虐待を受けて育つということ①

虐げられるということ
無視されるということ
過干渉であるということ
暴力にコントロールされるということ
暴力を見て育つということ
家族としての関わりを持たされないということ

どれもこれも、人として大きな何かを失うというか
持たされていない。

暴力がないお家で育つ人は小さな時から
たくさん名前を呼ばれ、大きくなったねという言葉をシャワーのように浴びて成長する。

それがあるのとないのとでは、雲泥の差である。
大人がその子どもの成長を喜ぶ、そして声を掛けるとで、人としての存在を認めていくということになるのだ。

誰からも誕生を喜んでもらうことがない。

誕生日すら忘れられる。

サンタクロースが来ない・・・。

しまいには「お前なんか・・・」
こんな状況で自己肯定感なんて育つはずがない。

どうせ、私なんか、だって

この言葉が常にオンパーレドな方はもしかしたらと思って

接してもらえると助かります。(私はね)

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りえぞんみっちぃの大人世代の人生の創り方 
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