ。種は、1年で芽生え、2年めで葉が生い茂り、3年で天まで届くほどの大きさとなる。永久(とわ)の色鳥はもちろん、この樹は多くの命を宿す永久とわの樹だ。これを蛇神の護る島のひとつ、ラボーレ島に蒔くんだ」
ことのはを風に伝える神、ほのほつみは、そういうと、目の前から消えさった。光輝く永久の色鳥も消え、ひとつぶの種だけが喜平の手ひらにのこった。


長い夜が明け、朝となった。喜平は、昨野さよの夢が真実なのかどうか不安になり、ふと手のひらを開いた。そこに、一粒の種がたしかにあった。
「そうえば」と隣に寝ている「汁粉」の兵に目をやった。
兵の顔に、蠅が無数にたかっている。
「おい、顔に蠅が止まって……」
と声をかけ、蚊帳をめくって兵の肩をゆさぶり、起こそうとした。が、兵は動かない。すでにこときれていた。

それから喜平の熱は一度は下がったものの、またすぐにぶり返した。
火砲隊の隊長が喜平の様子を、心配してうかがいにきた。
「熱はどうだ」
「はい、一時的に下がったかと思うと、また上がります」
「心配だな。薬があればな、良くなるはずだが」
「心配をおかけします。でも、薬は、もっと若い兵に回してください」
「何をいうか。ここラボーレ島は、AMERIGO国と戦をするための拠点となる。半年後には、新しくまた初年兵がやってくる。その時に、兵を整え、指導する力が必要だ。そのためにも、お前にはまだまだがんばってもらわなくてはならない。
野木、一度前線をはなれ、しっかりした病院で静養してこい」
隊長にいわれ、喜平は、病気の原因を検査ができ、治療のための態勢が整った病院に移り、じっくり静養することになった。

【飛びたつもの】
おまえたちは何を残してきたのか
森に刻まれた深い深いわだち
木々に刻まれた深い深い弾痕だんこん
大地に流された血と涙

おまえたちは何も聞かなかったのか
森にさえずり交わす色鳥の歌も
ささやき合う者たちの哀しみの歌も
空にきえゆく叫びと祈り

見ようとしないものには見えぬ
聞こうないものには聞こえぬ
ひそかに飛び立つ色鳥の輝き
愚かなものらよ

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