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読書感想文note【わかりやすさの罪】

「わかりやすさの罪」を読みました。
気になった文章を一部引用しながら考えたこと・感じたこと、読み終えての感想を書きました。


コミュニケーションスキル?

他人との関係性でのみ成り立つものを、自分の能力として問われてしまえば、当然、皆が皆、どうしてその能力が私には欠けているのだろうと悩む。無理がある。だって、コミュニケーションは他者との関係性で成り立つのだから、いつだって欠けているはずなのだ。

p83

「聞くことはスキルだ」と言ってしまったことがある。
今振り返ると、これは間違いだったと感じる。
確かに、会話の中で、相手に対し「聞いてもらえた」「聞いてもらえなかった」と感じることはあるが、その相手には「聞くスキルの高低」があるわけではなく、「聞き方の違い」があるだけだ。
その違いに対して、「聞いてもらえた」「聞いてもらえなかった」と自分が判断しているだけだ。
「コミュニケーションは他者との関係性で成り立つ」もので、どちらか一方の「聞くスキル」「話すスキル」だけで豊かさを測ることはできない。

「すぐ伝わる」よりも「伝わっていく」を大事にしたい

「だから」は、納得を強要させる言葉でもある。

p135

「わかりやすい」が「良い」とされる状況は、どのようにして起こっているのだろう。
「わかりやすさ」を提供する側と、受け取る側があるとみたとき、それは「受け取る側」が出発点になっていることが多いのではないかと感じる。
「受け取る側」が「わかりやすくていいね」という態度をとるから、「提供する側」はさらなる「わかりやすいもの」を作っていく。
「納得」は、「強要」させるものでも、されるものでもない。
でも、僕には「伝わっていってほしい」と願うものもある。
「わかりやすさ」を「提供する側」は、「伝えたい」と願うものを持っているのだろうか。
最近、「言いたいことは言った方がいい」という言葉を聞いた。
それは、「言い続けることで、伝わっていくものがあるから」というプロセスのことなのだと思った。

自分の意見を言うために必要なこと?

何も知らないのをいいことに好き勝手言いふらして立ち去るのは論外だが、自分はこう思っているのです、という表明のために当事者性は必須ではない。

p144

「放置」と「曖昧」

本の中に登場した「放置」と「曖昧」という二つの言葉について、「これらはどう違うのだろう?」と思ったので、考えてみたい。
まず辞書を引いてみる。

【放置】
かまわずに、そのままほうっておくこと。

Oxford Languages

【曖昧】
内容がしっかり捉えにくく、はっきりしないこと。二通り(以上)に解せられること。

Oxford Languages

「放置」は、「わざと」「自分から遠ざけている」感じがする。
自分の意見を持つことや、誰かと議論するとき、それらを「放置」するのは楽だが、「曖昧」を選ぶのは簡単なことではない。
「曖昧」とは、「その後のプロセスを歩む意志がある」ときに使いたい言葉だと思った。

間違いだったと思う過去がある

最初にも、間違いを言ってしまった過去を書いた。
僕には間違えることがある。
それは、「間違ってもいいから何でもやればいい」ということではない。
間違えないように気をつけることは大事。
でも、「間違えないこと」を最上へ据えるわけでもない。
間違いを排除するのではなく、間違いを含めたプロセスを認め、歩む意志が、「曖昧」を選ぶことだと思う。

*

気になった方はぜひ読んでみてください。
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