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人と比較しても自分を否定しなくていい~トモとなぎ健の物語~

こんにちは、Tomomiです。
前回の記事では、主人公のトモと小さなおっさんの物語を通じて、成功への道のりには段階があり、その前段階として自分を大切に思うこと、すなわち自己受容の度合いが重要であることをお話しました。

お話の最後に、なぎ健は1週間自分を褒めたり労いの言葉がけに取り組むように宿題を出しました。
1週間、取り組んできたトモに変化は起きたのでしょうか?
そして、トモは今回新たな疑問があるようです。
どのような展開になるのか、あなたも一緒に見ていきましょう!


登場人物

トモ 
スピリチュアルや自己啓発に興味があり取り組むものの変化は現れず。
人生の悩みが尽きない。

なぎ健
突然、トモの家に現れた正体不明の小さなおっさん。
ガイド役としてトモに新しい気付きを与える。



なぎ健の教えを実行して1週間、自分に労いの言葉をかけ続けるうちに、少しずつ否定的な声は弱まってきた気がする。

それでも、まだまだ、しみついた思考の癖に戻されることがある。
今日はまさにそんな日になった。

帰宅するとすぐにベッドに横たわり、大きなため息をついた。


背後から声が聞こえ、振り返ると、ビールを片手に持ち頬を少し赤く染めた小さいおっさんが満面の笑みを浮かべていた。

「なになに?どうした?落ち込んじゃってるの?」

自分が落ち込んでいる時に楽しげな人と接すると、余計に気分が沈むのは私だけだろうか?
悶々としている私の気持ちなどお構いなしに、彼はいい気分の波に乗りながら話しかけてくる。
仕方なく、今日あった出来事について口に出した。

私は社員50名ほどの施工会社で事務職として勤務している。
常に周りには人がいて連携を取りながら仕事をしているので、同僚とのコミュニケーションを求められる場面が多い。
しかし、私はコミュニケーションが得意ではないので、勤め始めて1年半が経った今でもまだ、職場の人たちと接する時、どこか緊張している自分がいる。

そんな私とは違い、いつも談笑の声に囲まれているのが同期の山田さん。

彼女について教えてと言われたら、一番に笑顔が似合う人と答えるだろう。明るくて親切、それでいて物事をはっきり言う性格で、私の理想像そのものだ。

私は勝手に山田さんと比較しては落ち込むことが度々あって、今日の休憩でも、その比較癖が発動して卑屈のドツボにはまった。

何かのきっかけがあったわけではなく、会話の中心になっている山田さんを見ているうちに、緊張で上手く話せない自分とを比べて落ち込みのスイッチが入ってしまっただけなのだけど…。

「どうして私はすぐに人と比較しちゃうんだろう…」

「フフフ」
笑い声?私はハッとして声の主に顔を向けた。
なぎ健は細い目をさらに細め、何ともムカつく顔でこちらを見ている。

「トモはそんなことで今日という素晴らしい一日を台無しにしたの?」

落ち込んでいる人に対して、どうしてそんなことが言えるのか!?
驚いて言葉が出ない私を無視して、彼は続けた。

「誰かと比較をするのは当たり前のことだよ。
人は他者を通してしか自分を知ることができないんだから。
ただ、トモは人との違いを、自分を否定する材料にしているから苦しいんじゃない?
人との違いは優劣ではなくて、個々の個性の差なだけだよ。」

「他者を通してしか自分を知れないってどういうこと?」

「例えば、世界にトモしか存在していないとするじゃん。
生まれてからずっと自分1人しかいなかったら、自分の身長が高いのか低いのか、目が大きいのか小さいのか、数学が得意なのか苦手なのか、優しいのか意地悪なのか、怒りっぽいのか穏やかなのか、自分という人間について知りようがないよね?」

確かにそうだ。
外見も頭の良さも、性格も比べるものがなければ判断できない。

比べること自体は悪いことではない。
他者との違いを知ることで、自分という個性を理解するために必要なことだとはわかった。

だけど、なぜ私は比較するたびに自分を否定してしまうのか?

私の疑問に対して、なぎ健は社会や家庭の影響を受けて育て上げられたエゴが原因だと教えてくれた。

その話を聞いた瞬間、記憶の奥底に閉じ込めていた母の声が聞こえてきた。


「お姉ちゃんなのにどうして早紀よりも遅いの?」

「友達の彩ちゃんは成績が上がったらしいわよ。同じ塾に通っているのに、どうしてあなたは変わらないのかしら…」


長い間、思い出すことはなかった記憶なのに、まるで今ここで起きている現実のように母の表情までも鮮明に蘇る。

同時に、あの頃と同じように胃の奥に重くて暗い、不快さが広がる。


こんなにも強烈な記憶を、どうして忘れていたのかな?

