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『台本』

 彼は朝目覚めると必ずシャワーを浴びる。そして濃いめのコーヒーをマグカップにたっぷり注ぐと、息子が誕生日にくれた手作りの椅子に腰を掛け木々の隙間からキラキラとこぼれる光が窓から入ってくる風景を見ながら熱いコーヒーを口にする。コーヒーを飲み干し、今度は少し酸味が増したコーヒーをたっぷりと注ぐと、パソコンへと向かい残りの時間を趣味のために費やし始めた。

 彼の趣味は、物語を書くことだった。それでお金を稼いでるわけではないし、なにか賞に応募する訳でもないが自分の想像力を形にすることをとても楽しんでいた。

 かれこれ10年以上書き続けている作品たちは、パソコンの中にデータとなってたくさん保存されていた。

 パソコンに向かいはじめてどれくらいの時間が経っただろう。キーボードのタイプ音が響く部屋に突如電子音が鳴り響いた。

 集中していた彼は思わずビクッと驚くと、後ろを向いて音の出どころを確認する。少し離れたテーブルで、息子に無理やり持たされたスマートフォンが、イヤイヤ期を迎えた子どもの思い出をよみがえらせる。

 キーボードを入力する手を止め、少し残念そうに息を吐き出すとそれに向かった。画面に表示される幼馴染の名前。きっと何かの誘いだろう。そう思いながら少しだけ耳から離して応答する。

『やあ!今日ヒマがあるならランチでも行かないか?』

 思った通り、誘ってきた。

 幼馴染は、数年前に妻を亡くしてから一人で暮らしていることを気にかけてくれて、何かにつけて誘ってくれていた。正直、誘いが無ければずっと家に籠って物語を書ける程度に彼の想像力は豊かだったが、それと同時に誰かと関わることの大切さや、それによって新たな発想が生まれることも知っていた。

『あぁ、ちょうどいま話を書いているところなんだ。区切りの良い所まで書いてからまた連絡するよ。』

 年を重ねてくると何を書きたかったかたまに忘れてしまう事もあるが、パソコンの脇にあるメモにキーワードを手早く書き出すと、物語の一区切りまで書き終えた。

『思ったより早かったな。この間新しいメキシカンの店が出来たって聞いたんだ。そこへ行こう。場所は、4丁目にある公園のすぐ向かいだ。噴水のところのベンチに座ってるからそこに来てくれ。じゃあまた。』

 幼馴染は要件をさっさと言い終えると、電話を切った。パソコンをスリープにして車の鍵をポケットにしまい込むと、幼馴染のもとへと向かった。

 サングラスを外すと、幼馴染がこちらに気づいたようで眉をあげ満面の笑みで手を振ってきた。

『こっちこっち!待ってたよ!』

 鳥のさえずりが聞こえる公園では目立つ大声で呼びかける彼に、苦笑いしながらも内心嬉しかった。

『待たせたね。話がちょうど真ん中くらいでね。区切りがつくまで少し手間取ってしまった。』

『その話は、あの店で聞こうじゃないか。腹が減っちまってね。』

 そういって指さした先には、幼馴染が言う通りきれいなメキシカンの店があった。以前カフェがあった場所だ。

『チリのブリトーを1つと、豆のブリトーを1つずつ。それにタコスを頼むよ』

 明らかに初めて入ったわけではない幼馴染のオススメにしたがって、静かに座っていると、彼が話し始めた。

『ここのブリトーは絶品なんだよ。タコスもうまくてね!お前を連れてくるって決めてたんだ』

  うまいから見てろ?と言わんばかりの自信満々の彼の表情を見ていると、まだ妻と出会う前の自分たちを思い出す懐かしい感覚がよみがえった。

『ところで、今度はどんな話を書いてるんだ?』

 幼馴染はいつも完成した物語を読んでくれていた。お金も稼がないし賞に出さないとはいえ、誰かに読んでもらえるというのは嬉しいもので動機にはなっていないが、励みには十分すぎることだった。

『今度はちょっと今までにはない感じで書いているよ』

 物語を10年以上書いていると、書いているとき以外でもテーマを探したりふと面白そうなアイデアが湧くことがある。

『もったいぶらずに教えてくれよ。なんだかんだお前の書き物楽しみなんだぞ?』

 言葉を押し出すための空気を吸い込んだ直後、オススメのブリトーがテーブルに2つ置かれた。

『ああぁー!すまんな!話の前にブリトーが来た!ここのブリトーは絶品だぞ?』

 この店のブリトーは珍しく焼かれていて、生地がサクサクカリカリで熱いのでナイフとフォークで食べるようになっていた。

 ボリュームのあるブリトーに、アヴォカドを使ったワカモレがたっぷりとトッピングされ見た目にもおいしそうだった。チリのブリトーは幼馴染で、豆のブリトーが自分が食べるようだ。ブリトーを食べ始めると彼がまた喋りはじめる。

『で、さっきの話だが今度はどんな話を書いてるんだ?』

 あぁ、そうだった。

『僕らはこうして会話しているし、僕以外とも話すだろう?そんな時、疑問に思わないか?「この会話がもし“台本”だとしたら」って。』

 幼馴染はまた、ラテン系の陽気でアップテンポなBGMの中でも十分目立つような笑い声を響かせた。

『ハッハッハ!そりゃ面白い!お前も職業病みたいになっちまったな!話の書き過ぎだろうな!誘ってよかったよ』

 聞いているのか聞いていないのかわからないが、疑問に思ったことはないということがわかった。

『今この会話すら、誰かが書いているセリフや物語の1行に過ぎないと思うと、この世界も不思議な見え方をするんだけどなぁ。』

『次の話は面白そうだな!早く仕上げてまた読ませてくれ』

 そういって、土曜日の昼下がりの時間は過ぎていった。

 タコスもブリトーも食べ終え、しばらく一人で過ごしていた反動で日が傾き始めるまで幼馴染との会話を楽しむと、彼は家路へとついた。

 家にたどり着くと、玄関の窓ガラスに夕日が差し込み、思わず目を細める。鍵を開け、パソコンの前に向かうとコーヒーはすっかり冷たくなって、濃くて苦いコーヒーは酸味が強い黒い飲み物に変わっていた。

 コーヒーのマグカップを片付け、パソコンの前に座るとメモを見る。久々の幼馴染との時間にすっかり忘れていた。

 メモにはこう書いてあった。

◎全ての言動は台本通り

◎この世の作者が台本をかえる(記憶を消す)

◎自分も消えてゆく

 彼はそのメモ書きをみて書きたかった物語を思い出した。

 予想より長いこと出掛けていたため、晩御飯は冷凍食品で手早く済ませるとパソコンに向かった。

 日が変わる頃、満足して書き終えるとパソコンをシャットダウンさせ、少し凝り固まった体をすこしでも柔らかくしようと動かしながら寝室へと向かう。

 PC作業用のメガネをはずすと、目頭を押さえ目の疲れを感じながらベッドに横になt

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『ケンジー!晩御飯できたわよー!』

『いまいくー』

 オレはそういって返事をすると、書きたてのこの物語を公開するのであった。

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