見出し画像

【創作大賞2024応募作品 ミステリー小説部門】神の罠はサケられない(5・完結)

 並んだ、ビタまんの二人が、のろのろと動き始める。杉元酒造の事務所スペースへ一歩進んだ。香澄が、どうしたものかとエディスの方を伺う。
「そこから、どう動きましたか」
「明かりが見えたので、ドアを開けて、さらに奥へ入りました」
「不法侵入ですよ。どちらが、入ろうと言いましたか」
 美和が小さく手を挙げた。エディスは再現するよう促した。

「誰かいそうだから、入ろう」
 美和は蚊の鳴くような声で言った。二人は、さらに一歩進んだ。酒蔵の中では、前田が腕を組んで立っていた。三人が対面する場面だ。
「仲野さん。立ち位置は、ここでよろしいですか」
 エディスの問いに、美和は頷いた。
「ああ、そうだ。前田さんはこれを付けてください」
 用意してあった白い帽子とマスク、黒縁の眼鏡をエディスが差し出した。
「そ、そこまでしなくても」
 前田は手を振って拒んだが、無理やり押し付けられた。仕方なく身に付けると、黒縁の眼鏡の中で目が泳いだ。

「三人が出会った場面ですね。どうなりましたか」
「泥棒かと、疑われました。私たちは、理由を説明しました」
 香澄が言った。エディスが、次をどうぞと促した。
「あんた達、泥棒だろ」
 前田が、ぶっきらぼうに言った。
「違います。お酒を探しに来ました」
 美和は言いながら、下を向いた。強いストレスを感じているようだ。

「ここの酒は、神の輪という銘柄だ」
「おしい。神の罠というお酒を知りませんか」
「知らない。聞いたこともない」
「残念です。どうしよう」
 まるで学芸会のような、下手な芝居のやり取りが続いた。
「はい、ストップ。私の記憶では、ここで場所が変わりますね」
 エディスが割って入った。

「落ち込んだ私たちに気を使って、杉元社長が神の輪を飲ませてやると言いました。そして、休憩所で待てと」
 香澄が言うと、エディスはガムテープで区切られた一画を指差した。
「休憩所はここです。移動してください。杉元社長はどう行動したか、分かりますか」
 ビタまんの二人は、揃って首を横に振った。
「いいでしょう。分かるところだけ、再現してみましょう」

「しばらくして、お酒を渡されたので、飲みました。それから、休憩所の電灯が消えました。ドアにも鍵を掛けられて。そして……」
 香澄は言い淀んだ。ここから、思い出したくない場面が続く。口にもしたくない。しかし、乗り切らなければいつもの日常は戻ってこない。再び口を開いた。

「窓の外で、神の罠が世の中に知られるのはまずいので、死んでくれと言われました。私たちは怖くなって、ドアを壊して外に出ました」
「鍵が掛かったドアから、よく脱出できましたね」
「それは、美和が体をぶつけて、壊してくれたから」
 香澄は美和の手を優しく握った。しかし、美和の顔は青ざめていた。
「美和、大丈夫? 刑事さん。美和が具合悪そうです」
 香澄の言葉に、エディスは時計を見て言った。
「仲野さん。あと十分。頑張れませんか。お願いします」
 美和は、無言で頷いた。

「再開します。休憩所から出る場面。杉元社長の位置は窓の外です。では、アクション」
 エディスが手を叩くのと同時に、美和と香澄が区切りから飛び出た。香澄はふと視線を感じ、杉元役の前田を振り返った。あのときと同じ様に、黒縁眼鏡の中の眼が、二人をじっと見つめている。なぜだろう、頭の芯が痺れる感覚。あの眼のせいだ。あの眼は……
「あれっ?」

 香澄が小さく声を漏らした。エディスの方を向くと、微かに顔を左右に振っているのが分かった。何かに気付いた香澄に待ったを掛けているようだ。
「ここからが重要ですね。続いてどう動いたか、教えてください」
「杉元社長から逃げました。方向はあっちです」
 香澄は入口とは反対の方向を指差した。暗い酒蔵が見える気がする。
「なぜ、奥へ逃げたんですか。追い込まれると思わなかったのですか」
「とっさの行動で、考えている暇がなかった。それに……」
「私です。私が香澄を引っ張って逃げました。何も考えてなかった」
 口ごもった香澄を助けて、美和が言った。顔は青いままだ。

