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【創作大賞2024応募作品 ミステリー小説部門】神の罠はサケられない(4)

 警察と言われ、胸騒ぎがした。仕方なく、そっとドアを開ける。ただし、チェーンは付けたままなので、開いたのは十五センチほどだ。短髪でスーツ姿の男が見えた。
「牧原香澄さんですね。N県警の者です」
「ドッキリ企画の続きじゃないですよね」
 男は無言で警察手帳を提示した。本物の刑事のようだ。
「お話を聞きたいので、ご同行いただけますか」
 刑事の言葉は、丁寧だが有無を言わせぬ力を感じさせた。

「あの、仕事仲間がいますので、相談してみないと」
「前田さんと仲野さんですね。そちらにも別の者があたっていますので、ご心配なく」
 逆らえないものを感じて、香澄は同意した。素早く着替えると、警察官の後についてエレベータでロビーに降りた。ロビーのソファーには、すでに美和が座っていた。不安そうな顔つきだ。横に男が付き添っている。香澄と美和は目が合ったが、言葉を交わすことはできなかった。二人は別の車に乗せられ、S警察署へ運ばれた。

 警察署に到着してから、香澄は美和にも前田にも会えなかった。取調室に案内され、座って待つように言われた。十分もすると、ホテルの部屋に訪ねて来た短髪の刑事が現れた。氏名、年齢、現住所、職業を聞かれるがままに答えると、任意ですがと断ってスマホの提出を求められた。仕方なくスマホを渡すと、刑事は部屋を出て行った。
 そこから長い時間待たされた。スマホが無いので、香澄には経過時間がわからない。空腹感がひどくなってきた。何が起こっているのか知らされないまま、心が不安に蝕まれてゆく。いつの間にか、香澄はうつむいたまま、動けなくなってしまった。

 それは突然だった。ドアが開閉する音。ふわりと風を感じ、淡い香水の香りが漂った。
「お待たせしました。ごめんなさいね」
 優しい声。顔を上げると、小机を挟んで香澄の正面に女性が座っていた。まず、目に入るのは長い金髪。そして、白い肌、とび色の瞳、花びらのような唇。香澄は、女神が舞い降りたのかと思った。

 口を開けて、何も言わない香澄を見て、女神は首をかしげた。
「どうかしましたか」
「い、いえ。髪を染めている方もいるんだなって」
「私はハーフです。これは地毛ですよ」
「失礼しました」
「いいえ。申し遅れました。事情聴取を担当します、知花エディスです」
「はあ」
 香澄は、まだ現実とは思えなかった。美人刑事でエディスだなんて、映画のようだ。

「お腹すきませんか。私、早朝に呼び出されて、そのまま朝食抜きなの。クッキーでよければ一緒にいかがですか」
 エディスは、バッグからチョコクッキーの箱を取り出した。
「係長。食べ物の提供は、ちょっと……」
 後ろに控えていた短髪の刑事が、難色を示した。
「大丈夫ですよ。今、そこで買ってきたばかりだから、食中毒の可能性は低いです」
「そういう事ではなくて」
「それに、腹ペコ女子は、機嫌悪くて、何も話してくれませんよ」
 エディスは、さっさと箱を開けてしまった。自分の分を一枚取って、どうぞと香澄の方へ箱を押しやった。香澄も空腹に耐えきれず、一枚とって口に入れた。

「ああ、この方は片桐主任です。恰好いいでしょ」
 そう紹介された片桐は、咳ばらいをして横を向いた。顔も赤くなっている。エディスは、可愛く微笑んだ。
「さて、牧原香澄さん。なぜ警察で事情聴取されているか、分かりますか」
 エディスの問いに、香澄は首を横に振った。手には二枚目のクッキーを持っている。

「そうですか。嘘ではないようですね。では、状況をお話します。本日午前四時頃、S市野輪地区にある杉元酒造社長・杉元氏が、遺体で発見されました。場所は杉元酒造の工場内です。我々は、自殺と他殺の両面から捜査を行っています。発見者は杉元酒造の従業員です。その方に話を聞くと、昨日杉元社長はテレビ番組の撮影に立ち会うと言っていたようです。杉元社長の携帯電話の通話記録から、テレビ局員の前田氏を割り出しました。そして、S市内ホテルに宿泊していた前田氏から事情聴取した結果、あなたと仲野美和さんからもお話を聞くことにした訳です。……大丈夫ですか、牧原さん」

