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人と人は溶けあったり、線を引きあったりしながら生きている

最近、「溶けあう」という言葉が好きです。
似た言葉に「融合」があります。

融合
一つにとけあうこと。

なんだか、素敵な言葉です。
一つにとけあう。
そう、「融合」は「増大」ではないということ。

「融合」にしろ、「増大」にしろ、カオスだと思います。
「増大」というカオスを経て、「融合」になるのかもしれません。

人と人は融合することができるのか。
きっと、人はとけあったり、線を引きあったりしながら生きているのではないかな、と思います。
それは、「溶けあう」「線を引きあう」のどちらかだけでは生きられないということです。

線を引く

「人と人が線を引く」とは、個人の輪郭をはっきりさせることです。
私は私、あなたはあなた。
自分が自分であるという認識は、自分ではない他者によって支えられています。
自分という線が全くなければ、自分が溶け出し、自己を喪失してしまいます。
では、「溶け出す・溶けあう」ことにはどんな意味があるでしょう。

溶けあう

自分軸という言葉、よく聞きます。
「自分軸を見つけましょう。自分軸で生きましょう。」
正直、僕は違和感を抱いてしまいます。
自分軸からは全自己責任ということが連想されます。
また、天邪鬼かもしれませんが、僕は、「他人軸で生きて何が悪い?」とも思います。
だって、「他人軸」って、「誰かのことを思って、その人のことを満たそう」という想像することで、それって素敵なことです。
私は私、あなたはあなた。
それは確かに生きていくために必要な線でもあるけれど、それだけでは寂しいです。
人は地続きである、というのが僕の考えです。
「私は私、あなたはあなた」であるけれど、「繋がっている」。
その方が希望があると思います。
「自分も自分だけのものではない」と思うので、「自分軸」も結局色んなものが溶け出されてつくられたものかもしれません。

線を引いたり、溶けあったり。
行ったり来たりしながら生きたいです。


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