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【創作大賞2024応募作品 ミステリー小説部門】神の罠はサケられない(3)

「泥棒にしては、珍しいな。女ふたりとは」
 男が姿を現した。黒縁の眼鏡。衛生のためか白い帽子、白いマスクを付けている。声からすると四、五十歳だろうか。木製のスコップを手にしている。ブンジと呼ばれる、蒸したコメをかき混ぜる硬い木の道具だ。

「ここには金目の物なんてないぞ。痛い目にあう前に、出てい行け」
 ブンジを突き付けられて、ビタまんは慌てた。
「いやいや。違うんです」
「ごめんなさい。誤解ですよ」
 二人は身振り手振りで、男をなだめようとする。泥棒と間違われてもしかたがない状況だが、殴られるのはいやだ。
「出て行け」
「待ってください。話を聞いてください」
 美和が涙声で訴えた。男は二人を睨んで黙っていたが、しばらくして口をひらいた。

「じゃあ、話だけは聞いてやる。泥棒にしては、素人みたいだからな」
「よかった。私たちは、旅行者なんです。旅行先で、その土地のお酒を飲むのが目的です。この辺りで、珍しいお酒があると聞いて、やって来ました」
「なんか、ありきたりだな。そもそも、部外者は立入り禁止だ。常識だろ」
「それについては、謝ります。すみませんでした」
 二人は、揃って頭を下げた。

「おう」
「でも、入口の事務所で何度も大きな声で挨拶しましたよ。それなのに、誰も応えてくれなくて。ついつい、奥まで」
「本当です。信じてください。私たちは泥棒でありません」
 香澄も必死に弁明した。警察沙汰はまずいだろう。そのせいか、男の興奮は随分収まってきた。
「今日は日曜だからな。従業員は休みなんだ。応対できなかったのは、すまなかった。もともと、ここは盗られる物も無いからな。水に流してやるよ」
「ありがとうございます」
「もう、外は暗くなる。さっさと帰った方がいいぞ」
 男は事務所へのドアを開けた。ブンジを振って、酒蔵から出るのを促す。
「待って待って、まだ帰れない。教えてほしいことがあります」
 美和が一歩前へ出る。真剣な表情で尋ねた。

「ある銘柄のお酒を探しています。そのために、バスに乗って、それから三十分も歩いてここまで来たんです。その結果が分からないと帰れません」
「まだ、何かあるのか。うちの酒は一種類しかないぞ」
「何という銘柄ですか」
「かみのわ」
 男は、ぼそりと言った。

「え、え。もう一度」
「か、み、の、わ」
 面倒くさそうに、声を大きくして言う。
「かみのわ……。ど、どんな漢字ですか」
「神様の輪っかで、神の輪」
「うわ、ほとんど合ってるのに」
 香澄が、美和の肩をつかんで揺さぶった。美和がもう一度確認する。
「輪は、リングの輪ですか」

「なに訳わからんこと言ってる。この辺り集落は野輪という地区で、その中で上野輪と下野輪に分かれてる。ここは上野輪地区だ。昔は上野輪って銘柄で出してたけど、先代の社長がもう少し売れそうな名前にしろって言って、変えることにしたんだ。それで、同じ読み方の神の輪になった。これでいいか」
 男は教師が生徒に授業をするように、丁寧に説明してくれた。しかし、ビタまんの二人は、がっかりした表情だ。期待していたが故に、違っていたときの反動も大きい。

「残念。あの男の子の聞き違いか」
 美和は肩を落とした。
「そもそも、前田さんが間違っているのかも。飲み屋で隣の人の話を聞いただけだもん」
 香澄は口を尖らせている。確かに、聞き違えの可能性はある。しかし、一文字足らないだけなので、責めようにも責めきれない。
 今頃になって、三十分歩いた疲れが体にのし掛かかってきた。

「また訳のわからんこと言って。いったい、あんた達が探している酒は、なんて銘柄なんだ。言ってみろ」
「神の罠です」
「えっ? もう一度」
「か、み、の、わ、な」
 香澄は、なげやりな口調だ。男は記憶を探るように、腕を組んでいる。しばらく考え込んだ後に言った。
「知らんな」

 二人は、さらに落ち込んだ。ダメージは漫才ですべった後と同じだ。
「ご存じではないですか」
「知らん。S市には、あと二つ酒蔵があるが、そこの酒でもないな。県の品評会でも聞いたことない銘柄だな。だいたい、わな、は猪を捕まえるような罠のことか」
「そうみたいです」
「ふつう、罠なんか付けるか。売れないだろ」
「そんなこと言わないくださいよ」
 美和は疲れが足にきたのか、しゃがみ込んだ。床に座り込みそうな勢いだ。香澄も下を向いて黙ってしまった。冷ややかな空気が周囲に充満する。