 香澄は顔から血の気が引くのを感じていた。手が震えて、クッキーを床におとしてしまう。酒蔵での出来事が思い起された。
「牧原さん。牧原香澄さん。大丈夫ですか」
「死んだ……」
 香澄は、何度もまばたきをしながら言った。心拍数が増えるのが分かった。エディスは、それを真顔で観察している。

「テレビ番組企画のことも、昨夜杉元酒造で起こったことも、前田氏から情報を得ています。そのうえ、カメラやスマホで記録された映像、音声も全て視聴しました。始まりは、居酒屋で前田氏と食事をして、仕事を依頼されるところからですね」
 あれっ違う、と香澄は思った。
「待ってください。その場面は撮影していません」
「ああ、映像があります。前田氏の部下の下野氏が隠し撮りしたようです」
 香澄は、居酒屋で若い男が、ずっとスマホを触っていたのを思い出した。
「その場面から撮影していたなんて。怖いよ、前田さん」
 ぞわぞわと鳥肌が立つ。香澄は、手の平で腕をさすった。
 
「では、依頼内容を確認させてください」
「はあ...… 前田さんが仕入れてきたネタで番組を企画したいので、S市の地酒を探してほしいと頼まれました。神の罠というお酒です。探す様子をスマホで撮影することも」
 エディスは、手帳を見ながら頷いている。
「探すお酒は、珍しいものですか」
「その…… 前田さんによると、飲むと神様に会える…… ようなんです」
 香澄は、いまさらながら依頼の滑稽さに、恥ずかしくなった。

「なるほど、面白いですね。私は神様に興味はありませんが、会えるなら会ってみたいな。でも、よく依頼を受けましたね」
「その…… 暇だったし、テレビ出演の可能性も考えて。美和も賛成したので」
「わかりました。それから、どうしましたか」
 エディスが先を促した。

「電車でS市まで来ました。野輪稲荷神社の近くの酒蔵で、似た銘柄の酒を造っていると聞いて、バスで移動しました」
「うんうん。どうやって、その情報を手に入れましたか」
「駅前で撮影していたら、私たちのことを知っている若い男の子に声を掛けられて、話をしたんです。S市に住んでいるようだったので、お酒のことを尋ねたら、教えてくれました」
「タイミングいいな、と思いませんでしたか」
 エディスが笑顔で、鋭い一言を発した。

「はあ?」
 香澄は、思いもよらない質問にとまどった。何のことだ。
「タイミング良すぎる、と思いませんか」
「美和が大当たりだと喜んでいました。違うんですか」
「食堂で、店主と話している映像が残っています。前田氏の部下の隠し撮りです。この撮影者が、牧原さんたちに声を掛けたのではないでしょうか」
「そうです。食堂で一緒でした。あいつ!」

 若い男の言葉を思い出すと、香澄の中に怒りがこみ上げてきた。
「ヒントを与える役だったということです。偶然ではありませんよ。ちなみに、居酒屋で撮影した下野氏と同じ人物です。その後、どうしましたか」
「もう、いやになってきた…… 野輪神社でお神酒を造る杉元酒造を教えてもらいました。そこから、三十分歩いて杉元酒造に着きました」
「うんうん。どうして神社へ行くことになったのですか」
「それは、美和がお神酒を探そうと言ったからです。前田さんの推測を思い出して」
エディスは手帳に何か書き込んだ。

「なるほど。杉元酒造に辿り着いてから、どうしましたか」
「建物の中に入りました。明かりが点いていたので、誰かいると思って」
「杉元社長に会いましたか」
「はい、泥棒と間違われて、怒られました」
 エディスは、手帳に挟んであった一枚の写真を取り出した。白髪頭で黒縁眼鏡をかけた年配の男が写っている。どこかの観光地で撮られた写真だ。
「この方に見覚えはありますか」
 香澄は写真をじっくり見たが、何も言えなかった。

「杉元社長の写真です。会いましたよね」
「私が会ったときは、白い帽子とマスクを付けていました。眼鏡は同じだと思います」
 エディスは、片手で前髪をかき上げた。
「わかりました。その後どうなりましたか」
「その後は、造っているお酒のことで色々あって。あの、その…… 死んでくれとか言われて、怖くなって逃げました。でも、美和が捕まってしまって。それから……」

