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喜びが1ミクロンぐらいじわる 

入学して32年過ぎてやっと、京都大学に合格した喜びがじわじわくる。。。

私は喜ぶ回線が極めて細いようです。ということが先日のセラピーでわかりました。危険や恐怖は圧倒的なリアルさをもって迫り、しつこく残るのに。

今も覚えているできごとがあります。1992年3月10日、合格発表のあと家族ぐるみでお付き合いのある一家がお祝いしにきました。大騒ぎのさなかに末娘がぼそっと「あまりうれしそうじゃないね」グサッ。見られてはいけないものを見られた気がしました。そういえば、高校生の頃も友人に「目が笑っていない」と言われたことがあります。何だか自分には根本的な欠陥があるみたいに感じました。

本やセラピーを通じて知ったことですが、私は物心つくころから一瞬の油断が命取りと感じて生きていたようです。今は平和な環境で暮らしていますが、神経系は危険な環境で生きていた頃の仕様になっています。嬉しさのような生死に関わらないことにはほとんど反応せず、恐怖や不安に過剰に反応します。

絶句・・・生まれてから半世紀たって今さらそんなことが分かっても、もう子ども時代は戻ってきません。私の人生何だったんだ。。。セラピーのあとに虚しさが襲ってきました。心身の不穏な反応が減ってほっとするけれど、失ったものの大きさに愕然とします。

そんなときは読むセラピーがいい。「トラウマによる解離からの回復」を開くと、私にぴったりの言葉が飛び込んできました。


通常の調整が提供される経験(すなわち、安定した愛着による鎮静化)を奪われてきた子どもたちが大人になると、過覚醒を何とかしようとしたり、衝動を行動化するために身体を利用するようになるのは当然なのです。
ストレスを感じるとほとんどの子どもはなだめられ、安心を得られ、快適になれるような他人、好ましい大人とのつながりを求めます。しかし、ネグレクトや虐待を経験すると、つながりを求めずに回避し、自分の資源だけに頼ることをすぐに習得します。他者からの支援を信用できないので、他者に頼らずに、彼/彼女らは本能的に様々な行動を起こして苦痛の軽減を試みます。あるクライアントは、麻痺するために薬物とアルコールを使うことを十代で学びました。思春期初期の段階で、自分を飢えさせるか過食嘔吐することが、自分を沈静化させ、「無感覚にさせてくれる」ことを学ぶ者もいます。

「トラウマによる解離からの回復」ジェニーナ・フィッシャー著150ページ

この下りを読むと「私は普通に喜べない欠陥人間」のような辛辣な気持ちが薄らぎました。つながりを求めず自分の資源だけに頼る、とはまさに私の行動パターンです。状況が困難なほど独りでどうにかしようとしました。親は頼れる大人ではなく、自分でどうにかするしかなかったのでしょう。小さな身体にすべて背負い込み独りでどうにかするしかなかった幼子の私。どれほど必死だったでしょうか。この有様では、のほほんと喜ぶゆとりなんてゼロですね。

ちょっと一服

私の家庭環境は、条件において恵まれた方です。両親は大卒、父は高給取りサラリーマン、母は専業主婦、同世代の女性に比べてかなり高いレベルの教育を受けました。衣食住に困らず、身体的暴力を受けたわけではありません。それなのにどうしてそんなことが起こるのか?

考えてほしいのは、大人の安全基準と幼子のそれが全く異なることです。人間の赤ちゃんは脳も身体も未熟な状態で生まれるので、24時間お世話する人がいなければ生き延びることができません。

愛情深い親は、言葉を使うよりもクーやうんうんなど声の軽快さを感じさせる言葉で、赤ちゃんに語り掛けます。そうすると赤ちゃんは、その温かい目、笑顔、遊びごころを受け止め、自分なりの音や笑顔で応えます。しかし同じように簡単に、養育者の身体の緊張、石のような冷たい顔、荒い動き、イライラした声色も感じ取ることができます。赤ちゃんの未熟な神経系は、眩しい光、大きな音、身体の不快感で警戒することになります。そのため、突然の動き、激しい感情反応、大きな声、怒りや不安が、すべて赤ちゃんにとって恐ろしいものになるのです。