 男は、仕方ないという様子で、切り出した。  
「辛気臭いな。そんなに、落ち込むなよ。あんた達、地酒を飲むのが目的だろ。うちの酒を飲ませてやるから、元気出せ」
「ありがとうございます」
「気を使ってもらって、すみません」
 二人は神妙な顔で礼を言った。美和もなんとか立ち上がる。

「ああ、いいよ。そこの休憩所で待ってろ。持っていくから」
 男が顎で指したのは、プレハブの小屋だった。酒蔵の中に、四角い小屋が作られている。すりガラスのはめ殺しの窓とアルミのドアが付いており、外とは隔離されている。
「昼飯食ったり、茶を飲んだりするところだ。椅子があるから、座ってろ」
 そう言うと男は酒蔵の奥の暗がりに姿を消した。ビタまんは、おそるおそるプレハブ小屋の中に入ってみた。スイッチを探して電灯を点けると、長机と折り畳み椅子が乱雑に置いてある。二人は椅子に座ると、溜息をついた。

「泥棒に間違われるとは、びっくりした」
「状況的には、言い訳できないな。でも、すごく疲れた。こんな突撃取材は初めて」
「結局、この蔵元のお酒は、神の罠じゃないのよね」
「そうだね。聞き込みからやり直しだね」
 香澄は頭の後ろで手を組んだ。明日の行動予定をどうするか。
「いや、それよりも、この後でしょう。どうやって、駅まで戻るかを考えないと」
「また歩いて、バスに乗る。今、四時半くらいかな。もしかしたら最終かも。田舎のバスは終わりが早いから、乗り遅れるとまずいね」
「きっと、道が真っ暗だよ。歩けるかな。あのおじさん、車で来てるはず。乗せてもらえると助かるよね」
「うまく、交渉だね」

 穏やかな時間が流れた。何もすることが無いときは、時間が長く感じられるが、せいぜい五分くらいだったろう。音のしない閉鎖された空間に二人が飽き始めた頃、ドアを叩く鈍い音が響いた。二人は身をすくめた。
「おい、取りに来てくれ」
 ドア越しに男のくぐもった声が聞こえた。香澄がドアを開くと、男が一升瓶とぐい呑み二つを両手に持って立っていた。

「ほら、飲め」
 男は両手を差し出して、酒と器を香澄に渡した。小屋の内と外で明るさが違うせいか、闇の中から手渡されたようだ。男は、ごゆっくりと言いながら外から、サッとドアを閉めた。香澄には一言も発する暇を与えなかった。
 香澄はなんとなく違和感を覚えつつ、茶色の一升瓶と白いぐい呑みを机の上に並べた。

「じゃあ、ごちそうになりますか」
「そうだね、折角だから飲んでみよう。神の輪を」
 二人はラベルも何も貼られていない一升瓶から酒を注いだ。どぶろくに近いのか、とろみがあり、白濁している。洗練はされていないが、野性味を感じさせる。

「酸味があるね。でも美味しい」
 美和は、すでに飲み干している。
「そうかな。独特の風味は、好みが別れそう」
 香澄には合わないのか、二口でやめてしまった。反対に、美和は二杯目を注いでいる。
「これ、美味しいわ。買って帰ろうよ」
「重たいよ。自分で持ってね」
 なんだか、飲み会のようだ。二人は舞台がはねた後、どちらかの家で飲むのが常だった。お店に入ると金が掛かるからと、どちらともなく言い出したのだ。地方出身で、借りたアパートが近かったせいもある。コンビを組んでから、長い間苦楽を共にしてきた。悲しいかな、美味しい酒の日ばかりではなかったのも事実だ。

 何の前触れも無く、目の前が真っ暗になった。
「へえっ!」
 美和が間の抜けた声を上げる。香澄は素早く首を振って左右を見回した。何も見えない訳ではなかった。はめ殺しのすりガラスの窓から、ぼんやりと光が入って来る。小屋の中だけ電灯が消えたのだ。
「電気が切れた」
「故障かな。外は電灯付いてるよ」
 香澄は外に出ようと、這うようにドアに近づいて、ノブを回した。動かない。鍵が掛かっていることに気付くと、音を立ててドアを押したり引いたりしたが、開かなかった。

