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<創作大賞>夢幻想のふたり~剣姫あるいはIT女子~【12】

【12】朝菜
 あさひるコンビは、十九時七分にフェニックスコープのセキュリティドアを通過した。

 ネックストラップで社員証を付けていれば、自分に許可された区域の自動ドアは開く。ふたりは、アクセス権が一番低い自分のオフィスには、出入り自由となっている。

 ドアが開くと背の高い、たくましい体格の男と鉢合わせになった。付属高校の制服だ。
「おっ」
「あれ、比留間。戻って来たのか」
「うん、忘れ物を取りに」
「そっか」

 男は片手を上げて軽い挨拶をして、歩き去った。後ろ姿も高校生とは思えないほど、引き締まっている。見送った朝菜が尋ねた。

「身長が高いね。同級生なの?」
「そうです。細見幸太郎。インフラ営業1課所属です」
「ああ、彼か」
「知ってるんですか」
「うん。でも、会ったのは初めて」

 随分前に同級生女子が、この付属高校には珍しく体育会系のイケてる男子がいる、と騒いでいたのを憶えていた。
 会社全体としては、比留間のような、理系タイプの男性の割合が高いからだ。

「文武両道。優秀な奴ですよ」
「へえ。彼も、パスワード二十四桁だったりして」
「そうですよ。よく分かりましたね」
 真面目な顔で、さらりと答えた比留間に、朝菜は苦笑いを見せた。

 オフィスには、まだ多くの社員が残っていた。オープンスペースで打合せをしたり、歩きながら電話をしたりと、風景は始業時とあまり変わりない。

 朝菜と比留間がSE3課へ行くと、鹿取と新宮も仕事中だった。

「あれ、まだいたの」
 気付いた鹿取が声を掛けた。若干、髪が乱れている様に見える。新宮は顔を上げただけだ。朝菜は、わざと軽く頭に手を当てる。

「はい。ちょっと、打合せが……」
「ご苦労様。でも、残業しすぎないでね」
 鹿取は、それだけ言うと自分の仕事に戻った。社内コンペについては、任せてもらえている気がして、嬉しくなった。

 比留間は、自分の机の上にパソコンが置いてあることを確認して、朝菜に合図をした。
「では、失礼します」
 ふたりは頭を下げると退社するフリをして、05会議室へ素早く入った。

 ここは、SE3課からは死角だが距離は近いので、何か起こったらすぐに飛び出して確認をすることができる。朝菜は立ったままで言った。

「これから、どうするつもりなの」
「まずは座って、先輩のパソコンを起動してください」
 朝菜はショルダーバックからパソコンを取り出して、社内ネットワークにログインした。IDとパスワードを三回打ち込むタイミングがあって、非常に面倒くさい。

「ログインしたよ。ああ、業務メールがいっぱい来てる」
「僕のパソコンが起動したり、フォルダにアクセスされたときに、先輩と僕のスマホにメールが届くようにしてあります。それをここで待ちます」
「分かった。そんな設定よくできたね」
「……へへへ」

 比留間は、頭を掻く真似をした。目が泳いでいる。全てを察した朝菜が眉をひそめた。
「後でちゃんと、元に戻しておいてよ。見つかったら、知らないからね」
「はい」

「じゃあ、私はメールの返信作業をして、待ってる」
「僕も社内コンペの構想を練ってます」
 十九時二十六分。あと一時間ほどで何かが起きるのか。あさひるコンビの胸中は不安で満たされていた。

 二十時十八分。比留間の予想した時刻まで、十分少々。まだ、何も起こってはいない。朝菜は、メールの返信を終えて、暇を持て余していた。
 スマホで動画を見ようかとも思ったが、緊張感に欠ける気がしてやめた。