…いや、忘れていたわけじゃない。
思い出したくなくて、記憶の深淵に沈めていたのだろう。


私は母からのたくさんの比較と否定の声を受けていた。

なぎ健が言うように、私の中に蓄積され育て上げられたものがあるとすれば、それはまさに比較と否定だと思う。

「ずっと母から誰かと比べられて否定をされて、その影響が大きいのかな…。
比較されるたびに自分はダメな人間なんだって、気分が悪くなっていたことを思い出したよ…」

子供の頃から家を出ることを願っていたのだけれど、どうしてそんなにも家を出たかったのか、当時は明確な理由が分からなかった。
理解する必要も感じないまま、高校卒業と同時に1人暮らしを始めたのだけれど。

ただ1つ確かだったのは、あの家は私にとって落ち着ける場所ではなかったということ。


「ずっと悲しい思いをしていたんだね…」
自分に優しく語りかけながら、両腿をゆっくりと優しくさする。

その動作を繰り返しているうちに、胸につかえた小さな塊が、ぎゅっと狭まった喉を通り、涙に溶けていくのを感じた。

どのくらいの時間が経った頃か、なぎ健がゆっくりと語りかける。

「誰でも多かれ少なかれ、人と比較される経験はあると思う。
トモの場合、それが当たり前の環境で育ったことで、誰かと比較して自分を否定する思考が根付いてしまったのだろうね。
自分の持っている宝物を否定して、ないものに目を向ける。
そして、自分ではない何者かになければいけないと思い込んでしまう」

なぎ健は山田さんとの比較はまさに、その典型だと続けた。

「山田さんのように明るくならなければいけない!そうしないと人から好かれないぞ!」と思い込み(エゴ)はけしかける。

そして、出来ない自分に対して追い込みをかける。
「だからお前はダメなんだ。
見てみろ、みんなお前によそよそしいだろう?
お前は暗くてつまらない奴だと思われてるぞ!」

私の思い込みの1つに【好かれる人=明るくて輪の中心にいる人】があり、職場の人から好かれるためには山田さんのようにならなければいけない。
そんな風に自分にプレッシャーをかけていたみたいだ。

だけど、1歩引いて考えてみれば、明るい人だけが好かれるわけではないと言われて納得がいった。
自己主張をしない人や、1人でいることが好きな人も、十分に人から好かれる可能性がある。
私は極端に狭まった思い込みの視野で世界を見ていたため、こんな当たり前のことにも気づけずにいたのだ。

さらに、明るい性格と言っても、その明るさには様々なグラデーションがある。
誰一人として同じ明るさを持つ人はいない。

だから、比較をして優劣をつけることなどできない。

そして、もっと言えば、人から好かれなければいけないというのも、ただの思い込みに過ぎないと、なぎ健は教えてくれた。


客観的に見れば確かにそうだと納得できる。
でも、だからといって「これからは比べて落ち込まない!」とすぐに変われるわけもなく…。

頭では理解しても心が追いつかない私に、彼は1つの想像のゲームを提案してくれた。

「目を閉じて、これから言うことを想像してみて。
あなたという1人の人間の全てを受け入れられている。
いい部分だけでなく、コンプレックスやネガティブだと思っている部分、全てをそのまま許されている。
何も否定されず、あなたという存在そのものが素晴らしいと称賛されている。
あなたが何処で誰と何をしていようと、全ての思考、どんなことを感じようと、存在の全てを愛されている。
愛おしい大切な存在だと守られている。
その感覚を味わってみて。」



自分の存在の全てが称賛され、愛されている…

身体の力がふっと緩み、お腹の底から温かい何かが広がっていく。
私という存在の濃度が濃くなっていくような感覚が沸き上がる。

「どうだい?
その感覚でいたら、誰かと比較して落ち込むなんてことができるかな?
自分のネガティブな面すら全て称賛されている。
それが存在そのままを肯定されている感覚だよ。」


【自分を褒めて労いの言葉をかけることは、最初は自分の行いに対して目が向くだろう。
それを続けていくと、自分という存在そのものに対して自然と称賛することができるようになる
】のだと、なぎ健は続けた。

誰かの評価や称賛を待つのではなく、自分でこの感覚を生み出すことができるなんて!

いつでも、自分のそのままを応援されて愛されている感覚。

私は今、その片鱗に触れているに過ぎない。

でも、もしこの感覚で常にいられたら、人生はどんなに心地よいものに変わるのだろう…。

そう考えると、私の中からワクワクのエネルギーが跳ね上がるのを感じた。

「これからも誰かと比べて落ち込んだり、自分を否定することがあると思うよ。
何十年もかけて築いた価値観を変えるのには時間がかかるのは当然だからね。
でも、否定しそうになったら目を閉じて、今の心地よい感覚を味わってみて。
そのうち、少しずつ自然に、その感覚が自分の中から沸き上がってくるようになるから」

自然に、こんなに心地よい感覚でいられるようになったら最高だろうな。

そんな喜びを感じながら、同時に私は気になっていることを尋ねた。

「エゴが自分を否定する原因だと言ってたじゃない?
エゴという言葉はよく耳にするけど、一体どんなものなのかイマイチ分からないんだけど…」

「ああ、エゴね。
それについては、また今度にしようよ。
もうさ、そろそろ堅い話は終わりにして、楽しい宴を始めようじゃないか!」

後ろ髪を引かれる思いではあったけれど、鬱々としていた気分がすっかり穏やかな気分に変わっていたので、今日のところは良しとすることにした。

「かんぱ~い!」

今日のビールは格別に美味しく感じた。


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