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お水の花道──歌舞伎町編 第1回

大学2年生の秋、妹と一緒に暮らせないほど折り合いが悪くなり、家を出ることにした。母は私の一人暮らしを相当渋ったが、ふたつの条件を守るなら、と譲歩してくれた。まず、家の近所に借りること。そして、絶対に男を連れ込まないこと。

かくして借りたのは家から徒歩7分の、風呂なしアパートの一室だった。広さは1Kで、畳敷き。でも、とてもキレイに掃除がしてあって、1階でも陽の光がさんさんと入った。家賃は68,000円で、敷地内に住む大家さんに直接渡すという方式だった。風呂はだいたいは家へと入りに帰り、たまに銭湯に行った。

家賃を捻出するため、私は母に「二番館でアルバイトをさせてほしい」と頼んだ。二番館というのは、母が以前働いていた新宿・歌舞伎町のクラブだ。当時、母は「婉」という店に移っていた。二番館は、のほほんとした居心地のよいクラブだったのだが、たぶん、私の大学の学費のために、もう少し稼ぎのよい店にお客さんを連れて移ったのだと思う。

クラブ二番館は、二番館ビルの5階にあった。窓ガラスが大きく、グランドピアノと歌ったり踊ったりできる空間があり、黒を基調としたシックなクラブだった。初出勤の日のことはぜんぜん覚えていないが、確か母が着なくなったピンクのスーツを着ていった気がする。私はここで行われるクリスマスパーティに何度か来たことがあり、しかも母が10年以上働いた店でもあるので、ねえさん方は「わー、ホリちゃんの娘なの?」と20歳以上も年下である私を快く迎えてくれた。どのみち戦力にならないので、火花を散らす必要がなかったのだ。

私はここで月火木金の週4で働くことにした。16時半に4限が終わるので、そこから家に帰って母のつくった夕飯を食べ、自分のアパートに帰って化粧をして店用の服に着替え、田無駅から新宿駅へと出て、19時に出勤。23時に店を出て、0時前に家に着くので急いで風呂に入り、アパートに寝に帰った。バイト代は1日4時間で1万円。月に16万円の稼ぎだ。それまでのアルバイトは、予備校の掃除、年賀状の仕分け、雑貨店、夏休みなどの長期に建築設計事務所での雑用や大学の夏季講習のデッサンモデルなどが主で、時給は1000円程度だったから、一気にお金持ちになった気分だった。家賃を払った残りは、車の免許代や英会話学校などに使い、残りはランチ代や友達との飲み会などに消えた。

さて、二番館ビルは、竹山実さんという渋谷109を手掛けた建築家の、代表作らしい。ウィキペディアには、「新宿歌舞伎町の商業ビル一番館、二番館などのポストモダン建築で注目を浴び」「一番館は、ハーフミラーを用いたグラフィカルな外皮、白黒のストライプの外装など、特異な外観で、ポストモダン建築を代表する作品の一つとされ、建築史的にも重要な作品である。また、一番館にほど近い場所に施行された二番館は、一番館に比べ、よりカラフルな構成、色彩となり、粟津潔による外装デザインが今なお斬新である」と書かれてある。しかも、竹山さんは武蔵野美術大学(私の出身大学)の教授ではないか。

なるほど、それで合点がいった。武蔵野美術大学は鷹の台という、東村山と国分寺の真ん中の駅から、徒歩25分はかかる場所にある。当時、大学の理事をされていたナガサワさんという人が母のお客さんだったのだが、なぜにそんなド田舎から歌舞伎町のクラブにまでわざわざ飲みに来ているのか、よくわからなかった。きっと竹山さん繋がりで店を知ったのだろう。

私がムサビを第一希望にしたのは、通っていた高校の裏手にあって、高1のときに担任の英語教師が「今日は授業をやめて、裏のムサビの学園祭に行きましょう」と自ら授業をボイコットし(笑)、生徒を連れて行ってくれたのがきっかけだ。私たちは狂喜乱舞で教室を出て靴を履き替え、50人でぞろぞろとムサビへと歩いていった。担任が集合時間を決め、それまで自由に見ていいというので、私は目の前にあった建物に入った。そしてデザイン科の学生がつくった照明器具を見て、衝撃を受けた。16歳の自分とさほど歳の変わらないお兄さんやお姉さんが、ちゃんと電気のつく、斬新なデザインの照明をつくっていることに、感激したのだ。しかも学園祭なわけだから、大学自体が楽しそうに見えた。「こんな大学だったら学生生活が楽しいだろうな……」。

そのイメージは、2年生になっても消えなかった。家族で千葉の保養所に泊まった晩、布団に入った母が「あんた、大学どうするの?」と尋ねてきて、私は学費が高いから無理だろうなと思いつつ、「ムサビに行きたい」と本音を漏らした。すると母が飛び起き、「いいじゃない! いいわよ! その代わり、浪人しないでよ!」と、案に相違して大賛成。いま思えば、ナガサワさんを筆頭にムサビの関係者が店に来ていたわけで、よいイメージがあったのかもしれない。

ムサビの合格発表の日、自分の番号を見つけた私は母に報告するために、公衆電話の前の長い長い列に並んだ。ようやく自分の番になって急いで電話をすると母が出たので、「あ、お母さん?」と言ったら、「おめでとう〜!!!」と、ものすごく嬉しそうな声で言われた。「え……なんで知ってるの?」「昨日、ナガサワさんから電話あって、受かってるって聞いてた。もう、黙っているのが辛くてさあー!」(あ、コネ合格とかではないですよ。誤解なく。)

後日、自分のお客さんが「娘さん、大学どうだった?」と尋ねるたびに「ムサビ受かった!」と答えると、誰もが一瞬驚いて、「そうか、頭いいホリちゃんの娘だもんな!」とか言うらしいのだが、母はその一瞬の反応に「ホステスの娘がムサビに現役で入るわけがないと思っていたフシ」を敏感に感じ、「もう、あんたが合格したと言うのが嬉しくて」と本当に嬉しそうに言っていた。どんなに自分のことを気に入って長く指名してくれるお客さんであっても、どこかに「水商売の女」と下に見る感じは拭えない。(たぶんそれがなかったのは、「最上級の男。」で書いた母の恋人くらいだろう。)母は、私の大学現役合格で、お客さんの鼻を明かした気分だったのだと想像する。役に立ててホントによかった(笑)。


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