 結局、足をブラブラさせて、会議室の白い壁を見つめるだけだ。比留間は、何か考えながら、時々スマホにメモを打ち込んでいる。
朝菜が話しかけた。

「ねえ、比留間君。ハッカーの正体は、誰なのかな」
「……考えたんですが、手掛かりは機会と技術と動機だと思います」
 比留間は、スマホから顔を上げた。

「どういうこと?」
「機会とは、昨日の二十時三十分の時点で、このオフィスにいて僕のパソコンを操作できた人物です。このオフィスの無線LANに接続して、社内ネットワークを利用していることを突き止めてあります」
 どう調べるのか、朝菜には不明だ。

「技術とは、僕の個人情報を調べられるスキルですね。特にパスワードは、厳重に守られている筈ですから」
「比留間君はできるの?」

 比留間は、一瞬ためらった。
「五分五分です。調べるために社内の特定のサーバに侵入できても、侵入した痕跡を完全に消せるか、どうかですね。後で見つかったら、まずいですから」

 侵入まではできるのか、と思いつつ、尋ねたことをちょっと後悔した。 

「最後に、動機はやっぱり社内コンペでしょうね。最近の僕の大きな変化はそれしかありません。社内コンペに関係している人が疑わしいです」

「その三つに当てはまる人がいれば、怪しいということかな」
「第一容疑者です」
 比留間は、言い切った。

「予想はついてるの?」
「人数が多すぎて、駄目です。うちの会社は、高いネットワークスキルを持っている人が、沢山いるんですよ」
 比留間は、天井を見上げる。
「まあ、強いて言えば、SE1課からSE3課の中かな。それでも、十人以上になりますけど」

「ふうん。ちょっと、人数が多いね。ああ、彼は? さっき会った。細見君だっけ」
「ああ。あいつなら、出来そうです。……悔しいけれど、僕より優秀なので」

 それほど悔しくはなさそうだ、と感じたが、口には出さなかった。女子の感情も複雑だが、男子も変わらないな。

「細見のこと、気になります? 紹介しましょうか」
「いらないよ。スポーツマンは、苦手なの。一緒に走ろう、とか言われても困るし」

「ああ、ご心配なく。彼は水泳選手なので、ランニングは得意じゃないですよ。きっと」
「ちょっと、違う気がする」

 朝菜が冷たく言ったとき、ふたりの耳にかわいい電子音のハーモニーが飛び込んできた。パソコンとスマホから、ほぼ同時に音が鳴ったのだ。時刻は、二十時二十八分。

「あっ! メール」
 朝菜は、急いで新着メールを見た。 
<Ring your bell>
 英文タイトルのメールが届いているのを確認して、朝菜は比留間の方を向いた。
 比留間もスマホを操作して、メールをチェックしている。

「これ、警告の意味かな」
「そうです。先輩、ちょっとパソコンを貸してください」
 朝菜はパソコンを比留間の前へ滑らせた。

 比留間が、勢いよくキーボードを叩き始める。プロンプト画面で、自分のフォルダのログを調べているようだ。

 することが無くなった朝菜は、こんなときエディスならどう行動するだろうと考えた。
「私、比留間君のパソコンを見てくる」
 比留間の返事を待たずに、飛び出した。

 会議室に籠る前より、目に入る社員の数は随分減っている。SE3課の机に近づくと、鹿取も新宮も退社したのか、無人だった。

 比留間のパソコンは、モニタを閉じて机の上に載ったまま、動かした形跡も、起動させた様子もない。
「えっ、なんで」

 周囲を見回した。SE1課は無人、SE2課にはひとりの男性社員が残っている。朝菜は意を決して、SE2課の机に歩み寄った。

「あの、ちょっと、よろしいですか」
 背中に声を掛けると、男性が振り返った。顔見知りの社員だった。よかった。

「あれ、縄田さん。随分、遅いね」
「ええ。SE3課の人たちは、もう帰りましたか?」
「そうだね。三十分くらい前には、もう誰もいなかったかな。何かトラブル?」
「いいえ。ちょっと、聞きたいことがあって…… 明日にします」
「そう。だったら、いいけど」

「お邪魔しました」
 朝菜は頭を下げると、小走りで05会議室へ戻った。スパイみたいで、胸が苦しい。頬が熱い。しかし話の最中に、男性社員のパソコンモニタは、しっかりと確認済だ。 