「ドアが開かない」
「えっ、閉じ込められたの」
「わからない」
 もしかして、電灯も外から切られたのかな。香澄の頭は混乱した。どうなってるの。
「おい。飲んだか」
 男のくぐもった声が窓の外から聞こえてきた。すりガラス越しに、男の影が見えていた。

「あ、あの。電灯が消えて、ドアが開かないんです」
「酒は飲んだのか」
「の、飲みました。それより、ここから出してください」
 美和が大き目の声で訴えた。
「そうか、飲んだか。じゃあ、いい」
「よくないですよ。開けてください」
「困るんだ。うちの酒を探しに来られたら、困るんだよ。先祖代々の秘密だからなあ」
「何言ってるのか、わからない。秘密だから、何ですか!」
 香澄が必死に、大声で叫んだ。訳が分からない。

「あんた達が探しに来た酒は、大物主神様と口寄せ巫女が飲むものだ。儀式に使うんだ。どこから聞いてきたか知らんが、世の中に知られたら、わし達が困るんだ」
 男の淡々とした口調は、聞いている二人の全身の毛を逆立たせた。
「だから、あんた達には消えてもらうよ。すまんな。ただじゃないぞ。神の罠を飲ませてやったんだから、おとなしく死んでくれ」
「いやだあっ」
 男が死んでくれと言ったのと同時に、美和が叫んでドアに突進した。肩からドアにぶつかる。三度ぶつかると錠が壊れて、弾けるようにドアが開いた。美和は必死の形相で、外へ転がり出た。香澄もそれに続いたが、視線を感じて振り返った。男が棒のように立っている。帽子とマスクで表情は分からない。ただ、黒縁眼鏡の中の眼が二人を凝視していた。

 美和は立ち上がると香澄の手を握って走り出した。方向は考えず、まずは男から離れることしか頭にないようだ。しかし、残念なことに二人が向かったのは、入口とは反対の蔵の奥だった。美和と香澄は、巨大な樽の後に逃げ込んだ。しかし、蔭になっているだけで、側まで来ればすぐに見つかってしまうだろう。なんとか、男の隙を突いて逃げ出さなければならない。

 美和は周囲を見回して、酒作りに使う古い木の道具が、壁に掛かっているのを見つけた。二つ選んで手に取ると、一つを香澄に渡す。美和が持っているのは、櫂棒という酒樽の中をかき混ぜる長い棒だ。そして、香澄が手にしたのは、さきほど男が持っていたのと同じ、ブンジと呼ばれる木のスコップだ。使い古されていて、持ち手は傷だらけだ。
「いざとなったら、頭を殴って逃げよう」

 美和の勢いに、香澄も頷かざるを得なかった。いつもより、頼もしい。
 酒蔵の中は静まり返っていた。そこへ、ゴム底の靴がたてる軋むような足音が聞こえてきた。だんだんと近づいてくる。二人は、動かず息を殺して恐怖に耐えた。足音は近くを通り過ぎて音が小さくなり、やがて聞こえなくなった。

「行くよ」
 美和の合図で、樽の後ろから飛び出した。しかし、男は通り過ぎたふりをして、闇に潜んで待っていた。美和の背後から現れると、無言で背中から抱きついた。
「いやああっ。助けて」
 美和は必死に暴れるが、男の腕をほどくことができない。しかし、美和は諦めなかった。もがきながら、なんとか男の背中を香澄の方へ向けることに成功した。そして、叫んだ。
「香澄! 早く! 頭!」 

 香澄はいったん逃げかけたが、美和が襲われたのを見て立ちすくんだ。どうしよう。体が動かない。非常事態だ。どうすれば。
 次の瞬間、白い光が頭の中で爆発した。
「うああああっ」
 香澄は叫び声を上げると、ブンジで男の後頭部を殴りつけた。硬い物を叩いた様な衝撃で腕が痺れる。手から離れたブンジが音を立てて床に転がった。さすがにダメージを受けたのか、男は後頭部を両手で押さえて、逃げるように蔵の奥へ消えた。

 ビタまんの二人は、しゃがみ込んでしばらく様子を伺っていたが、男が戻って来ないことが分かると、這うように入口に向かって動き始めた。そこへ追い打ちをかけるように、天井からぶら下がっている蛍光灯が全て消えた。男が消したに違いない。息が荒くなる。もう一度襲われる恐怖に駆られた二人は、手を握り合って入口へ急いだ。闇の中で、事務所スペースから漏れる光だけが頼りだった。

 何とか男に襲われる前に、よろけながら建物の外に出ることができた。日も落ちて、酒蔵の中と同じように暗いが、月の光と遠くの街灯がせめてもの救いだ。しかし、助けを求めようにも人通りが皆無だ。地面に座り込んだ二人は、途方に暮れた。
 急に目の前が、爆発したように明るくなった。
「えっ、何」
「まぶしい」
 美和は、大きく口を開けて声を漏らした。香澄は両腕で光を遮っている。

