真藤 柊

読書と映画といろいろと。 覚えておきたいことも書きます。

真藤 柊

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マガジン

  • あの子と私

    人生の3分の2以上、ずっとずっと大好きな「あの子」との思い出を綴ります。 忘れてしまったことも多いので、全部忘れる前に書けたら良いなと思います。

最近の記事

席替えと私

席替えが苦手だった。 小学2年生。ちょっと変わった席替えをした。まず、男子が座りたいところを決める。その間女子は廊下に出て待っている。次に、女子が座りたいところを決める。同じく、男子は廊下で待つ。 「誰が隣かなあ」 きゃあきゃあ言いながら私たちは席について待っていた。 「じゃあ、男子は入ってきてくださーい」 先生の言葉に男子がわっと入ってくる。私の隣は誰だろう・・・キョロキョロ辺りを見回して待っていると、一人の男子が私の隣にやってきた。すごく元気な、いや、いつも騒がしい男子だ

    • あの子との夏休み

      私は家族と一緒に彼女の住む町へ一泊し、翌日の朝、彼女のご家族に迎えに来てもらうことになった。 その町に行くのは初めてだったし、県外の旅行も初めてだった。何もかもが楽しかった記憶がある。 だが、私は早く明日が来るのが待ち遠しくてたまらなかった。会いたくて会いたくて仕方がなかったあの子に会えるのだから! ホテルのロビーで待っているとき、私は緊張のあまりトイレに行きたくなった。「早く行ってきなさい」母親の言葉でトイレへと急ぐ。 トイレから戻ってくると―――いた。あの子がいた。 私

      • あの子と文通を始めた日

        4年生最後の学年通信には、引っ越す児童たちの新しい住所が掲載されていた。今だったら個人情報だから載せられないのだろうか。 『みんなで手紙を書いて励まそう!』 確かそんなコメントと一緒にあの子の住所が載せられていた気がする。 私はすぐに手紙を書いた。レターセットを集めるのが大好きだった私には、たくさんの便せんと封筒があったから。 *** 最初のうちは彼女からの手紙の返事は一週間以内には届いていた。 最低でも便せん2枚、もしくはそれ以上の枚数につらつらと長文を書く私とは対照的

        • あの子と別れた日

          8歳の私はとても子供だった。あの子とずっと一緒にいられると本気で信じていた。中学も、高校も、大学も。彼女はもともとこの町の人ではなかった。転勤でたまたまこの町に来ただけだった。彼女が引っ越すことを告げられたのは、小学4年の初冬だった。 *** 小学4年生の半ばになると、周囲の女の子たちが急激に大人っぽくなった。 私は学年で一番背が小さくやせっぽちで、他の女の子たちとの身長差は日に日に大きくなっていった。それが本当に嫌だった。3年生の気の強い子たちからはよくバカにされていた

        席替えと私

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        • あの子と私
          5本

        記事

          あの子と出会った日

          小学3年生、人生で初めてのクラス替えの日。 私は当時仲が良かった子たちとほぼ離れてしまい、途方に暮れていた。 たった2クラスしかないとはいえ、8歳の私にとっては大事件だった。 「ひーちゃんはB組じゃないんだね」 友達から残念そうに言われ、慰められた。泣き虫だった私は、さすがに新学期早々泣くわけには行かないぞ、と自分のクラスに向かった。すると 「ひーちゃーん!」 あの子だった。彼女もまた心細げな表情で新しい教室の前で立ち尽くしていた。 「あーちゃーん!」 私たちは廊下で抱き合っ

          あの子と出会った日

          「あの子」に捧げる

          子供の頃から読書が大好きでした。外で遊ぶよりも図書室で過ごす時間の方が圧倒的に多い子供時代でした。自然と私の友達も読書好きな子ばかりでした。 「あの子」も読書が大好きでした。私と違って明るくて元気で活発な子だけれど。 私にとって大切で大好きな「あの子」との思い出を綴ったり、「あの子」に言いたかったけど言えなかったことも書いたりしたいと思います。 海外の童話やYA小説もたくさん読みましたが、大抵「この物語を○○に捧げる」って冒頭に書いてあるんですよね。 だから私の初記事

          「あの子」に捧げる