 美和は香澄の手を握ったまま、歩き出した。美和の手が震えている。香澄は、包み込むように握り返した。酒樽の位置もガムテープで示されている。酒樽の裏まで歩いて、二人は止まった。
「杉元社長の動きは、どうですか」
 エディスは、前田に尋ねた。前田は両手のひらを上に向けて、肩をすくめた。
「では、牧原さん。教えてください」
「今の位置から、ゆっくり歩いて私たちの前を通り過ぎました。でも、それは見せかけで、待ち伏せしていました」

 エディスが手で指示すると、そのとおり前田が動いた。ただ、動きがぎこちない。エディスは、じっと観察している。
「次はどうしましたか、思い出してください」
「確か、木の道具を見つけて持ちました。頭を殴ってでも逃げようって」
「どちらが、見つけましたか」
 香澄は、美和を横目で見た。
「美和です」

「そうですか、なるほど。うん。参考になります。続けましょう」
 エディスは頷きながら言った。両手で金髪をかき上げる。笑顔が消え、鋭い眼差しに変わっている。香澄は、大きな翼を広げた鷹に狙われる、獲物になった気がした。

 香澄と美和は、ゆっくりと酒樽の裏から出た。重い足取りが、精神的なストレスを表している。前田が待ち伏せしている所で止まると、香澄が暗い声で言った。
「ここで、美和が捕まりました。背後から襲われたんです」
「そうですか。辛いと思いますが、同じ様に動いてください」
 エディスの合図で、前田が美和の背後から覆いかぶさった。美和の足が、小刻みに震えた。立っているというよりも、前田に支えられているようだ。

 この瞬間、エディスが動いた。
 今まで離れた場所で、三人の動きを観察していたが、スケート靴を履いているかのような、滑からな動作で美和の横に立った。そして、耳に何か囁くと、美和の目が大きく見開いた。小刻みに、瞳が動く。
「何で。何で、知ってるの」

 美和は呟くと、前田の腕をすり抜けて、膝から崩れ落ちた。そのまま、顔を伏せるように床に倒れ込んでしまう。
「もう限界。もう嘘は付けない。これ以上、人殺しの手伝いは嫌、嫌、嫌」
 美和の涙声が、この場にいた全員の耳を貫いた。香澄も前田も呆然として動けない。エディスだけが、美和の側に跪いて、優しく背中に手を当てた。

「我慢しなくていいですよ。全て話してくれませんか」
「……嫌だった。人殺しの手伝いなんて。でも、脅されて、仕方なくて…… ごめん、香澄。ごめんなさい。ひどいよね。香澄を犯人にするなんて。自分の保身のために、相方を裏切るなんて」
 美和の肩が震えた。

「仲野さん、ありがとう。よく言ってくれました。もう一つだけ。あなたを脅迫したのは誰ですか。この場にいたら、指差してください」
 エディスが言うと、美和は俯いたまま、のろのろと腕を上げた。伸ばした先は、前田の顔を指していた。

「ば、馬鹿野郎。俺が何をしたんだ。俺がやった証拠なんて無いだろ!」
 前田は怒って大声で叫んだ。マスクや眼鏡をむしり取って、床に投げつける。虚ろな音が響いた。
「それでは、これを聞いてください」
 エディスは、自分のスマホを取り出すと、操作して前田の顔にかざした。

「なんだよ。暗いし、雑音だらけで何も聞こえないな」
「そうですか。仲野さんのスマホに録画されていた映像です。もちろん、音声も録音されています。場面で言えば、杉元社長が仲野さんを背後から襲ったところです。よく聞くと、男の囁く声が残っています。これ、前田さんの声ではないですか」

