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お水の花道──歌舞伎町編 第2回

クラブで働く女性は一般的に「源氏名」がつけられると思うが、二番館はちょっと変わっていて、「名字にちゃん付け」だった。母は「ホリちゃん」。母のいちばんの仲良しは「ミズノちゃん」。

そもそも源氏名とは、『源氏物語』の女性が本名とは別の名前で登場していることが由来だ。現代のホステスが源氏名をつけるのは、①キャラクターを設定して、オンオフを自在にする ②プライバシー保護 が主な理由だというが、なぜに二番館では本名の名字にちゃん付けなのか。いまだに謎である。

私は源氏名というやつに憧れていたクチなので、当時の愛読書だったマンガ(笑)の主人公をもじって「堀井小夜子」という名を自らつけた。その名で名刺もつくってもらった。いまの私を知っている友人からすれば「は? 小夜子だあ?」と吹き出すと思うが、当時はいまよりずっと華奢で繊細で可憐だったので、どうか許してほしい。

ところがである。母のお客さんだった人たちにとっては「ホリちゃんの娘」であるからして、席につくと結局本名の「カオルちゃん」で呼ばれてしまうのだ。「小夜子ちゃん」と呼んでくれるのは新規のお客様の席だけで、私もそのうち面倒になって本名を言うようになった。

さて、二番館は「クラブ」と書いたが、「クラブ」と「キャバクラ」の違いをご存知の方はいるだろうか。

そういう類の場所にまったく行かない人にとっては、クラブは銀座などの、年齢がけっこう高めの、毎朝日経新聞を読んで話題に事欠かないプロ中のプロが働いている場所で、キャバクラは六本木などの、年齢が若めの女の子が働いている店、というイメージをもたれている人も多いと思う(それも合ってはいるのだが)。実は大きな違いがあって、それは料金システムだ。

クラブは「席」にチャージがつくので、30分で帰っても3時間いても、料金は一緒。現在の銀座の高級クラブだと座って4万円〜8万円らしいが、歌舞伎町、しかも当時であれば、1万5千円〜2万円くらいではなかったかと推察する。一方、キャバクラは時間制。1時間ハウスボトル飲み放題○○円と決まっていて、その後は30分ごとにチャージがつく。

もうひとつあるとすれば、クラブは初めて入ったときにたまたまついた女性がずっと担当する。他の女性を指名することは(基本は)できない。ただし、「たまたまつく」からには、どの女性でもお客様に満足していただけるよう、美貌から服装から話から何から何まで高水準のホステスを揃えている(高級クラブは特に)。

一方のキャバクラは、30分で女の子が交代するので、たとえば初回の1時間で2名の女の子と話すことができ、以降もチャージさえ払えば30分ごとに次々と女の子がついてくれる。2時間いて4人も会えば、好みの女の子がひとりくらいはいるだろう。次回は指名料を払ってその子を指名すればいいわけだ(もちろん当日中に「あの子、戻してよ」と、指名料を払って自席に戻す人もいます)。

「クラブ好き」と「キャバクラ好き」が分かれるのは、単に高級感とか場所とか料金の違いではなく、上記の担当システムよって分かれる人が多いのではないだろうか。男友達のひとりはキャバクラが好きではない理由を、「30分ごとに『お仕事何してるんですか?』『今日は何を食べてきたんですか?』って、同じ話をさせられるのが辛い」と言っていた。そういう人は、クラブに行けば常に同じ女性がついてくれて、席を離れるときはその女性が可愛がっている若くて美しいヘルプがついてくれるので、同じ話などする必要がなくなる。

逆にキャバクラ好きな人は、「最初についた女性が自分の好みじゃなくても変えられないのは不服」であり、たくさんの若い女の子と話すチャンスがあるほうがいい、という考えの人が多い。

前述のとおり、クラブは最初についたホステスがそのお客様の担当になるので、指名料がない(永久指名)。ほかにあるのは、ボトルチャージ、ヘルプの女の子に対するホステスチャージ、ボトル以外の飲み物や食べ物の料金くらいだろうか。あとは入店前に一緒に食事をすれば、同伴料も取られる。それらの料金の半分くらいがホステスの売り上げにもなるので、担当のお客様が多ければ多いほど、来てくれれば来てくれるほど、ホステスの給与は上がる。つまり、クラブは個人事業主の集団が場所を借りて営業をしているわけだ。

だが、そうはいっても「身ひとつ」なわけで、同伴や指名、アフター(店の営業終了後に焼肉を食べに行ったり、カラオケスナックで歌ったりして、帰りはタクシー代をいただいて解散)のできる体力や気力をかんがみるに、月1回来店のお客様が10人、週1回来店のお客様が3人もいたら、いっぱいいっぱいなのではないか、という気もしなくもない(あくまで個人的見解)。お客様のほうだって、自分に対して一生懸命になってくれるホステスが可愛いわけで、そうでなければ足は遠のく。そして他の店で「これだ」と思うホステスがいれば、通う店をサクッと変えてしまう。

