「権利」と「義務」の関係性ってなんだろう。

「権利」と「義務」がどのような関係性にあるのか、ということについての話です。


僕は、「義務を果たした国民だけに権利が与えられる」という考え方の人と出会うことも珍しくありません。

むしろ、そのような考え方の人のほうが多いのではないか、とすら感じるほどです。


でも、その考え方って本当に適切なんでしょうか。


「義務を果たさないと権利が保障されない」

もしもそうだとしたら、子ども・お年寄り・障がいがある方・収入が無かったり少なかったりする方などはその生存すらも脅かされることになります。



福祉業界で仕事をしていると、義務(納税・勤労・教育)を履行できない(果たせない)方々ともたくさん出会います。

では、
彼/彼女らには権利が保障されないのでしょうか。


いいえ、違います。


生きる権利、健康で文化的な最低限度の暮らしを営む権利は皆に保障されています。
皆に、等しく、です。


それが「生存権」(日本国憲法第25条)であり、基本的人権として尊重されています。

そもそも、生存権を規定している日本国憲法が制定されたのは、第二次世界大戦が終戦した後の1946年(昭和22年)です。


日本は何度も何年も戦争を繰り返し、そして敗戦しました。
1946年とは、国全体が貧しくてほとんどの国民が貧困に喘いでいた、そういう時代です。

当然、子どもも保護する必要がありました。

また、戦争で怪我をした人の生活も支える必要もありました。

同様に、精神や知的に障がい者がある方、老人、戦争で夫を亡くした母子世帯なども保護する必要がありました。


そういう社会状況下で施行されたのが現行の日本国憲法です。


そして、それに基づいて福祉六法も整備されていったという歴史があります。
【参考】
1946年 (旧)生活保護法 制定
1947年 児童福祉法 制定
1949年 身体障害者福祉法 制定
1950年 (新)生活保護法 制定
1960年 精神薄弱者福祉法 制定
    (後の知的障害者福祉法)
1963年 老人福祉法 制定
1964年 母子福祉法 制定
    (後の母子及び父子並びに寡婦福祉法)
※1950年に精神衛生法も制定されます。ただし、福祉六法ではありません。

話を戻します。



権利と義務の関係性については、「義務を果たした国民には権利が与えられる」ではありません。それは誤った解釈です。

例えば、日本国憲法第25条には次のように明記されています。


「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」


つまり、
国民は権利を有しており、国にはその権利を保障するための努力義務が課せられていることが記されています。


権利と義務の関係とは
「義務を果たした国民には権利が与えられる」ではないのです。


「国民が権利を有しており、国はその権利を保障する義務がある」
これが権利と義務についての真の関係性です。


僕はこの価値観に立脚して日々の仕事に就いています。


憲法25条「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の具体法が生活保護法です。

僕は生活保護法が根拠法となる仕事をしています。

生存と生活を保障する生活保護という業界において、国民の義務履行が先行しての権利保障などあり得ません。


権利保障とは、「どのような場合でも権利が保障されること」です。
保険料を支払った場合のみサービスをうけられる、「社会保険」とは意味合いが異なります。

「保険」とは、保険料を支払った者がその契約に応じた対価を得るシステムのことです。

生存権保障とは「社会保障」であり「公的扶助」なのです。
読んで字の如く、
「社会による保障」であり、「公的な扶助(たすけ)」です。 

被保険者(保険料を支払った者)のみが「保険」として生存を認められるのではないのです。


「社会保障・公的扶助」と「社会保険」は異なるものである。

それを理解する必要があります。





「義務も果たさないのに権利なんて言うんじゃないよ」という大変厳しいお説教をいただき、どうにも納得できず胃痛と不眠に襲われております。

そんなストレスに対する僕自身のコーピングとして文章にしました。

最後までお読みくださった方、ありがとうございました。

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