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あの子と別れた日

8歳の私はとても子供だった。あの子とずっと一緒にいられると本気で信じていた。中学も、高校も、大学も。彼女はもともとこの町の人ではなかった。転勤でたまたまこの町に来ただけだった。彼女が引っ越すことを告げられたのは、小学4年の初冬だった。


***


小学4年生の半ばになると、周囲の女の子たちが急激に大人っぽくなった。
私は学年で一番背が小さくやせっぽちで、他の女の子たちとの身長差は日に日に大きくなっていった。それが本当に嫌だった。3年生の気の強い子たちからはよくバカにされていた。
同級生たちは、好きな男の子の話で盛り上がるようになり、おしゃれに気を遣うようになっていた。
あの子もそうだった。彼女は男女問わず人気があったから、彼女を好きだという男の子は私が知る限りでも10人近くはいたかもしれない。
私は男の子と全然仲良くなかったし、好かれてもいなかった。誰にでも優しい男の子とたまに話すくらいだった。
ある日の帰り道。他の同級生との恋バナについて楽しそうに話すあの子に対し、私は
「恋とか全然わかんないなあ、あーちゃんはそういうの好きなの?」
というようなことをかなりおどけて言った。昔みたいに笑ってほしくて。でも、あの子は冷ややかな目で私を見た。そして
「そりゃそうだよ、私だって恋バナしたいもん」
と返された。そのあとはなんだか気まずくなって、あまり会話が弾まずにバイバイした記憶がある。それに加えて、すごくショックを受けている自分がいることに気がついた。
――いつか、あーちゃんにも好きな人ができて、私のことなんて忘れちゃうのかな――

***


彼女のお別れ会の日、一番仲が良かった子だからという担任のはからいで、私は寄せ書きの書かれた色紙をみんなの前で渡した。表彰状を渡す気分ってこんな感じなのかなと思った。
『仲良くしてくれたことへの感謝状』だろうか。
彼女が引っ越す当日、私は彼女の空っぽになった家に遊びに行き、「うわあ、広いね!」と声を上げてはしゃいで、一緒に写真を撮り、そして車に乗ったご家族を見送った。家を出た瞬間に赤信号で停まってしまって、車に並ぶように私は歩道の端で手を振り続けた。この信号の青は短くて赤は長いのだ。ずっと停まってくれたら良いのに。ずっとここにいてくれたらいいのに。

「さ、帰ろっか」
彼女の車が遠くなった頃、一緒に来てくれた母が声をかけた。母の前では泣きたくなかった。10歳の3月、私は一番大切な人とお別れをした。

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