 会議室のドアを開けると、比留間が腕を組んで、苦い顔をしていた。

「比留間君のパソコンは、使われてないみたい。机の上から動かされた様子もなかった」
「……」

「SE1課とSE3課は、空っぽで誰もいない。SE2課にはひとりだけ、机に残っていたけど、パソコンのモニタを見る限りは、見積作業中みたいだったよ」

「そうでしょうね」
 立ったまま、一息に喋った朝菜に対して、比留間は素っ気ない返事だ。

「どうしたの、変だよ」
「やられました。完敗です」
 モニタを指差して、暗い声で言った。

「ここを見てください。僕のフォルダにアクセスしたパソコンが表示されています」
「23509 Yobihin21。予備品21?」

「予備品です。パソコンが壊れたときに、借りられる会社の備品です。これでアクセスされると誰が操作しているか不明になります」
 比留間が悔しそうな顔をすると、朝菜はポンと手を叩いた。ひらめいた。

「借りた人を突き止めればいいよ。あれは、登録制でしょ」
「そのとおり、なんですが…… 備品の借用サイトを見たら、パソコンの予備品は二十台しかないんです。おまけに、一台も貸し出されていません」

「うそ。じゃあ、幽霊パソコンじゃない」
「あっ、上手い例えですね、先輩…… そうか、幽霊パソコンなんだな」
 なぜか比留間の声が、さきほどよりは明るくなった。大きく目を開く。

「幽霊じゃ、しょうがないか。なんだか、気が抜けました。ははは」
「笑ってる場合じゃないよ。緊張感無いなあ。ハッキングされたんでしょ」
 朝菜は腰に手を当てて、口を尖らせた。スパイのまねが、無駄に思える。

「ええ。予想通り、昨日と同じ時刻に僕のフォルダを覗きに来ました。サブフォルダを三つ開けてから、諦めたみたいです。きっと、沢山並んでいるのがダミーだってことに、気が付いたんでしょう。四分ほどで、ログアウトしました」

「逃げられたってことね。被害は無いの?」
「どのサブフォルダを開けたかは分かりました。ダミーなので、被害はありません」

「でも、根本的な解決にはなってないよ。どうしよう」
「社内コンペが終わるまでは、重要なデータは外付けメモリにでも保存します。サブフォルダが百個近くありますから、僕のデータフォルダを探るのにかなり時間がかかるでしょう。それまでには、社内コンペは終わってますよ」

 比留間は、両腕を天井に向けて突き上げると、大きく伸びをした。顔つきも変わって、憑き物が落ちたようだ。それに比べ、朝菜は胸の中にモヤモヤを残したまま、消化不良の気分が抜けなかった。

「先輩、もう帰りましょうか」
「……わかった」

 ふたりは、省エネで所々照明が消え始めたオフィスを出て、エレベータに乗った。暗くなったロビーへ降りると、警備ロボットが巡回している以外、人の姿はなかった。

 夜遅く帰る時はいつも、疲れと充実感と寂しさが混ざった不思議な気持ちになる。ただ、今日はそこに敗北感が紛れ込んでいた。

 朝菜が悪い訳では無いのだが、比留間の力になれなかったという気持ちが、体中にしみ込んでいた。

 あさひるコンビは、最寄り駅までの歩道を無言で並んで歩いた。夕方歩いた街並みは、夜の街へと装いを変えていた。しばらくして、横に長い駅ビルが見えてきたところで、比留間が静かに言った。

「先輩、怒ってますか」
「ぜんぜん」
 朝菜は前を向いたまま、首を横に振った。そんな気持ちは、微塵もない。

「すみません。僕のわがままに、付き合わせてしまって」
「謝ることじゃないよ。協力する、と言ったのは私なんだから」
 うつむき加減の言葉は、横を通り過ぎたバイクのモーター音に、大半が消えた。

