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恩人に会いたい

今どこにいるのだろう

 私には恩人がいる。もう会わなくなってから何年経ったのか定かではない。恩人と呼びながら、時間の濁流に放り込んで過去として流しきっているのは、その恩人は社会人の先輩であり、恋人でもあった人で、ずっと一緒にいたいと思ったものの別々の道を選択をしたので、意識的に私は忘れる努力をしたのである。

 現在の私は、新しい道の先で一緒に暮らしを営む家族がおり、おかげさまで満足度の高い日々を送っている。今日の私の満足度を掴むこの握力は、間違いなく恩人と過ごした日々で得たものが土台になっている。

 その人は私の枯れた心にたくさんの栄養をくれた。長くは続かなかったものの、人生が曇天すぎるタイミングだった私に光をたくさん浴びせてくれた。まさに地獄に仏。恋心が通じ合うという喜びだけでなく、サービス精神が旺盛で車の運転が好きな恩人は、私が行きたい場所はもちろん、素敵な場所を探して連れて行ってくれるという、社会科見学の知的好奇心まで満たしてくれていた。

 私のことが大好きだという理由で金銭的大盤振る舞いして旅行に誘ってくれる事もあり『ただ生きてるだけで無条件に富を受け取っても良い』という自信もついた。そのおかげで、実親が子供に対して出し惜しみをするケチであり、私の希望を叶えることを渋るために、私の存在意義が揺らぎ、安心感を欲する飢餓状態が続いてずっと精神が不安定だったことに気付くこともできた。

 私は恩人に出会ったことで一気に視野が広くなり、世界が明るいものとして感じられ、そして自分の人生に希望を持つことができた。それをきっかけにして新しい世界を開拓する勇気も湧いた。まさに人生が一変した出会いだった。恩人は「命の恩人」と言って差し支えない。現在の幸せの基盤は間違いなく恩人との出会いのおかげだと思う。

 ここ最近の自分の幸せを噛みしめるたびに、恩人を思い出して感謝の念が湧くので、これはひとつnoteに綴って、巡り巡って恩人の目に留まると良いなと思う。

思い出に浸ってみる

 今日、首都高を走って実家に帰った。夜。スカイツリーは紫色に光り、ライトアップされた橋の数々とビルの光が隅田川の川面を照らしていた。首都高6号線。『駒形』の看板が目に入る。

 首都高を運転しながらふと思い出すのは、仕事で帰りが遅くなった時に家の方角が同じだった恩人とタクシーに相乗りして帰ったこと。

 早く帰りたいので惜しげもなく首都高を使うのだが、闇夜の中で光るビル群の中をノンストップで走り抜ける爽快感がたまらなく、疲れているのに遊園地のアトラクションに乗ってるようでとても楽しい帰り道だった。何度もそんなことを繰り返しているうちに自分でも首都高を運転してみたくなって、運転免許を取りに行く原動力になった。そして、現に私は首都高を使って移動できる身となり、スカイツリーを横目に走っている。

 スカイツリーを見ても恩人を思い出す。東武鉄道の株主である恩人の手元に一枚だけ届いた一般公開前のスカイツリーの特別招待券。それを私に譲り「きっと楽しいと思うから行ってみて」と社会科見学させてくれたのだった。他の株主たちの群れに混ざってひとりでエレベータの天井の江戸切り子の装飾を眺め、淡々と景色を堪能。そして一般公開された後に改めて一緒に遊びに行ったことも思い出す。恋人なのに父親かな?ってくらい、私に楽しい社会科見学をさせてくれた。

 ある時、新宿の占い師になんとなく関係を占ってもらったら、前世は親子か親類縁者だったと言われ、恩人も私のことを我が子のように思ってる節があったようだ。実際、私を盛大に甘やかしながら時に厳しい、父親のような存在感がある人だった。
 実父が私に対しての言葉かけがあまりなく、子供に無関心な態度の人だったので、私をしっかり見守って大切に思ってくれるお父さん的眼差しが、私の不安定だった心を癒やしてくれたように思う。表面的なやり取りではなく、心の奥底、根っこ、魂からの気持ちでコミュニケーションできる相手がいることがなにより嬉しかった。

 お別れする時の言葉を思い出す。記憶が消えつつあるので美しく補正されていそうだが
『言葉で言うなら大好きなのは間違いないんだけど、好き・嫌いとか彼女という次元で表現できない。フィットする言葉が見当たらない。思うだけで胸がギュッとなる。他にこんな人はいない。守りたい子供のような、離れていても、もう会えなくても、とにかくずっと元気で健康で笑っていて欲しい大切な存在』
と言っていたように思う。

 当時の私はまだ恋心が最高だと思ってる浅い人間だったので、新宿の占い師の言う「前世は親子」や、恩人が言う「守りたい子供」という言葉にセクシーさを感じられず不満を覚えたのを記憶している。

 しかし、振り返ってみると、型にはまらず、うまいこと言おうともせず、オリジナルな表現で私への気持ちを正直に言語化してくれる人というのは滅多にいない。なによりの言葉をもらったし、本当に貴重な出会いだったと思う。 

記憶が御守りに

 私が激動期の2023年でも勇気を持って生きていられるのは、現在の家族のおかげではあるけれど、恩人が私を大切にしてくれた記憶のおかげでもある。
 2020年から続く疫病騒ぎの中でも、別れ際に恩人が私に対して願った『とにかくずっと元気で健康で笑っていて欲しい』が言霊になって護られているのでは?と思うくらい、健康に暮すことができている。
 ただ健康だけど、世の中が変な方に曲がっていきそうなムードに不安になり、私は今不安だから恩人を思い出しているのだと、これを書きながら気が付いた。生きる活力をくれた恩人は、私の心の中の御守りになっているんだなぁ。

元気でいてね

 恩人も元気で健康で笑っているだろうか。当時は過敏性腸症候群だったけど今はもう治っているだろうか。

 今月3月が誕生月なのを思い出す。
今年も地球上のどこかでしあわせに歳を重ねていて欲しい。もし他界していたら極楽浄土でのんびり幸せに過ごしていて欲しい。確認できないからすべて希望でしかないけど、恩人のあなたも、ずっと元気で健康で笑ってますように。

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