「知らないな。杉元社長の声だろ」
「人間の声には声紋といって、声の指紋のようなものがあります。今、この声を分析中です。もし、もしですよ。この声が前田さんの声と断定された場合、なぜ杉元社長に変装してあの場所にいたか。そのとき、本当の杉元社長はどこにいたのか。まとめて説明をしていただくことになりますよ。よろしいですね」
 エディスのとび色の瞳が、前田の眼を鋭く射貫いていた。前田は、ひるんで顔をそむける。いつの間にか、片桐刑事が前田の横に立っていた。

「前田さん。もう少し、お話を聞かせてください。こちらへ、どうぞ」
 片桐は、前田の腕をがっちりと掴むと有無を言わさず、会議室の外へ連行した。エディスは、美和を立たせると肩を抱いて片桐の後に続いた。香澄の前を通るとき、エディスは片目をつむった。女神のウィンク。
 香澄は、どう判断したらよいのか、複雑な気持ちになった。
 *****
 翌日、香澄はエディスに呼ばれ、S警察署の応接室でソファーに座っていた。昨日の実況見分の後、逃亡しないと約束させられてホテルに戻ったが、朝になってエディスから連絡が入ったのだ。現れたエディスは化粧っ気のない、疲れた顔をしていた。金髪もくすんで見える。

「仲野容疑者は自供して、罪を認めました。前田容疑者も概ね似た供述をしているので、追って逮捕されるでしょう。牧野さんの協力のおかげです。お礼と事件についてお話するために来ていただきました。話せる範囲内でとなりますが、あなたもこのままだと、気持ちの整理がつかないでしょう」 
「あの、私。罪に問われるのでしょうか」
「いいえ。牧原さんは被害者というか、利用されたと言うべきですね」

「美和は何の罪ですか。殺人事件と関わっているのですか」
 一番知りたいのは、その点だった。昨日からずっと、モヤモヤしている。
「その前に、事件のあらましをご説明します。杉元社長の殺害が前田によって計画されました。前田が実行し、その罪を牧原さんに負わせる計画です。それに、仲野も加担していました」
「美和が。私を……」

「前田が、テレビ番組企画と偽ってビターまんじゅうの二人を杉元酒造へ行かせて、そこで恐怖体験をさせる。身の危険を感じた牧原さんが杉元社長に暴行を加え、それが原因で杉元社長は死亡する、という筋書きです」
 エディスは、感情をいれず、淡々と語った。
「でも、私には、殺すほどの力はありませんよ」

「そうです。牧原さんは杉元社長に危害を加えていません。あなたが殴ったのは、変装した前田です。帽子に細工もしてあったようです。杉元社長は直前に、前田によって殺害されていました。ようするに、同じ道具で、同じ所に暴行を加える映像が残っていればよかったのです。それをお膳立てしたのが、仲野です」
「どうやって……」
 香澄には、見当がつかない。

「記憶に無いかもしれませんが、スマホの映像と牧原さんの供述から、二人の行動を決める場面のほとんどで、仲野が主導権を握っています。そもそも前田からの依頼を受ける場面から始まって、お酒の情報を得てそれに飛びつく場面、神社で情報収集することを提案する場面、隠し撮りしながら杉元酒造に不法侵入する場面、死んでくれと言われて逃げ出して酒樽の裏に隠れる場面、そして殴る道具を見つけてあなたに手渡す場面。計画実行に重要な流れを仲野が制御していたのです」

「じゃあ、あの道具は殺害の凶器だったと」
 香澄は道具を握った両手を見つめた。なんてこと。指先が微かに震える。
「そうです。前田が殺害を実行後、あの場所に置いたのです。計画通りに」
 エディスの説明に、香澄はしばらく無言だったが、つらさを振り切るように言った。
「刑事さん。会議室で、美和の耳に何かに囁きましたよね。あれは、何だったんですか」

「『後頭部だ』と言いました。前田と仲野が接触する、あの場で杉元社長のどこに暴行を加えて殺したかを伝える手はずでした。前田は、後頭部を殴っていたので、そう伝えたのがスマホに録音されていたのです。微かな声でしたが、証拠として残りました」
「だから、美和は前田さんの背中を私に向けたのですね」
 エディスは頷いた。