「盗み見されるくらい警戒されてますからね。それだけ、あさひるコンビは凄いってことの証明じゃないですか」
 おどけた大きな声が、元気のない朝菜の耳に響いた。

 ふいを突かれて、横目で比留間を見る。気を遣ってくれたのかな。少し落ち着いた。ありがとう。

「僕、頑張ります。絶対に、良いものを作りたいんです」
「そうだね…… うん。本当に、そうだね」

 朝菜は顔上げると、握り拳を横に突き出した。比留間の腕を軽く叩く。なんだか、剣姫みたいで、気分がいい。
「行くぞ! 相棒」
 その言葉の意味を理解して、比留間は白い歯を見せた。

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 翌日の十一時。SE3課のメンバーは、03会議室に集まっていた。社内コンペの会議を朝菜がスケジューリングしていたからだ。

 前回と違って、高岡課長、新宮が並んで座り、それに対面して鹿取と朝菜、比留間が座っている。

 高岡課長、新宮が出した宿題に対する回答を説明する際に、鹿取があさひるコンビを援護するかたちだ。

 全員、パソコンが手元にあり、資料は共有されている。 
     
 デジタルペットは遊びではなく、癒しであるということ。そして、勉強の成績があがるにつれ、ペットが成長し、そのフィードバックで、学生本人も成長できる可能性がある。

 デジタルペットのデータセキュリティはブロックチェーン技術を応用することで解決できる。

 高岡課長と新宮へ、朝菜と比留間が丁寧に説明した。

「私は、ふたりのアイデアに賛成します。SE3課は、若手のおもしろ提案で勝負です」

 最後に、鹿取が応援の言葉を添えてくれた。ちゃっかり自分の言い出した、おもしろ提案というフレーズを使っている。

「いいだろう、あさひるコンビ。それで進めようじゃないか」
 高岡課長が、笑いながら承認した。おもしろ提案が、気に入ったらしい。

 新宮も、黙って頷いた。駄目なときは、きちんと意見を言うタイプなので、問題無しと判断したのだろう。

「ありがとうございます。頑張ります」
 笑顔の朝菜へ、高岡課長が続けた。
「では、スケジュールの再確認をしよう。結構、厳しいぞ」
「はい」

「今日は水曜日。提案書類提出の会社締切は、金曜日の十七時だ。でも、SE3課の締切は十三時とする。私が最終チェックをする時間がほしい。いいかな」
「承知しました」

 学校の授業も考慮した。想定内のスケジュールだ。比留間も頷いている。高岡課長は、さらに続けた。

「もう一点、伝えることがある。コンペのスケジュール繰り上げの代償を会社幹部も負うことになった。優秀な提案の選考は、金曜日の十七時から行われる。つまり、締切直後に開始ということだ」

「でも、いくつ提案が提出されるか、わかりませんよ」
 先日の鹿取の予想では、全国の支社店から応募される可能性があった。

「二十や三十あるだろうな。夜を徹してでも、やりきる覚悟のようだ。社員に無理をさせておいて、会社の幹部が楽をしているようでは、信頼ゼロだろう」

「ということは、三十分待ってくださいとか、資料を差し替えてくださいとかは」
「無し、ということになるな」
「うわあ、プレッシャー。でも、やります」

 朝菜がそう言いながら比留間の方を向くと、何か覚悟を決めたような表情がそこにあった。
「書類提出の方法で、ご相談があります」
「なんだろう。比留間君」

「先程おっしゃった選考のやり方ですと、提案の見せ方にも工夫が必要だと思います。そこで、考えたのですが……」

 比留間が説明を始めた。朝菜は一度聞いている内容だ。しかし、あさひるコンビ以外のSE3課の人々の顔が、複雑な表情に変わってゆく。代表して高岡課長が切り出した。

「それ、大丈夫なのか。確かに、インパクトはあるが」
「参加要領のメールに、提出形態は問わない、と書いてありました」

 比留間は、違反じゃないですよ、と平然とした態度だ。そして、はっきりと言った。
「是非、やりたいんです」  
(つづく)

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