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屠られし鶏

中天に夏の満月をいただき、農家の庭がぼぉっと明るく輝いている。
昼の熱気はいまは少ししずまり、朝顔は葉さきに露をいだき、夜のしじまをいこうている。草むらに邯鄲かんたんが涼やかな音色を奏でているが、家のものに届いているだろうか。

風をいれるため開け放たれた一枚の雨戸から灯火に親しむ虫たちが入ってくる。部屋に飛び込むや、生き物の血をかてとする蚊は、蚊遣りの煙ですぐに身もだえる。びろうどの衣をまとうは、ほの暗い電灯めがけて体当たりを繰り返す。
のまき散らす鱗粉りんぷんにまぎれているのは、ことのはを風に伝える神、ほのほつみで、今宵こよいの一家の卓をそっとうかがっている。


今宵こよいの月のように、まん丸い卓が家族のまんなかを占めていた。
その中心にあるのは、醤油で濃く煮つけたとり肉。それはついひるには庭でをついばんでいた鶏で、ほふったのは一家のあるじ喜平である。
家族で育てた鶏だったが、今宵が別れの晩餐ばんさんと、卵をあまり産まなくなった老いた一羽に目星をつける。
「勘弁しろよ」
喜平は心で祈りながら鋭く研いだ刃をそいつの首筋に当てる。
刃は瞬時、触れたかどうか、一筋の血が、あてがわれたばけつに流れ、鶏はこと切れた。
卓にはほかに、鶏の骨で取った出汁で煮込んだいも人参にんじん蒟蒻こんにゃくの煮もの。大豆のまだ青いのをでたもの、うり糠漬ぬかづけが並んでいる。これらは、喜平の妻、つねが今宵の晩餐のためにこしらえたものだった。

喜平の家族は、10歳の長男を筆頭に男の子ばかり4人、それと妻とその母の7人。
いま一同が別れの晩餐の卓を囲んでいた。
いつもなら、子どもたちが我先われさきにと箸を出すのだが、今宵はおとなしく父からのことばをじっと待っていた。
「みんな聞いてくれ、父はいよいよ明日、戦にくために家をつ。明朝は村のものたちが見送ってくれることになろう。そこで家族の皆としみじみ別れのことばを交わすいとまはない。今宵が別れを惜しむ、まさにそのときだ。
母のはらには来年早々に生まれるややこがいることはお前たちも知っているだろう。母は、家のことのほかに、父の代わりに野良仕事をせねばならぬ。
つね、おまえも、あまり無理せず、はらの子のことを一番に気遣うようにしれくれ。
義母かあさん、つねのことをくれぐれもよろしく頼みます。
そして、子どもたち、みんなで母を助けてほしい。
喜一、おまえは長男として父のいない間、この家を護るように。
誠二、兄を助けよ、そしてあまり友とけんかするなよ。
文三、おまえもまだ母に甘えたいだろうが、志郎はまだ乳離れしたばかりだ。母を困らせることなく弟の面倒を見てほしい。
みんなどうだ、できるか。」
「はい」
「そうか、いい子だ。よし、いただこう」
ひとりびとりのにもつ碗に盛られていたのは、白いめしだった。いつになくいもや麦はまじっていなかったことに子らは驚き、菜をとるより早く、まずめしに箸をつけた。子らの大きな口を喜平は眺め、思わず熱いものがこぼれた。

【ちさき神の唄】
粉ふりまきしの虫の その身のからを舟にして
ただよい ただよう ちさきもの
問われど名のらず 名のらば知らず
春にえいで夏に咲く その徒花あだばなとならずとも
秋にむすびしちさき穂の やがて野分のわけの風に
舞いあがり 舞う ちさきもの

羽をつけたる穂の穂群ほむら
風に託せしことのはの この世のあわれ伝えたる
見て来しひとのあわれなる ちさきものらの物語

うろんなひきの見たるもの この世のおわりか始まりか
ひきの友なるまむしどち その三角あたまの踏まれたる
蝮獲まむしとりと名にし負う 男の手業てわざにいちころさ
へび買いがへび買いにくる まんまとそやつに値切ららるる 

・叙事詩ほのほつみ の物語のあらましは、こちら


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