ジブンノコトバの壊しかた
昨日、こんなnoteを書きました。
探したものを壊しちゃうのかい、とツッコミが入るかもしれませんが、むしろ壊す方が先だったかもしれません。
僕らが日々書いたり、話したりたりしている言葉は、「自分の言葉」でしょうか。
改めて問われると迷ってしまうかもしれません。
自分が書いた、自分の口から出た言葉が、イコール「自分の言葉」とは限りません。
僕らは本音ではないものを書くことができるし、誰かが書いた原稿を読んでいることがあるかもしれません。
誰かの言葉をジブンノコトバとして使っているとしたら、それを「壊す」ところから「自分の言葉」を探す旅が始まる気がします。
「自分」とはどこからどこまでなのか。
その線ははっきりしたものでしょうか。
曖昧なものでしょうか。
「自分の言葉」は、自分に起こった出来事、他者や世界との出会いによって変容し続けるのではないでしょうか。
「自分の言葉」を探す旅、楽しみたいです。
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