「サバイバーとセラピストのためのトラウマ変容ワークブック」p67


養育者、私の場合は母親の身体の緊張やイライラした声色を、赤ん坊の私は全身で感じて恐怖したのだと思います。母親はいつもキリキリと動き回り、ある時スイッチが切れたようにぐったり寝るの繰り返しでした(今も!)。おそらく母自身もトラウマを抱えていて、過覚醒と低覚醒を行き来する状態なのだと思います。何か癇に障るのか、幼い私の些細な粗相に対してヒステリックに罵倒するので、生きた心地がしませんでした。母の声色は今も昔も常に強張っていますが、おそらく彼女の神経系が過覚醒だからこうなるのでしょう。

ちなみに父親は企業戦士で家庭不在でした。この父親も別の意味でかなり問題がある人です。ここに妹3人と、母と折り合いの悪い父方の祖母(お姑さん)が加わります。親の方針で一人部屋が与えられず、逃げ隠れする場所はありません。そんなわけで家の中に安らぎがほぼ皆無でした。「安心って何?」という状態です。

書いてみると、我が家の「戦場」ぶりが改めて感じられました。命を守る仕組みである神経系はこの「戦場」に適応するように発達しました。平和な環境では何かと支障があります。配線し直す気の遠くなるような作業を、セラピストの手を借りながら実行中です。親は子供の安心感を大事にしてほしい。それが損なわれていたら、どんなに成績優秀で実績があっても、生きていくのが非常に困難です。常時膨大なエネルギー漏れを起こしているようなものだから。

トラウマ界隈で近頃有名なポリヴェーガル理論によると、人とのつながりを感じて安心するのは、自律神経の一部である腹側迷走神経複合体の働きだということです。これは幼少期の頃に養育者(たいていは親)に頼ったり助けてもらったり、泣いたらよしよししてもらう、などのうちに育まれるものだとか。私は腹側迷走神経複合体が育まれないまま大人になったようです。そういえば、親に頼ったり、気持ちをただ聞いてもらうなどの経験がほぼ皆無です。凄まじい環境で生き残れるように、私の神経系は「独自の」発達を遂げたようです。その表れの一つが、危険は人百倍察知するけど喜べないということのようです。

幸い勉強の才能があったのと、親も学歴志向なのでその辺は利害が一致して、京都大学に進学しました。残念ながら、恵まれた環境を活かせたとは言いがたく、バランスを崩したままよろよろ走り続けました。子どもの頃からのパターンで、辛さを人に打ちあけるという考えはどこにもなく、一人ですべてを背負いました。何も知らない人が「学生仲間に話せばよかったのに。案外他の人も同じ悩みを抱えているかもしれないよ」と言いましたが、そういう問題ではありません。

Xで反応がありました。

「子どもが気持ちを表現した時にポジティブに考えなさいとか、気持ちを切り替えてと言って、受け取らないことはすごく危険なこと」本当にその通りです。私が生き証人です。衣食住には不自由しなかったし高い教育は受けられたけど、狂うほど辛かった。その時辛いだけではなく、一生後遺症が残ります。私の場合は対人関係全般の困難さ、心身の不穏な反応、自律神経の慢性的な調整不全、血糖値の乱高下、食いしばり、不眠など。常時エネルギー漏れを起こしているようなものです。「人が怖い」では仕事になかなか就けませんよね。でも京大卒で見た目が健康そうなので「怠け者」呼ばわりされるなどしました。もう踏んだり蹴ったりです。無知や無理解から私に厳しい言葉をぶつけた人は、ずっと覚えていますよ。

さて、近頃ちょっと合格が嬉しい気持ちが湧いてきました。なんと入学32年後にして!当時は興奮状態でイキリ倒しましたが、それとじんわりくる喜びは別です。どうやら1ミクロンぐらい喜びの回線(そんなものがあるならば)が生まれてきたようです。何しろなじみがない状態なので若干狼狽えておりますが、嬉しいのでちょっと貼っておきます。

京都大学

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