 香澄は、思い出すことが辛くて、黙ってしまった。
「牧原さん。言いにくいのは分かりますが、ここが大事なところですよ」
「私、怖くて、逃げたくて、美和を助けたくて、木の道具で殴りました。後ろから杉元さんの頭を殴りました」
 声を震わせて、香澄は言葉を絞り出した。目が潤んで、涙がこぼれ落ちそうだ。エディスは、また手帳に何か書き込んでいる。

「杉元社長は、どうなりましたか」
「美和を離して、よろよろ歩いて、いなくなりました」
「追いかけなかったのですか」
「とんでもない。それに電灯が消えてしまって、入口へ戻るのが精一杯」
「そして、建物の外へ出てから、前田氏と彼の部下に会って、ドッキリ番組だと知らされたのですね」
「はい」
「映像を見ました。ひどく疲れていましたね。かわいそうに。その後、杉元社長に会いましたか」
「いいえ。すぐホテルへ向かいましたから。あの…… 私、逮捕されますか」

 小さく唸って、エディスは両手で金色の髪をかき上げた。考えをまとめるときの癖のようだ。
「牧原香澄さん。はっきり言って、証拠があなたに罪があると指し示しています。今の供述、スマホと前田氏が酒蔵に設置したカメラの映像です。あなたも杉元酒造へ入るときに、隠し撮りをしていますね。杉元社長に暴行を加える場面も、乱れてはいますが記録されています。私も確認しました。この後、上層部が過失致死罪で逮捕状の請求をしてもおかしくはないでしょう」
「そんなあ。襲われたから、逃げ出すためだったのに」

 香澄は肩を落とした。どうすれば、良かったのか教えてほしいくらいだ。
 それを見たエディスは、一呼吸し、決意がこもった声で言った。
「とはいえ、私も納得いかない点がいくつもあります。それが明らかになるまで、逮捕する訳にはいきません。逮捕状が発行される前に、私の権限内でできることをやりましょう。協力してもらえますか」
「私、逮捕されなくて済みますか」

「ええと。それは、やってみないと分からないわね」
 エディスは、笑顔で首をかしげた。揺れる金髪が、光を乱反射する。
「本当に、大丈夫なんですかあ」
 香澄は情けない声を出した。今のところ、頼れるのはこの人だけなのに。
 *****
「さて異例ではありますが、この会議室で実況見分を行いたいと思います」
 エディスは、香澄、美和、前田そして下野を前にして、説明を行った。
「杉元酒造で何が起こったかを再現して、判明したことを捜査本部に報告します。関係者の処遇に関わってきますので、できるだけ正確に再現してください。捜査本部からは、一時間以内に完了するよう制限を受けました。よって、現地へ赴くことができませんので、ご協力を願います」

 実況見分の実施が急遽決まったことは、片桐刑事と警察署職員が机や椅子を急いで片付けていることから分かる。これがエディスの権限内なのか、上層部とどんな交渉があったのかは不明だが、自分のために何かを始めようとしていることが、香澄は嬉しかった。

 今までどこかに隔離されていたのだろう、美和と前田は対照的な表情をしている。美和は伏し目がちで思い詰めたような顔だ。自分や香澄の行く末を心配しているように見える。前田はテレビディレクターらしく、これから始まることに興味津々だ。カメラがあれば、すぐに撮影を始めそうだ。
 会議室は、十メートル四方で旅館の広間程の大きさだ。今は、片桐刑事が黒いガムテープを床に貼って、杉元酒造の縮小版を描いている。

「では、これより実況見分を始めます。仲野美和さんと牧原香澄さんは、杉元酒造の入口に立ってください。杉元社長役は、前田さん、あなたにお願いしたいのですが」
「えっ、どうして」
「前田さんは、杉元社長と番組企画で打合せをされているでしょう。この中では、杉元社長の動きを一番分かってらっしゃる」
「でも。ちょっと、気が進まないというか……」
 すかさず、エディスは前田の手を取って微笑んだ。
「はあ、しょうがないな」
 女神の無言の圧力に、前田は屈した。

「それでは皆さん、位置について。用意、アクション」
 エディスが映画監督のように手を叩いた。片桐が苦笑しながら、スマホで撮影を始めた。


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