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最高にちょうどいい田舎

心地良い風に揺れる山吹色の稲穂と、少し青みがかった色の広大なため池。小学校2年の秋、Google Mapの航空写真で見ると、お世辞にも綺麗な緑に染まっているとは言い難い、中途半端な色で塗られた、いわゆる日本の「田舎」に僕は住み着いた。「兵庫県加古郡稲美町」人口約3万人、周りには日本標準時の基準となる東経135度子午線が通る日本の中心都市「明石市」、お笑い芸人の陣内智則が観光大使を務める播州のマンモス都市「加古川市」、兵庫県の県庁所在地にして、関西を代表する大都市「神戸市」と明らかに存在感を消されている町であることは否めない。しかし、この「稲美町」は「子供のいる家族」が生活するという観点において「最高にちょうどいい田舎」だと僕は自信を持って言える。
 とはいえ、そもそも都会暮らしの人たちにとって、田舎で暮らすことは今よりも不便な生活になるので、便利さが失われることは苦痛に思われるだろう。「不便益」という言葉を知っているだろうか。不便益とは文字通り「不便だからこそ得られる価値や効用」を指す。ビジネスでこの不便益を利用した例として「星野リゾート」が挙げられる。星野リゾートが2009年にオープンした「星のや京都」は嵐山にあり、陸路ではアクセスできない場所に建てられている。では、どうやって行くかというと、少し離れたところに桟橋があってそこから小舟に乗っていく。アクセスの難しさという不便をあえて導入することで、隠れ家や秘境のような場所を演出し、好奇心や非日常感をくすぐっているのだ。もし京都駅から車で10分といった場所なら、この価値を感じることはできないだろう。こういった不便益を無意識のうちに享受できるからこそ、我々は田舎に惹かれる。この構図を見たときに、僕はふと、人気バスケ漫画「黒子のバスケ」と「スラムダンク」を思い浮かべた。「黒子のバスケ」とは全中3連覇を誇る超強豪校「帝光中学バスケ部」に「キセキの世代」と呼ばれる天才(未来が見える、どこから打ってもシュートが入るなどといったチート能力の化け物達)が5人同時にいて、その中に彼らが一目置いていたシックスマンの主人公「黒子テツヤ」が彼らを倒すため、高校バスケを舞台に仲間たちと奮闘する物語である。現実にはありえない技を駆使したプレーとビジュアルの良さから、高い人気を誇る、いわゆる「必殺技バスケ漫画」である。それに対して、「スラムダンク」とは主人公のバスケ初心者である不良少年「桜木花道」が練習や試合を通じて、徐々にバスケットの面白さに目覚めていき、才能を開花させながら、全国制覇を目指す物語である。「スラムダンク」に常識外れの必殺技は一切ない。そこにあるのは汗臭すぎる、純粋な人間ドラマと、思い通りにいかない成長物語である。言わずと知れた王道バスケ漫画だ。どちらも人気はあるが、両作品を知る人に「どちらが面白いか?」と聞くと、その答えはほぼ必ず「スラムダンク」と返ってくる。ここに不便益、田舎に魅力を感じる人間の価値判断思考との共通点があると僕は考える。「便利」とは辞書を引くと「思い通りにいくこと」と書いてある。僕たちは本質的に「思い通りに行かない物語」を求めているのかもしれない。
 しかし、いくら景色が素晴らしくても、テレビで取り上げられる最寄りのコンビニまでは車で20分のような超田舎で、家族そろって毎日を過ごすとなると、さすがに嫌気がさすだろう。この町は残念ながら鉄道は通っていないうえに、バスも1時間に1本が町民の常識だ。しかし、町の面積が約35 km2に対して、コンビニは10店舗ある。(これは3.5km2あたり平均で1店舗あることになるので、町内のどこからでも自転車で大体10分ほどになる。)スーパーもほぼ同じ数あり、鉄道は通っていないが、実は町役場(町の中心地)から最寄りのJR沿線の駅までは自転車で20分ほどの距離なのだ。便利な町とは言えないが、周辺の明石市や神戸市までは車で時間を要する距離ではないので、生活する上で苦になるほどの不便さはそこまで感じない。この絶妙な「不便さ」は自転車と徒歩という移動手段を強制的に生み出す。また平坦な道が多く、車の行き来も少ないことから休日の稲美町には周辺の街から多くのランナーが集まる。皮肉にも彼らは都会の暮らしに疲れ、稲美の大地から「不便益」を享受しにやってきたように見える。駅まで徒歩5分、コンビニまで家から30秒といった、いわゆる都会の便利さは快適かもしれないが、本能的に「田舎のおいしい空気」を求めるのも仕方がない。満員電車に揺れる毎日を送るのではなく、駅や通勤先までペダルを漕ぐ中途半端な時間や、自然の周りを駆け抜ける時間が日々の生活に活気を与え、妙な快感を感じさせてくれるのだ。
 もう1つ、特に子供にとって、この町で暮らすことの魅力を伝えたい。それは「地産地消」にこだわった「給食」だ。学校給食と言われると、多くの人にとって「味のないパン」「瓶orパックの牛乳」という印象だろうか。しかし、僕の頭には「切り干し大根の酢の物」「夏野菜カレー」「はたはたの唐揚げ」など具体的なメニューが浮かぶ。稲美町の給食は農林水産省主催の「地産地消給食等メニューコンテスト」で10年連続で近畿農政局長賞を受賞した実績を持つ。勝手ながら日本一おいしい給食だと自負している。町には小学校が5つ、中学校は2つあるのだが、その7校全てで給食が導入されている。その理由として稲美町は「子供たちが自らの健康を考え、食に関する知識と望ましい食習慣を身につけるという食育の一環」と述べているのだが、これは極めて重要な事だ。給食の献立とは、栄養士が栄養バランスを練りに練って考えた先に、給食のおばちゃんの手によって生まれる、一つの作品である。(例えば、隣町の加古川市の献立表はメニューと、使用されている食材が文字で記載されている。それに対し、稲美町の給食献立表には使用された稲美町産の食材とメニューごとの材料名、使用グラム数が事細かく記載され、毎日のメニューが文字だけでなく、イメージできるようにと、手描きの絵で表現されていることに栄養士さんたちの愛を感じる。)その給食が美味しいうえに、栄養満点であるという印象を抱いたまま、子供たちが大人になることの価値は絶大だ。確かにジャンクフードの魅力に憑りつかれることは多々あるが、この給食で育った子供たちは大人になり、ふと昔を振り返った時に、栄養士さん、給食のおばちゃん、地元農家のおっちゃんによって編み出された、最高の栄養バランスと美味しさが溢れる給食を思い出すだろう。それは自身の健康と食事バランスを考えるきっかけになり得るだろうし、何より農家の人たちへ常に尊敬と感謝の念を忘れない大人になることは間違いない。給食が「人」を作る。まさに「食育」の効果だと言える。ちなみに僕の母は稲美町出身ではないのだが、授業参観で食べた「豚肉と大豆の味噌がらめ」の味が忘れられず、給食が食べられるという理由だけで、食品会社のパートを辞めて、小学校の用務員として現在も働いている。
 「絶妙な不便さ」と「完全無欠の給食」、子供を中心とした家族にとってここでしか得ることのできない「快適さ」や「価値観」。時々思い通りに行かない、自分だけの「スラムダンク」をこの稲美町で味わってほしいと思う。

(了)

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