「いやいや、ご苦労様。ドッキリ企画、大成功だよ!」
 そこに撮影用のライトを持った、前田ディレクターが立っていた。興奮しているのか、少し息を切らしている。その横で、スタッフの若い男がカメラを構えていた。

 前田は、『大爆笑 ドッキリ・スタジアム』と書いた白いボードを持っていた。芸能人を凝った仕掛けで騙して笑いをとる、人気テレビ番組だ。
「えっ、マジですか」
 美和は涙声で、なじるように言った。
「ちょっと、やりすぎ。死ぬかと思いましたよ」
 香澄は怒ったように叫んだ。感情が、ぐちゃぐちゃになる。
「ごめん、ごめん。うまくいき過ぎたかな」
 前田はニヤニヤと笑っている。口で謝ってはいるが、本心ではないことは明白だ。

「じゃあ、お酒は。神の罠は」
「そんなの無いよ。嘘だよ」
「神様が見えるというのも」
「見える訳ないじゃない」
「居酒屋での依頼は、全部つくり話」
「そのとおり」
 騙されたあ、と言いながら二人は地面に寝ころんだ。あの経験の後だ、服が汚れるのも気にならない。緊張が解け、疲れがピークに達した。もう、動けない。カメラが近づいてきても、恥ずかしい気持ちさえ起こらなかった。

「駅近くのビジネスホテルをおさえてあるから、寝るならそこで寝て」
 前田はそう言って、二人を立たせ、隠してあったワゴン車に押し込んだ。すると、香澄が思い出したように言った。
「あの襲ってきた男の人は、誰ですか」
「この酒造会社の杉元社長だよ」
「私、殴っちゃいましたよ」
「大丈夫、打合せしてあるから。うまく避けてるよ」
「あの、帰る前にご挨拶しておいた方が、よくないですか」
「後で電話しておくよ。それより、疲れてるだろ。ホテルへレッツゴー」
 前田が握った拳を小さく上げた。
「これ、絶対放送してくださいね」
 香澄は意気込んで言った。お蔵入りだけは、勘弁してほしい。しかし前田は、またニヤニヤと笑っただけだった。スタッフの若い男の運転で車が動き出した。
 *****
 香澄は、公共放送のホールの客席に座っていた。三千人は入れる大ホールが、満席になっている。舞台のホリゾントには『新春 新人漫才大賞』と書いてあった。
 にぎやかな音楽が鳴ると女性が二人、勢いよく舞台袖から飛び出してきた。フリルが付いた衣装に身を包んでいる。二人はセンターマイクの前に立つと、揃っておじぎをした。

「どうも、ビターまんじゅうです。よろしくお願いします」
 あれ? 客席にいる香澄が声を出した。私がここにいて、舞台上のビタまんの漫才を観ているなんて、おかしいでしょ。私もビタまんの一人なのに。でも、舞台の二人はちょっと若いな。今は、あんなヒラヒラした服は着ない。ああ、これは新人漫才大賞を貰ったときだ。あの日は、最高に幸せだったな。喋りながら、自分で笑ってるもん。毎日楽しかったなあ。あれ、目の前がぼやけてきた。あれ、私泣いてる。漫才を観て泣いてる。泣くな。泣くなよ。笑え。笑えよ。笑えない漫才なんて、もう止めて。
 *****
 香澄は目を覚ました。涙で頬が濡れている。両手で顔をこすったが、まだ頭はぼやけたままだ。無理やり起き上がると、そこは殺風景なシングルルームのベッドの上だ。時計を見ると、午前九時四十分過ぎ。寒い。昨夜は、ビジネスホテルに到着するなり、部屋に入れられて、着替えもそこそこに寝てしまったのだった。

 顔を洗おう、メイクもそのままだし、と思いベッドから降りた。ユニットバスの鏡の前で乱れた髪にうんざりしたとき、入口のドアがノックされた。
「牧原さん。起きてますか。開けてもらえますか」
 知らない男性の声だ。香澄は急いで髪を整えた。声に高圧的なものを感じ、体が動いたのだ。ホテルの浴衣だと恥ずかしいなと考えていると、また呼びかけられた。

「牧原香澄さん。返事してください」
「あ、はい。ちょっと待って。着替えるので」
 怒っているような声に、思わず返事をすると、冷静な声が返ってきた。
「とりあえず、開けてください。警察です」 


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