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第5話 上陸-姚光子の国へ

嵐は一晩中、船を木の葉のようにもてあそんで過ぎ去った。
葦芽のごとくひろつ流れ海に芽生えし島国、あしかび国の港を出て6日目、途中、嵐を受け天に向かって神の名を口にし、祈りを捧げた夜から、3日ばかりが経っていた。
翌朝、海はうそのようにいだ。朝日が一筋のほむらとなり、水平線からぼぉとたちのぼると、
「助かった」
兵士たちは胸をなでおろした。

嵐を過ごした船は大陸の東にある大国、天の中つ国の岸伝いに南下したが、南に下るに連れ、日差しが強くなり、肌にまとわりつく空気はけだるさを帯びる。
かつて、同じ天の中つ国の北の都市に兵士として出兵したことのある喜平だが、あの時は羽織はおったコートのなかまで凍えた。が、肌にまといつく熱気は、はじめてだった。
「同じ国ながらこんなに違うものか」
喜平は、大陸のこの国の広さを感じた。

喜平を乗せた船は、天の中つ国の南の都市の港に入った。
船が着いた港は、大きな河のほとりにあった。
それを「河」といって良いのか、太洋に浮かぶ島国、あしかび国になじんだものにとって、はるか地平まではるばるとしたそれはむしろ「海」と呼ぶべきだった。
天の中つ国の川のほとりに、何艘なんそうもの船が自由に行き来する港のその都市は、いにしえよりいろどりあふるる「花の都」とたたえられてきた。南に位置する都市は、名の通り一年を通して鳥がさえずり、花にあふれる。

竜がうねりもだえるように、大きな河が幾筋もの流れとなり、海へ流れる。
竜ははじめ勢いよくたけるように山の土を運ぶが、やがて竜はしずまり、海の近くに広い広い平野を生む。
平野は海へと乗り出すのにうってつけだ。
古くから大陸の東から西に向けて船できらめく布、絹を運んだ。その人と物の交流が都市の大きな源泉となり、都市を栄えさせた。
喜平せたあしかび国の船は、いまようやく都市の港にたどりついたのだった。

天の中つ国の南の都市は、これから冬のときを迎えようというのに、あちらこちら赤にあふれていた。
寺院の門も、町の店の看板も、路傍ろぼうの花も、まちを赤くいろどっていた。



兵士たちより一足先に天の中つ国に着いていたのは、つばめたちだった。
あしかび国と同じく、店や家の軒下に巣を作っていた。
あしかびを発つときにあんなに若かったつばめが、今や立派な大人に成長し、誇らしげに胸をはって飛んでいた。
つばめが一羽、巣づくりにと泥をはしでつかんだ瞬間、ことのはを風で運ぶ神、ほのほつみが、ぱっとそやつにとりついた。泥の種にほのほつみが紛れいたのだ。
「わぁ~、あれが姚光子(ヨウコウシ)さんのお住まいかぁ~。きらきらしてるなぁ」
空から眺める天の中つ国の港町のこんもりとした丘の上、しおと風の母なる神、姚光子びょうがより一段と光り輝いていた。

丘の下の港についた船の回りで待ってていたのは、荷を運ぶ労働者たちだった。いずれもすすけた身なりで、一固まりとなって、船から降ろされる荷を待っていた。その労働者に指示を出すのは、あしかび国の軍隊から仕事をけた船会社の者だ。
船へ渡すタラップを伝って兵士が整然と船から降りる。ひとりびとりが「やっと土が踏めた」と思わず笑みを浮かべて。

兵士のひとり、喜平は、異国の地を踏むや、安堵するいとまなく、あしかび国の船会社の者と挨拶を交わすや、荷下ろしの作業手順を確認した。
兵としての喜平の役割は、正しく荷物が降ろされ、それが馬車に積まれて運ばれるかどうかを監視することだった。
兵士がすべて下船するのと平行して、クレーンが回転しながら次々と荷を降ろしていく。いくつかあるクレーンのひとつは馬を吊り下げ、降ろしていた。




荷の積み下ろし点検のため積荷の一覧表を見ていた喜平の耳に、とつぜん悲鳴が飛び込んできた。
「ひっ!」という叫び声の方をふり向くと、天の中つ国の労働者が倒れていた。両手は頭をかばうように抱えていた。
「なにをのろのろやっているか、早く立って荷を運べ」
罵声ばせいを浴びせていたのは、船会社の社員だった。
手に短めの鉄の棒をもち、それで労働者を殴ったようだ。棒の先から血がしたっていた。
ほかの労働者たちは、遠巻きにおびえて様子をうかがっている。
「手を止めるな、とっとと運べ」
船会社の社員は、さらに棒を振り回し、遠巻きにしている労働者を威圧した。そして、天の中つ国の者たちをさげすむことばをなげはなった。
「やめんか」
喜平が社員の腕をつかみ、制した。
渇いた音を立て、鉄の棒が地に落ちた。
「この者がなにをしたという」
「ふん、あんまりのろのろしていたのでね。あの調子でやってたら日が暮れっちまいますよ」
「であってもなぐることはないだろう」
「……、すいません。でも、ここは任せてもらいたいもんですね」
大きな声をあげて社員がさらに威嚇いかくすると、また頭をなぐられると思ったか、労働者は頭を手でおおい、喜平の足にすがりついた。
「……痛かったな」
喜平てのひらで、労働者の髪をなでた。
その髪は、毛がひとかたまりになり、そこから土と血のまじったような匂いを放った。なんとも、むっと蒸せるような匂いが喜平の鼻をついた。
「I・TA・KA・TA・NA」ということばを反芻はんすうするように、労働者は立ち上がり一礼すると、他の労働者のなかに逃げこんだ。
指についた血を、ズボンの端でぬぐった喜平
船会社の社員が、ぼそっとことばを投げた。
「そんな甘いことで、敵と戦えるんですかね」
「なに」
喜平が社員をにらむと、社員は視線をはずし
「おまえら、とっと荷を運ばんか」とばつの悪そうに発破はっぱを掛けた。労働者は、おびえ、ふたたび動きはじめた。
労働者たちの姿をかすめるように、一羽のつばめが、羽をひるがえし、近づき、飛び上がった。
そこに、ことのはを風に伝えるほのほつみがとりつていることは、兵士や船会社の者たちも、そして異国の労働者も、だれも気づいていなかった。

【竜の唄】
竜のが見えるか
激しく強く湧きあがる雲
大きく高く 天へとのぼる
怒りてたけるそのを見つめよ

竜の叫びが聞こえるか
山より生まれ地を削り流れる河
もだえてうねり とうとうと流るる
怒りてたけるその叫びを聞けよ

狂おしく狂おしくもだえる竜
愚かなるひとの はかなき運命さだめ
その美しき玉を はっしとつかみしは
節くれ立った竜の爪

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