羊と狼

初めまして、三歳の時に汎発型脱毛症(全身の毛が抜ける)を発症、以来カツラのベテランユー…

羊と狼

初めまして、三歳の時に汎発型脱毛症(全身の毛が抜ける)を発症、以来カツラのベテランユーザー、アラフィフの羊と狼と申します。夫と犬と生活してます。 禿げを隠しながらの生活は窮屈や面倒が多く 全てを曝け出して楽になりたいけどそんな勇気はない私 せめて文章だけでもとnote始めました。

最近の記事

三下り半「夫婦関係が良好になったきっかけ②」

パートナーの浮気が発覚した場合 した側がされた側に許しを乞い すったもんだありつつ 元サヤに戻ったり戻らなかったり それがセオリーなのだろう と思っていたが 私達夫婦はそうではなかった 発覚時、私は夫を責め、泣き ビンタを喰らわし 夫が詫びてくるのを待っていた だが一向にその気配は無い しばしの沈黙の後 「このままの結婚生活を 続けていくのはもう無理だ!」 私の耳に届いたのは まさかの三下り半だった 自分の置かれた立場を全く 理解していなかった私は ひどく狼狽し

    • 自分を大切にって具体的に何をすることなんだ「夫婦関係が良好になったきっかけ①」

      「もっと自分を大切にしなよ!」 なんて事を言われるような ハチャメチャな生活を送って いたことはないが 自分を大切にする を意識して生活したことが なかったため その言葉に直面した時 私は非常に困惑した もう10年以上前の話 夫婦として互いに思いやりも持てず 互いが互いを敵認識していたころ 夫の浮気が発覚し、それをきっかけに 私達は「夫婦再生」を試みることとなる 当時私は非常に傷ついており   元々低かった自尊心は 地に落ちていた ネット上を波乗りし 傷ついた己

      • 目から鱗が弾け飛んだ話「髪の無い私は価値がないという思い込みから脱却出来たのは夫の一言がきっかけでした②」

        私は結婚をしており 今年で25周年 燻し銀のような美しさを 醸しだす夫婦の銀婚式を迎えたばかりだ 髪が無いということで 私にとっては恋愛も結婚も とてもハードルの高いものであり 髪がない私を受け入れてくれる🟰 私の全てを受け入れてくれること と思い込んでいた 色々拗らせた私は呑気な夫を巻き込み お互い様な部分も多々あるが 拗れた糸を束ねてまたそれを 拗らせたような、、 そんな結婚生活を長い事 おくってしまっていた このことはまた今度掘り下げてみたい 互いを想いあい、

        • 治したい母と治れない私「髪のない私は価値がない、という思い込みから脱却出来たのは夫の一言がきっかけでした①」

          世の中には色々な病があり その当事者にしかわかり得ない 様々に心、体に関わる 不自由な事柄が沢山あると思う 脱毛症と言えば 命に関わることではない 痛みもない 単純に毛がないだけで ただただ見た目の問題だけである これもかつらを装着すれば そう注目されることもない 思っている程人は他人に興味は無く カミングアウトさえしてしまえば ハゲがバレるかもと 怯えることもなくなる ただ私の場合、 気楽にカミングアウト が出来るようになったのは 割と最近のはなし 髪がないことに

        三下り半「夫婦関係が良好になったきっかけ②」

        • 自分を大切にって具体的に何をすることなんだ「夫婦関係が良好になったきっかけ①」

        • 目から鱗が弾け飛んだ話「髪の無い私は価値がないという思い込みから脱却出来たのは夫の一言がきっかけでした②」

        • 治したい母と治れない私「髪のない私は価値がない、という思い込みから脱却出来たのは夫の一言がきっかけでした①」

          何故ハゲは馬鹿にされ、笑われるのか『かつらの歴史ってどんな感じ?』

          自身が脱毛症を患い、かつらユーザーだとて プロの芸人さんの「ハゲネタ」では 普通に笑ってしまうことがある 特に男性の「薄毛」「ハゲ」「かつら」は 決して本意では無い状況にも関わらず 馬鹿にされ、嘲笑される事が 許される傾向にあるのは何故か 何故ハゲは恥ずかしく 隠す事が一般的になっているのか アデ○ンスのWEBマガジンによると 古代ローマの時代、 かの皇帝シーザーは薄毛を隠すために 月桂冠を被っていたのだとか、、 え? 皇帝ともあろう方が薄毛を恥ずかしいと 思って

          何故ハゲは馬鹿にされ、笑われるのか『かつらの歴史ってどんな感じ?』

          安全基地『イジメをうけた小5の私の元気回復ルーティン』

          学校や職場、時には家庭が ホッと出来ない場所に なってしまうことがある そんな時、人は本能的に 自分の安全基地を 確保すると思う かつらが外れたことを皮切りに かねてから私をからかってやりたいと 思っていた同級生たちは 先生がいない時を見計らい  「かつら」だの「ツルツル」だの 「ハゲ」だの どストレートな悪口を 浴びせてくるようになってしまった 自身の最大のコンプレックスを 言葉にされると それは何本もの矢になって 心に突き刺ささってくる 実際に殴られるわけでも

