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故郷忘じがたく候

NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」という番組がある。この番組は、日本各地の田舎を巡り、色々な家族に出会うものである。沈壽官という方が出演されていたものの再放送を数ヶ月前にみた。笑福亭鶴瓶さんが、鹿児島県の美山(旧苗代川)というところを訪問されこの沈壽官氏(現在は亡くなられている)の出演されているときの温かくおおらかで包み込むような人柄に大変魅力を感じた。

そして、歴史小説家の司馬遼太郎氏が唯一生きておられる方の小説を書いたのが、この沈壽官氏だそうだ。その短編は「故郷忘じがたく候」という。司馬遼太郎氏を引き付けるほどの魅力が、沈壽官氏には溢れ出ていたのだと思う。

中学生の時に一度読んだのだが、全く心に残らなかったのは、まだまだ幼かったからだと思う。

司馬遼太郎氏の歴史小説は、どれも史実に基づきとてもかっこよく見事に描かれているが、故人のため人物像は想像だったりするのだろうな、と思ったりもする。ところが、沈壽官の小説だけは、ご本人と直接お会いして描かれているので、読んでいて本当に心に響いてき、今年読んだ小説の中で最も感動した。

この方は、秀吉の挑戦出兵の際に拉致された朝鮮人が先祖である。当時の日本では千利休等の活躍もあり、茶器等の陶芸品でも希少価値のあるものの需要が高まったという。中でも薩摩では、朝鮮独特の白磁の綺麗な器を作れる技術が全くなく、その技術を持っていた芸術家たちが争いに敗れ、連れて来られたのではないかと言われている。

秀吉の死後、朝鮮の軍勢が日本の軍勢に追い討ちをかけ、赤壁の戦いのように大敗を喫した日本の軍勢は拉致した沈氏どころではなくなった。その後日本へ撤収する際に、兵糧の舟がからっぽになっていたため、その舟の喫水のために鹿児島に連れて来られたそうだ。そして、港に放置された沈氏は、そこから故郷を恋しいと思いつつ、一から築かれたという。そして、朝鮮人の血以外は一切継承せず、朝鮮の名を日本名に改名することはなく、誇り高く伝統を守り生き抜いて来られた一族だという。

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沈壽官氏は、中学校に上がるまで自分のことを日本人と信じて疑わなかったそうだ。

中学で、鹿児島市内に通い出し、初日に上級生から朝鮮人であるため、集団リンチを受けたそうだ。同様の目に遭ったことのある父は、理解を示したが、翌日から学校に通わないという息子に対し、「一番になるほかなか、けんかも一番になれナ、勉強も一番になれナ、そうすればひとは別な目でみる。いじければむこうからさらにかかってくる、撥ねかえすほかなか」と言い、学校に送り出したという。

沈壽官氏は、その日から血筋について自問自答し出し、けんかも誰もかかってこないほど強くなったという。

彼らのみなぎる強さの原動力は、どこからやって来るのかと考えたとき、一族の結束力とか、親子の愛情や教育だったりするのかも知れないが、私は世襲性もあるような気がする。

沈壽官は、代々継いできた名であるそうだ。名を継ぐことに、一族の苦しみ、誇り、伝統、技、全てを次に受け渡すという責任のようなものがあるように感じる。

日本人でありながらも、朝鮮人の血を引いているという現実に向かうためには、並々ならぬ覚悟が必要で、いじめ等で逃げるのはその場しのぎでしかなく、立ち向かって勝つ外に道はなかったのであろう。

激動の時代を生きている現在、沈壽官氏の物語に触れることができ、本当に良かったと思う。恨みや辛さの念に足をとられない、やるべこと、使命を淡々とやる、ということを教わった。

沈壽官氏ほどの精神力や強さはなかなか持つことは難しいが、自分の生きるべき道を今一度きちんと考えて進もうと襟を正すことができた書であった。

そして、いつか沈壽官氏の器をこの目で見てみたい。その器には、沈氏の人柄そのものが宿っているに違いないし、そして沈氏一族の魂も宿っているに違いない。


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