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お水の花道──歌舞伎町編 第6回

友達や仕事仲間に対しては節度ある距離を保てるのに、そうでなくなる場合がある。恋だ。

私はストーカー女子高生だった。「紫青赤黄白黒。」に書いたので詳細は省くが、高校2年生のときに既婚40歳の日本史の先生を好きになり、教員室に手紙をもっていったり、風邪で休みだと聞けば自宅に一輪のバラをもっていったり(確かお父さんが出てきた)、手紙と電話で好きだと告白したり、誕生日に下駄箱で待ち伏せして腕時計と花束をあげたりと、やりたい放題だった。

現代国語の授業で与謝野晶子の

「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」

を習ったときなど、「わ、これだっ!」と思って、その短歌と「意味わかるでしょ?」と書いたメモを渡したこともあった。 自分で振り返ってもかなり怖い。

そんな気質が簡単に治癒するはずもなく、大学1年生のときに恋をした人も大学の教職員で、結婚が決まっているというのに気持ちを抑えられず告白し、結婚披露パーティ会場がわかったので花束を送り、

「ダメな生徒たちを一生懸命世話してすっかりみんなのお兄さんですね。気苦労も多いでしょうが、これからもよろしくお願いします!」

という手紙を添えた。なんか変な文章だなと感じるであろうが、変なのは当たり前で、これは5行に分けて書いている。最近引退したタレントと同じことをやったわけだ。(ちなみに渡された本人はまったく気がついていなかった。)18歳だったとはいえ、恋は盲目とはいえ、これなどはもう与謝野晶子どころの話じゃない。

数年前、大学の仲間と集まったときに彼もいて、久しぶりに話したのだけど、笑ったのが、油絵学科の教員室にまことしやかに伝えられる話だ。数十年前、ある教職員が担当学生と恋に落ち、京都・奈良の古美術研究旅行(というのが大学にある)に行ったときに、その担当学生の目の前で鴨川に結婚指輪を投げたという。

実際は、その古美術研究旅行で彼が銭湯に行った際に指輪をはずし、そのままなくしてしまっただけなのだが(大騒ぎになり、参加した学生総出で銭湯と宿までの道、宿じゅうを探し回ったので記憶に残っている)、噂というのはこうしてドラマチックに仕立て上げられていくんだなあと思った。

結婚指輪でもうひとり強烈な印象を残したのが、二番館のあるお客様だ。

名前は覚えていないが、30代半ばで、背が高く、がっしりとした身体にフィットしたスーツを着こなし、俳優かと思うほどハンサム(そのころはイケメンという言葉がなかった)で、歌がうまかった。先輩のホステスとふたりでついたのだが、彼を連れてきた常連客は私たちが内心ときめいているのを即見抜き、「こいつはひでーヤツだから惚れちゃダメだよ」と先手を打った。

「どんな”ひでーヤツ”なんですか?」と先輩ホステスが尋ねると「結婚指輪を売ったんだよ」と言う。

確かに左手の薬指に指輪はなく、日焼けの跡すらなかった。いくらで売ったのか、彼女が続けて訊くと、

「7、8万くらいにはなったかな。プラチナってさ、つぶしてもそれくらいの価値があるんだよね」

と、歯磨き粉のCMくらいさわやかな笑顔で答えた。悪気とか恥というものは一切なかった。

先輩ホステスは「うわあ、ひどい。奥さんが可哀想!」と笑い、私も一緒になって笑っていたのだが、心の中では「きっとこの人はそのお金を自分のために、しかもたいして重要ではないことのために──女の子との食事とホテル代とか──使ったのだろうな」と思っていた。うっかりと保証人になり金貸しに追われている友人にカンパした、なんてことは絶対にないだろうなと。

家庭に恵まれ、女に愛され、仕事でも失敗なく、人生が思い通りに行き過ぎていて、逆に自分自身を薄っぺらくしていることに気づかない。適度に賢いハンサムとかイケメンが男盛りの40歳を過ぎて苦労するのは、そういうことなんじゃないかなと思う。

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