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人生の荒稼ぎ

「本を読め。人生の荒稼ぎができるぞ」と言われたのを思い出した。言ってたのは、たぶん高校の現代文の先生だったと思う。他者の経験したことを追体験し教訓を得ること。最近ではwikipediaの人物記事、ツイッターの体験ツイート等を読んでも人生の荒稼ぎができる。しかし最高に荒稼ぎできるのは聖書。

聖書には人類最初の人からつい2000年前までの人まで、ホームレス・奴隷・病人・障がい者・罪人・当時卑職とされた羊飼い・漁師・医者から、農民、平民、自営業者、役人、高位聖職者、高級官僚、国家元首から、神の子まで。様々な人達の人生の出来事と、彼らが下した判断とその結果が記録されてる。

「人生は一度きり」だから重大な決断を前にして迷うことはある。ただ、似たような状況を経験した人はどこかにいる。他者の人生を知りどの選択の結果どんな結末を迎えたのか学ぶと参考になる。ただ、本当に判断が正しいのか自信を持つのは難しい。聖書は神による判断の評価まで記録されてる特別な本だ。

例えば、人生の受験勉強をするとしよう。多種多様な参考書が巷に溢れているが、肝心な巻末回答集はどの本にもない。聖書は唯一「答え合わせ」ができる過去問集であり、何なら未来の問題の出題予定と模範解答すら掲載されている。読んで従えば人生の終わりに神から合格点をもらえる。それが「救い」だ。

人生をゲームに例えると聖書はゲームの製作者である神本人が執筆した完全攻略本ということになる。世界設定の仕組みと理由、登場人物に持たせた役割、製作者は運営としてどう介入してきたか。実はプレーヤーとしてゲーム内に入っている製作者がいるがそれは誰か(イエス・キリスト)。全部書いてある。

航空機のパイロットになる訓練でいきなり飛行機に乗せる事例は現代ではほとんどない。VRゴーグルや広画面ディスプレイにフライトシミュレーターを写して飛行機を飛ばす。失敗=即死を意味する。安全に失敗から学べるように実機に乗る前に仮想体験をさせる。聖書は人生のフライトシミュレーターになる。

人生の判断に迷う時、生きる意味が分からない時、克服できそうにない問題を前に立ちすくんでしまう時、あらゆる種類の絶望に直面した時、聖書に記された神のことばを判断基準にし、先人の人生の選択と結末から教訓を得ることで道が拓けることがある。消化不良な過去の出来事に意味を見出すことがある。

この世界に産み落とされたことで、正体不明のイベントに強制参加させられたような戸惑いを人生に感じることもあるだろう。それはイベントの主催者のことも開催の意図や目的も知らないからだ。聖書には誰がなぜこのイベントを開催したのか、なぜ自分が参加者として選ばれたのか、その意味が書いてある。

昔はラテン語のできる聖職者という一部の人だけに制限されていたが技術の発達した現代においては、聖書を手に入れるハードルは限りなく下がっている。別にお金を出して紙に印刷された本の聖書を買わなくても、ウェブサイトで検索したり、無料のアプリをダウンロードすればすぐ読み始めることができる。

聖書を読んでみよう。西欧文化の基盤や洋画で暗黙的に出てくる表現も理解できるようになるがそれは副産物だ。これから自分の人生をどう生きるのか、真剣に考えるならぜひ聖書を読むと良い。他者の決断と結末を、それに与えられた神の評価を知り、人生の荒稼ぎをしてから、続きの人生を豊かに生きよう。

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