母の場合は、二番館で働き出したのが33歳で、特別美人というわけでもすごく愛想がよいというわけでもないし、どちらかというと内気な文学少女+演劇女子がそのまま大人になったような人なので、たくさんのお客さんがついているという様子はなかった。でも、知的で冗談の冴える、飲むといきなり可愛くなる(実は酒に弱い)母を、長く贔屓にしてくれたお客さんはちゃんといた。ナガサワさん、イシカワさん、コクボさん、カネコさん、オダちゃん、ヒロサワさん、そして母の恋人だったシミズさん……。

彼らには全員会ったことがあるし、母と3人で食事もした。イシカワさんなどは当時代々木上原で建築設計事務所を経営しており、私はそこで大学3年、4年の夏休みと、卒業後に1年だけ芝居の勉強をしていたときに雑用のアルバイトをさせてもらった。みんな本当に品がよく、素敵な人たちで、私は彼らに対して不遜にも「母を選ぶだなんて、見る目があるね」と思っていたし、同時に母に対しても「こんなお客さんばかりだなんて、見る目があるね」と思っていた。男は自ら女を「選んでいる」と思っているかもしれないが、実は、女が男に自らを「選ばせている」のであることを忘れてはいけない(笑)。

母が二番館で働き出したのは、小4の私と小2の妹を金沢の父から正式に引き取り(父は恋人を家に連れ込むやら、子育てを自分の母親(私の祖母)に任せるやら、しかも金は渡さないやらで、散々な人だった)、先に連れてきていた年長の弟と合わせて3人の子を大学まで出すには、会社の事務員では無理だと判断したのだろう。それでホステスとして働くことを決めた。

もっとも、初めて働いたわけではなく、大学受験に失敗し、再受験のために下田から東京に出てきた母は、そのまま演劇にはまって小さい劇団に入ってしまい、昼は稽古があるから、夜は歌舞伎町の「いと」という小料理屋で働いていたという。

母はこの店で、映画監督の東陽一さんや、ドキュメンタリーカメラマンの田村正毅さんと出会った。田村さんなどは「田村ちゃん」と呼んで、デートの相手でもあったらしい。当時、この店に来ていたイトウさんという建築設計事務所を経営していた男性と、その会社で働いていた建築設計士のホリ(私の父)と、田村ちゃんの3人にどうやら口説かれていたらしく、迷いに迷って「いちばん無口でいいだろう」と思って引いたクジは、残念ながら最悪だったというわけだ(笑)。

余談だが、10年くらい前に是枝裕和監督の関係者のみの完成披露試写会に行ったときに、その田村さんがいらしていて、「歌舞伎町の『いと』という店で働いていた、ホリマサナという女性を覚えていますか?」と尋ねたかったのだが、勇気がなくて声をかけられなかった。とても後悔している。(田村さんは数年前に亡くなった。)

もうひとつ余談だが、イトウさんは会社経営をしているくらいなので、一級建築設計士の免許をもっていた。片や、父は二級どまりだった。母によればイトウさんは「免許なんて関係ないんだよ。要はセンスだよ」と謙遜したそうだ。ところが父もイトウさんを真似たのか、同じ発言をしたという。母はその話をしながら「一級を持っている人が言うのと、二級どまりの人が言うのと、意味がぜんぜん違う!」と笑っていた。ホントにそう思う。

本題。私を宿した母は劇団をやめ、金沢に戻っていた父を訪ね、結婚。私が小2のころには、父の経営する「スペース」という建築設計事務所が借金を抱え、母は片町という繁華街にできたばかりのELLEビルのスナック「キャット」でママとして働きはじめた。当時のことは、学校でのいじめや両親の不仲が原因なのかぜんぜん記憶がないのだが、たぶん、夕飯をつくって子どもたちに食べさせたあと、スナックに出勤していたのではないかと思う。

私が両親の不仲をはっきりと認識したのは小3で、明け方ものすごい音で目が覚めた。二段ベットの上段にいた私がびっくりして起き上がると、同じ部屋のダブルベッドで母に馬乗りになった父が母の顔を引っ叩き、母がわんわんと泣いていたのだ。後年、何があったのか尋ねたら、母が店に来てくれたお客様とアフターに行き、さんざん飲んで明け方帰宅したら、財布がなかったらしい。浮気を疑ったのか、金をなくしたことなのか、とにかく怒り狂った父に引っ叩かれたということだった。太腿も蹴られたらしく、1週間アザが消えなかったという。「浮気をしていたのはお前だろ!」と、私はこの日に戻って父に言ってやりたい。

それまでは子どもにはわからないようにと気遣っていたようだが、この日から両親は不仲を隠さなくなった。小3の私、小1の妹、年中の弟は、両親のいない時間に集まって、「どうしたらお父さんとお母さんが仲良くなるか」という会議を何度も繰り返したが、当然、答えは出るよしもなかった。そして、9月になり、母は弟を連れて東京に行ってしまった。母は32歳、父は37歳だった。(詳細は「父の日。」にあります。)

歌舞伎町の話とはだいぶ遠くなってしまった(笑)。すみません。次回は私が出会ったお客さんの話を書きます。

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