          安全基地『イジメをうけた小5の私の元気回復ルーティン』

          中々の地獄『かつらやハゲをいじらないのもそろそろ限界だよね、、』

          想像していただけるだろうか 前日にかつらが外れ 素頭をさらしてしまったというのに またかつらを被り学校に登校 するという地獄を、、 もう全てが白日の下に晒されたのだから 隠すのをやめたら良いのにと 思われるかもしれないが 一度隠していた素頭を晒すのは 裸をみられるのと同じくらい 私にとって怖くて恥ずかしい事だったのだ。 重い足取りで教室に入った途端、 皆のお喋りが止む、当然話題は昨日の 「かつら飛んじゃった事件」だろう 私が着席した後、 教室はザワザワを取り戻す 「、、

          中々の地獄『かつらやハゲをいじらないのもそろそろ限界だよね、、』

          ついに、、『初心者かつらユーザー所以の浅はかさよ』

          小5の夏だったかな 私の頭にのっているものについて 触れてはいけないという 不思議な暗黙の了解が 破られる日がやってくる 頭皮とかつらは粘着度が高めの 両面テープで合体させているのだが このテープ、汗にすこぶる弱かった 運動会の練習か何かで全校生徒が グラウンドに出ていた時だと思う 先生の指示に従って行動した後 少しの自由時間があり、私は友達と ふざけ合っていた 今思っても何故そんな危険な遊びを していたのか、暑さのせいで脳みそが とろけていたのか ジャージの上を頭か

          ついに、、『初心者かつらユーザー所以の浅はかさよ』

          子供のスキル

          「ザ・かつら」を使用し始めた頃 直接関わり合うのは4〜6歳児 当時女子の髪型はおカッパかロング 彼女達は人の髪型などさほど興味は無く 私はちょっと毛量の多い子くらいな認識で 特に卑屈になるでもなく上手く子供社会に 溶け込み楽しく過ごしていたと思う さすがに小学校に上がり暫くすると 子供の洞察力のスキルも上がり 時折私の頭部を見て「おや?」と言う 顔を向けられることも増えてきた ここで凄いと思うのは私の前でヒソヒソ 話をしたり、直接「それかつら?」と 聞いてこなかった事だ。

          子供のスキル

          可哀想に

          夏休みと冬休みは両親の実家で 何泊かを過ごしていた お小遣いを貰ったり オモチャを買ってもらったり おやつが食べ放題だったり 動物園に連れて行ってもらったり 子供にとっては中々楽しい行事の一つ なはずだし、私も楽しみにしていたはず。 だがしかし 楽しみ以上に憂鬱な展開が待ってる 基本的に祖父母の家では かつらは被らずの素頭で過ごしていました。 いつも通りの姿で現れた私に向けられるのは 「可哀想に、、、」の言葉と表情 うん、わかる、可哀想、そうなの 女の子だしね、そ

          可哀想に

          ザ・かつら

          今でこそかつら制作の技術革新で パっと見それと見破られない物が出回っており、 もちろん私もそういったもの を着用させて頂いている 禿げている事を隠したいのだから 見破られない事がマスト それが「かつらの大事なお仕事」だろう しかし当時私が初めて装着したそれは つるりとした頭部を隠してはくれるものの 毛量が凄くあり、芸人の方がコントで 使用するおかっぱのあれにちかいものだった 「ザ・かつら」を被る生活は なんとも憂鬱で面倒なことだ 写真を見ればなんとも言えず 顔を曇らせて

          ザ・かつら

          引越し『私のかつら使用前使用後を知らない町へ』

          私がかつらを被り始めたくらいに 父の転勤にともない、かなりの田舎町から ほんの少し都会のそこそこの田舎町に 引越しをしている。 父は転勤族だったので、この引越しに今の今まで 何の疑問ももっていなかったけど あれ、、これひょっとして「私のため」に 転勤届とか出してた可能性もあるよねぇ 私の「変身前」から「変身後」 町の皆んなが知っていると言っても 過言ではない、、それではこの子も 生きづらかろうと、、もしかしたら 両親は思ったかもしれないね 今度帰省した時にでも聞いてみよう

          引越し『私のかつら使用前使用後を知らない町へ』

          初めてのカツラ『3歳でかつらデビューした時の記憶』

          殆ど記憶には残っていないけれど 初脱毛は私が3歳の時、 ひな祭りで母が私の髪を結ってくれてる時 に発見したと聞いている 慌てた母は私を病院に連れて行ってくれたけど 数ヶ月の間に髪も眉も睫毛も全て抜け落ちたそう 今から50年近く前の話、ネットもSNSも 無い時代、母はどうやって病院を探し出したのか 何科にかかればいいのか、どんな前例があるのか 今ならすぐだけど、当時まだ20代の母の不安や孤独を想像すると結構辛くてしんどい 子供の髪が抜け落ちた時 親は二つの選択肢を迫られる

          初めてのカツラ『3歳でかつらデビューした時の記憶』

          自己紹介:初めてのnote

          初めまして、羊と狼と申します。 アラフィフ、夫と犬と 暮らしております。 3歳で汎発性脱毛症(全ての毛が抜ける)を発症して以来のベテランかつらUserです。 もの心ついた頃から 「禿げを隠す」という秘密を抱える事、 それはとても面倒で窮屈で 「バレたらどうしよう」という恐怖も ついて周り、 幼い頃から成長期、思春期と 私にとってかなりストレスが かかる事でありました。 今だに何となく生きづらさを 感じるのはそのせいだろうと思っていましたが 最近HSS型HSPの特徴を目にした

          自己紹介:初めてのnote