 すると香澄が疑問を口にした。おかしい点がある。
「前田さんが、杉元社長に変装していたとして、酒蔵から脱出した後すぐ会いましたよ。そんなこと無理ですよね」
「それも、トリックの一つです。酒蔵の奥に別の出入口がありました。牧原さんに殴られた後、裏の出入口を使って、急いで表へ回ってカメラに写ることでアリバイにしようと考えたのでしょう。姑息な手です」
 エディスは、そんなもの通用するかと言いたげだ。香澄は真相が判るにつれ、怒りがこみ上げてきた。

「なんて酷いことするの。田舎の酒造会社の社長を殺すことに、何の意味があるの。私には分からない」
「これはまだ捜査中ですが、前田は違法賭博でかなりの額の借金を抱えていました。その胴元が、杉元社長の親族に連なっている可能性があります」
「……遺産目当てで、殺人を依頼された」
「お察しのとおりです。捜査中ですので、ご内密に。でも必ず解明します」
 エディスの顔に疲労の色が濃くなる。香澄は、胸のモヤモヤをぶつけて、終わりにしようと思った。

「最後に一つだけ。なぜ美和は、殺人計画を手伝わないと、いけなかったのでしょう」
「はい。それは、牧原さんにとっても重要な点ですね。お尋ねしますが、ビターまんじゅうの二人は、五年前に新人漫才大賞を受賞していますね」
「ええ。それが、関係あるのですか」
 予想していなかった展開に、香澄はとまどった。何の話だ。

「あります。普段、漫才の脚本はどうやって考えますか」
「ネタは美和と二人で考えます。どちらかの部屋に集まって」
「新人漫才大賞のときは、どうでしたか」
 エディスの問いに、香澄は記憶を辿った。何か違和感がある。
「そういえば、あのときは美和が考えたネタでした。寝ずに、一人で作ったと聞きました」

「それは、盗作した脚本でした」
 香澄は息を呑んだ。
「前田はそれを嗅ぎつけて脅迫し、従わせていたのです。卑劣な男です」
「でも…… そんなことで、人殺しの手伝いをしますか?」
 自分はできない、と香澄は思う。一体、何があったのか。

 エディスは、すっと目線を落とした。
「犯罪者の心理は様々です。苦しみ、羞恥心、妬み、妥協、プライド…… 本人にしか理解できない事柄が混然一体となっている」
「じゃあ、理由は分からないということですか」
「この点に関して、まだ何も自供していないということです」
 エディスは、香澄へ目線を戻した。

「もし…… この先理由が判明したら、あなたは知りたいですか」
「えっ」
「あなたは、それに…… 耐えられますか」
 どういうこと、わたしにも非があるということ? 何色もの感情が、香澄の心を揺らした。耐えられるか、なんて言われても。
 しかし、しばらく考えた後、意を決して口を開いた。

「受け入れる責任があります。美和とでしか、『ビタまん』の漫才は成立しなかったから」

 そう言って初めて、もう美和と漫才ができなくなる寂しさに、香澄は気が付いた。これから、どうしようか。
「分かりました。必ずご連絡します」
 エディスは、香澄の決意に向けて、そう断言した。そして、締め括るように続けた。
「牧原さんにはご協力感謝します。もう自由にお帰りいただいて結構です」
 香澄の表情が柔らかくなった。

「こちらこそ、私を救い出してもらって、ありがとうございます。でも、刑事さんすごいですね。最初から、全て知っていたみたい」
 香澄がそう言うと、エディスは笑顔を取り戻した。
「犯罪捜査をしていると、突然ひらめきが訪れることがあります。その瞬間を逃がさないだけです。今回は、アナグラムでした」
「アナグラム。何ですか?」
 香澄は不思議そうに尋ねた。初めて聞く言葉だ。

「神の罠、の文字を入れ替えてみてください」
「か、み、の、わ、な…… えっ!」
「な、か、の、み、わ。仲野美和となります。この酒の名が考え出されたとき、すでに仲野容疑者は避けられない罠に落ちていたのかもしれませんね」
<了>


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?